仕事である場所へ向かう途中、利根川の河川敷に河津桜が咲いているのを見かけた。用件は30分あまりで済んでしまったので、その道をもどり、駐車場にクルマを置いて、カメラを2台手に取り、歩いていった。ニコンD7000には、40mmマクロがいまでも付けっぱなし。はじめ河津桜をクローズアップ気味に狙ったが、おもしろくも何ともない。で、人物スナップに切り替えた。デジタル一眼に長玉のズームをつけたおじさんが二名、遠くから見物人のスナップを撮っている。土曜日とあって、老夫婦や若いファミリーなどが、パラパラとやってきては、しばらく桜を嘆賞しては、自分たちの記念写真を撮って、またどこかへ引き揚げていく。オリンパスのFnボタン2には、デジタル×2ズームが割り当ててあるから、ワンタッチで168mm(35mm換算)の中望遠に早変わりするけれど、やっぱりこういう場合は、お声をかけて、了解をいただいて撮るほうがベターである。
. . . 本文を読む
2011年4月15日。この日、わたしは数年ぶりで、お花見をした。場所は前橋市M公園。友人ご夫妻と別れ、それから一人で1時間あまりカメラ散歩をし、何枚かの写真を撮った。さっき見返していたら、この日は最高気温26℃あったのだ。いろいろなことを思い出した。こういうとき、mixiのありがたさを感じる。2010年の4月には、クラシック音楽を熱心に聴いている。また「過去からの手紙」と題して、90年代の写真などを引っ張り出して、13回にわたって連載。M公園のお花見は、写真的にいえば、わたしにとって、過去最高のお花見だったのだ。トップにあげた作品が撮れたからだ。これは勝手にわたしが「この年の最高傑作!(ベストショット)」と決め込んでいる写真(笑)。
. . . 本文を読む
驚いた!近隣の住民たちが、国有地たる烏川河川敷を不法占拠している。
それは、かなり広大な面積におよび、ご本人たちが、手作りした住居や農作業のための小屋が、憶測でおおよそ0.8km~1.9km四方にわたって、点在している。それを知っていて、わたしはここを撮影地に選んだのではない。偶然きあわせ、こういう光景に遭遇した。河川敷といっても、広大な昔の氾濫原である。わたしは20代のころ、精神科の病院に事務スタッフとして勤務したことがあり、高崎から下仁田へ向かう上信電鉄が、烏川の鉄橋をわたり、左へカーヴしていくこのあたりで、自殺した青年の遺体収容にあたった経験がある。うつ病の回復期は、自傷行為や自殺のおそれのある患者がたまにいて、スタッフは気をくばっていた。
片方の脚が轢断されたり、内臓の一部がはみ出してたれ下がったりした遺体を担架にかき集め、そのあとで、轢断現場を浄めるため、買っていった大量の日本酒を鉄路にそそいだ。さいわい顔には大きなキズはなかったものの、それからおよそ1ヶ月、わたしは牛肉・豚肉をいっさい受け付けなかった。
. . . 本文を読む
わたしには大勢のマイミクさんがいて、いろいろな写真がアップされてくるのを愉しみに拝見している。
しかし、自身の作品を棚にあげて、生意気なことをいわせてもらうなら、「パーソナルなまなざし」を感じさせてくれるひとは、ごくわずか。なぜそうなるのか、わたしはよく考える。写真はおそらく、クリエイティヴなものである。お花や茶道や歌舞伎のように「型をまねる」ことによって生まれてくるものではない。いや、ごく初心者のころは、学習することが必要になる。被写界深度とは何かは、知らないよりは知っていたほうがいいから。あるいは、適正露出はどんなことをいうのか、・・・自分なりの“基準”は、もっていたほうがいいから。
. . . 本文を読む
町歩きの醍醐味はどこにあるのだろう?
