醍醐の花見 ① ~秀吉・最後のイベント
「醍醐の花見」は豊臣秀吉プロデュースの一世一代の催し物(イベント)であったと云われている。
息子の秀頼、北政所、淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な催しで、当日のために秀吉本人が何度も醍醐寺の下見をして、応仁の乱以後、荒れ果てていた同寺の修復・整備も実施したという。
天下人となり、立身出世の鑑ともなった秀吉にとって、その花見は人生最後の晴れ舞台だったのかもしれない。(半年後に没する。)
庶民の花見が年間行事、習慣として定着したのは、この「醍醐の花見」が発端だと云われている。
「イベントは所詮、一過性のもの」と冷ややかな視線を送る人もいるが、後世に繋がるイベントを企画したのだから、プロデューサーとしても彼は秀逸だったのだろう。
その舞台となった醍醐寺の三宝院の玄関脇には必ず足が止まってしまうほどに見事な大紅しだれ桜「太閤枝垂れ桜」がある。
三宝院庭園。
三宝院の唐門。
参道も桜満開。
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