エピローグ さらば!屋久島 ~「もののけ」と神々の島へ⑮
束の間の滞在だったが、屋久島を去る日が来た。
島では外国人ツーリストが増えるのと呼応するようにゲストハウス形式の宿が増えているようである。
屋久島では、屋久島YHに滞在していた。
久し振りのドミトリー、おまけにクーラーなし、蚊襲来にはまいった。
プロローグで、あんなことを言っていたのに、リゾートホテルが恋しくなった。
その点、外国の方は「住むような旅」のノウハウをわきまえていらっしゃる。
ごく当たり前のように、スーパーで買出しをして、自ら、調理する。
台風の災禍とはいえ、今回のように観光地をさらっと巡るだけでは、おこがましくて、「旅」とは言えまい。
それは「旅」ではなく、「旅行」である。
もっと、その地の生活や文化、歴史を掘り下げる旅、住むような旅、住民と触れ合う旅こそ、「旅道」と言えるのではないか。
今回は、そういう意味で本当の屋久島を知るためのプロローグにすぎなかったということで締めさせていただく。
宮之浦港では、種子島経由、口永良部島行きの船が停泊していた。
港に貼られていたポスター。
少子高齢化、過疎化の深刻さが覗える。
だが、火山島に住むということは、それなりの覚悟がいるはずである。
現在の過酷な状況がそれを物語っている。
「それでも、いつか行きたい!」と思ってしまうのは、私の中の旅族のDNAのなせる業か。
島と鹿児島を結ぶ「フェリー屋久島2」。
往きは高速船で2時間弱、所要であったが、帰りは倍の時間がかかる。
そのかわり、ゆったりとした船旅である。
「がんばれよ!」
別れのテープは切れるものだから、いつも、もの悲しい。
さらば、屋久島。また、戻ってこよう。
船内は意外に豪華であった。
ウミガメの子どもを飼育しているルームもある。
鹿児島からは、往路の17時間の所要時間を帰路では、わずか2時間にしようと飛行機を使うことにした。
これで、何事もなく、エピローグ・・・
となるはずであった。
ところが、思い通りにならないのが、私の旅。
《ここから、番外編》
ピーチ便は30分遅れで関空に到着した。
私にとっては致命的な遅れで最終電車接続のバスに乗り遅れるという顛末。
やっぱ、船にすべきだったとは、後悔先にたたず。
えぇい!とばかり、一夜の宿を関空、待合室のベンチに求めた。
深夜の関空は世界の旅人たちの寝床となっていた。
女の子の一人旅も多いが、しょっちゅう、ポリスが巡回する夜の関空は、案外、安全なのかもしれない。
午前一時には、お掃除カーが廻ってきた。
とんだエピローグでしたが・・・
15回に及んだ、“「もののけ」と神々の島へ”。
おつきあい、ありがとうございました。
もう一回だけ、総集編があります。
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