こちらら北関東でも春はさかりを迎えようとしている。
通勤の行き帰りはむろん、仕事で出かけたさきで、
いろいろな花々が眼を楽しませてくれる。
沈丁花の不意打ち、あの香りの不意打ちもうれしいものだ。
木に咲く花のなかでは、わたしは白木蓮がいちばん好きである。
白木蓮はなかなか高木になっているものが多い。
かすかにクリーム色を帯びているようだが、光線のかげんでは純白に見える。
しかも、花弁が他の花に比 . . . 本文を読む
気鋭の脳科学者、茂木健一郎さんは、
NHKの番組「プロフェッショナル~仕事の流儀」の司会者として知っているだけであった。
本屋の一角に彼のミニ・コーナーができていて、ぱらぱら立ち読みをしたのは、つい最近。彼が夏目漱石を愛読しているのを知り、「三四郎」の書評(紀伊国屋 書評空間 http://booklog.kinokuniya.co.jp/mogi/)を読んで、関心が深まった。
「脳と仮想」は「 . . . 本文を読む
紀伊国屋ブックウェブ(Kinokuniya BookWeb)のなかに、書評空間というサイトがあり、文芸評論家加藤弘一さん、哲学者で翻訳家の中山元さん、東京工業大学・理化学研究所の原正彦さんらが多くの書評を掲載している。
いまマスコミで活躍中の脳科学者、茂木健一郎さんが、そこに漱石の「三四郎」の書評をupしているのをみつけた。
その出だしを引用させていただこう。
<私は、漱石の小説は大抵何冊ずつ . . . 本文を読む
かつては入門書をばかにしていた。
原書をよまずして「***について語られた本」など、
所詮は大学の先生のアルバイトさ、と思っていたのであった。
ところが、さいきんこの手の初心者向け入門書(ビギナーズBOOK)をいくつか読んで、
いやはや、ばかにできないと見直したわけである。
むろん、草分けとなる「岩波新書」には、
名著といってもいいすぐれた著作がかなりある。
すぐに思い出すのは堀田 . . . 本文を読む
わが国知識人には、一般に右系保守主義者と見られている人がいる。戦後に限定しても、三島由紀夫、西部邁、西尾幹二、それとこの福田恆存が代表格といっていいであろうか?
小林秀雄あたりも、こういう括りをされることがあるかもしれないが、まあ、そんなことはどうでもいい。
わたし自身は、彼らの活躍の舞台である論壇には無関心だったので、立ち入った論評をくわえる資格はない。
福田さんにかぎっていえば、まず . . . 本文を読む
吉本ばななの文学は、わたしにはどうもわかりにくい。
はっきりいえば「おもしろくない」のである。
ところが「吉本ばななは売れている」のだそうである。
じっさいのところ、彼女の公式サイトは、850万ヒットにものぼろうとしている。
「BANANA YOSHIMOTO」
http://www.yoshimotobanana.com/
いったい、どんな読者が、どんな風に吉本ばななを読んでいるのか?
予 . . . 本文を読む
昨日は新幹線で東京へ、そして京葉線に乗り継いで、新浦安へ向かった。
まもなく仕事で福岡へ発つ息子に逢うためであった。
昼飯を食べ、しばらく引越を手伝った。
それから神田へいくことになった。
写真に夢中になっていたころは、神田から足が遠のいていた。
日曜の神田、古書店界隈は閑散としていて、本屋も半分以上閉まっている。
神田古書店界隈はいったことがないという息子と三時間ばかりぶらぶらした。別れてお . . . 本文を読む
へんなタイトルを考えついたものである。
眠りながらというのではなく、寝ころがって読んでも理解できる、やさしい入門書ですよ、といいたいのである。少々生意気ないい方をすれば、著者が考えたのか、編集者が発案したのか知らぬが、いかにも座りが悪いことばである。
「入門書」としたのでは、類書にうもれてしまうと判断したのであろう。
現代は「ポスト構造主義」の時代と呼ばれているそうである。
19世紀から2 . . . 本文を読む
数学者岡潔と文芸評論家小林秀雄の対談「人間の建設」が古本屋の100円コーナーにおいてあった
本書の刊行は昭和40(1965)年で、わたしの記憶では、中学だか高校のころには、いなかの本屋の棚に、新本としてまだならんでいた。
理数系でのちにコンピュータプログラマーになった友人が、「おもしろいから、ぜひ読んでみろ」というので、読んだのであった。
高校生の人生経験と知的水準でどの程度理解できたかお . . . 本文を読む