仕事のあいまをぬって、早春の気配をもとめ、野山を散策してみた。
梅が咲いているのではないかと期待があったが、まだほんの一輪、二輪が咲きはじめたばかり。温暖な南関東よりは当然のことながら半月か、それ以上遅れている。
野山はまだ冬ざれのまま。
しかし、地中では着々と春の準備がすすんでいるのだろう。
眼を転じて田の畦を歩いてみたら、南斜面に、期待したような早春の気配を見つけることができた。
雛祭りをすぎてしばらくすれば、一雨ごとの春となっていく。
ふきのとうを見つけたり、モグラの穴に挨拶したり(笑)。
日中は気温があがったせいか、ホトケノザで吸蜜するミツバチの姿もみられた。
昨夜は空き時間を使って、春陽堂から刊行されている、種田山頭火文庫・句集(一)を読んだ。卒読するだけなら、一時間とは要しない。竹内敏信さんのモノクロが、効果的に挿入されている。
分け入っても分け入っても青い山
へうへうとして水を味ふ
しぐるるや死なないでゐる
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
どうしようもないわたしが歩いてゐる
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
現代俳句についてはまったく無知(^^;)
だからあまり発言する資格はないのだけれど、山頭火はつぎつぎと読んでいって、少しも退屈しない。
ひところ(もうずいぶん昔だろうが)山頭火ブームというのがあって、そのころも、気ままな読書の折りに山頭火をひもといた。憧れはあっても、だれもが彼のように、現世という管理社会からドロップアウトできるわけではない。だから、現世のしがらみがきつくなればなるほど、彼の存在が輝かしく見えてくる。これはパラドックスといっていいだろう。
わたしの胸の深くに、山頭火に対する「見果てぬ夢」のような憧れが、やっぱり沈んでいるのだ。