昨日は仕事場の近所にある敷島公園「バラ園」を散歩。
ここは、以前に比べて、とてもつまらない場所になった。
花博がやってきて、公園が改造されたのである。
かつては広々とした藤棚があった。北側には、手入れがいきとどかない水生植物園もあった。
そのあたりには、いろいろなチョウがいたし、甲虫やカメムシを撮影できた。
「この花はなんでしょうね」
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アジェは後世が発見した写真家である。
ウィキペディアのアボットの稿には、こう書かれている。
『1925年に、フランスの写真家、ウジェーヌ・アジェと出会った。アジェが死ぬと間もなく彼の作品をまとめて手に入れ、散逸から救い、最終的にはニューヨーク近代美術館に購入させることに成功した。』
つまり、ベレニス・アボットが屋根裏でつつましく、貧しく暮らしていた街の写真師アジェと出会っていなければ、アジェの数万点におよぶあの貴重な作品群は、その大半が散逸し、歴史の彼方にうもれてしまっていただろう、ということ。これは写真史の本では必ず語られている有名なエピソードだから、知っておられる方が多いだろう。
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「自己と他者」と日本語で書くと、とても重たくなってしまう。
だけど、これは、写真の本質のようなものを、ずばり一言で衝いた表現ではないか・・・と、ずっと考えていた。
アマチュアで、「その人固有のまなざし」をもっている人は、そう多くはない。
お手本を引きずっていたり、なにかありきたりのフィルターで風景を眺めたり、
すである美の形式をなぞったりしているだけ。
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さーてさて、あと4日で4月が終わる。
「毎日日記を書く」というのが、これほどしんどいとは・・・。
まあ、数行ですましておけば、さして負担にはならないのだけれど。
このところ、三毛ネコsyugenは、すっかりRICOHの宣伝マンになっている。
CX4にこれほどハマるとは、はっきりいって「想定外」なのである。
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遅き日のつもりて遠きむかしかな
わたしが若いころから好きだった与謝蕪村の一句である。
遅き日とは、「遅日(ちじつ)」を訓読みにした語で、日永になっていく春の日のこと。
たとえば、須賀敦子さんの「トリエステの坂道」の世界を、ひとことでいい換えれば、この一句に収斂してくるようなものである。
過去をふり返らず、まっすぐに歩いていけ・・・などと、人はよくいう。 . . . 本文を読む
4月は張り切って毎日日記をアップするぞ、と決めて24日が経過した。
さあて、今日は・・・なにを書こうかにゃあ。
そうだ「夜への階段」の新作についてちょっとだけ書いてみよう。
1.撮った写真
2.撮れた写真
3.撮らされた写真
微妙な感覚なのだけれど、写真にはどうもこの3種があると、三毛ネコsyugenは考えている。
1は、撮影者の撮影意図が、はっきりとつたわってくる写真。
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大きなタイトルをつけてしまったけれど、たいしたことを書くわけではない。
森山大道さんの「NAKAJI」(講談社)を買ったので、古くからの一ファンとして、
何事かしるしておきたくなったのだ。
フィルム時代から写真をやっている人で、森山さんの名を知らない人はいないだろう。
情の荒木経惟。知の藤原新也。そして、情と知のバランスがとれていて、
21世紀に入るころから、国内での評価にくわえ、国際的な評価も高まり、巨匠の仲間入りをした森山さん。
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このところ、いくつかのシリーズを並行しながら、けっこう精力的に撮り続けているけれど、
そのひとつに「草木図譜」がある。
そこで今年やっているのが、六本木の定点観測。
いや、七本木、あるいは八本木なのかも知れない。まあ、しかし、六本木・・・とわたしは名づけている。
通勤途上に見える光景で、毎日のように見ているあいだに、
季節の移りゆきを記録しておきたくなった。
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たびたび書いているように、昨年10月にLX5がきて、
それまでチョウや甲虫に向かっていたわたしの関心は、じつに久しぶりに写真のど真ん中に帰ってきた。
アマチュアらしくいろいろなジャンルを遍歴したけれど、昆虫写真に向かうまえにたどり着いたのが、ストリート・スナップだった。
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今年も近隣の神社に咲く御衣黄桜(ぎょいこうざくら)に、運よくめぐり逢うことができた。
つまり、この1年、なんとか、かんとか、生き延びてきたということで、
いろいろな幸運や、周辺の人びとに、黙って感謝を捧げざるをえない。
来年ふたたび、この桜にめぐり逢えるように・・・と、そんな気持ちがじんわりと心にわき上がる。
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