じつのところ、わたしはそれをうまく説明できない。
それを確かめたくて、町歩きをしているようなものである。
散歩写真ということばがある。いつ、だれがいいだしたか知らないけれど、ほかにいい表現が思いつかない。しかし「散歩写真」というこの表現に、わたし自身が納得しているわけではない。「そうかなあ。おれが撮っているのは、散歩写真なんだろうか?」そこで出会ったのが、ベンヤミンのいうフラヌール。このキーワードを鹿島茂さん経由で知ったとき、なるほどと思った。日本語に訳すと「遊歩者」になる。ちくま学芸文庫からW・ベンヤミン・コレクション「パサージュ論」が出ているので、買ってきて、少し拾い読みしている。
. . . 本文を読む
16日深夜、マイミク・ケンちゃんの日記で、吉本隆明さんの訃報に接した。「ああ、とうとう“そのとき”がやってきたのだな」
わたしは深夜に眼をさまし、それから一、二時間起きていて、二度寝するという悪いクセがある。カメラ雑誌をとじ、ベッドに横になって、照明スタンドを消す。なかなか眠りはやってこない。真っ暗な中で、吉本さんのことを考えてみた。そうして、一編の詩にたどりついた。
それは40行あまりで、「定本 吉本隆明詩集」の中にある。出会ったのは、わたしの二十歳のころ。その詩句を正確に思い出そうとするのだけれど、歯がゆいことに、ほとんど思い出すことができない。
「いい詩だったなあ。あれを詩編の代表作といったら吉本さんは否定するだろうけれど、あそこには、吉本さんの少年期の原風景がある。気負いのようなものはいっさいない。 . . . 本文を読む
足利へいくのを決めたのは、高速道路にのって、しばらく走ってから。
これまで、何回か訪れ、そのたびに小さな感動を味わっている足利。
古河市や栃木市も候補にはあったのだけれど、結局は足利に決めた。
わたしにとってははじめての二眼レフ、“プアマンズ”ローライのヤシカマット124Gのデビュー戦であった。「そうだ、日本最古の学校といわれる足利学校を最初のショットということにしよう。悪くないぞ!」
そして市営無料駐車場へクルマをとめて、久しぶりに(・・・たぶん10年ぶり)、どきどきしながら、120のネガカラーを装填した。
ブローニーフィルムによるファーストショットは、歩道橋の階段から撮影した、史跡足利学校である。はたして、ちゃんと撮れているんだろうか? フィルムのISOは400。はじめのうちは、iPhonの露出計を使ったけれど、めんどう臭くなり、途中からは経験と勘で . . . 本文を読む
まだ繁忙期が終わってはいないにもかかわらず、ストレスがピークに達しそうなので、むりやり休みをとって、一昨日は伊勢崎市周辺、昨日は足利市旧市街を歩いてきた。足利へいったのは、ヤシカマット124Gをデビューさせるため。そして、オリンパスOM-1の感触も、久しぶりに味わってきた(^^)/ まさに、写真三昧の二日間。足利についてはあらためて書く。
今日は、伊勢崎市編。伊勢崎市へ出かけたのは、オリンパスの超広角ズーム、9~18mmF4~5.6の試写をかねて、利根川べりを散歩する目的があった。しか~し、あいにく、立っているのがせいいっぱいという強風が吹きまくる一日となった(^^;)
そこで、ある看板を眼にした。
これがそれ。
. . . 本文を読む
ほぼ10年ぶりの新ケータイ、iPhon4が、一昨日の夜にやってきた。
ドコモのキャンセル料が約12,000円。セットアップに、1時間のうえかかったので、まるでパソコン並。ここでびっくりしたことがふたつあった。
1)取扱説明書がついてこない2)ストラップが取り付けられない
「へええ、そういうコンセプトなのか!?」機種は1種。色はクロ、シロだけ。まったくケータイ音痴の三毛ネコさんは、眼がシロクロ、シロクロ(@_@)ドコモに入っていた電話帳はキタムラでは移動することができず、夜7時半すぎに、近隣のソフトバンク前橋営業所へ飛び込み、約250件分を移動してもらった。これがなければ、即座に仕事に支障をきたす(^^;)
. . . 本文を読む
マイミク・ケンちゃんと、友人のマンションでETV特集、吉本さんが、昭和女子大学・人見記念講堂で行った講演のビデオを見たことを、昨日のことのように覚えている。
講演は「芸術言語論 ――沈黙から芸術まで――」。
車椅子に乗って現われた吉本さんは、老いさらばえていて、ちょっと胸を衝かれた。襲いくる病とのたたかい、老衰とのたたかいは、ずいぶん前からははじまっていたのである。わたしのような世代の人間にとって、吉本さんは、特別な人で、遠くから亭々と聳え、大きく葉をひろげた巨樹を仰ぐように、仰ぎ見て、生きてきた。
吉本さんの本は、何冊あるか、数えたことがない。読み解こうと挑んでははじき返され、とてもとても、わたしの理解の手がとどくような人ではなかった。
. . . 本文を読む