いつか読もう、読むだろうとかんがえて、5-6冊買ってあった。
それがひょっこり出てきたので、この機会にそのうち一冊をきちんと読んでおこうという気になった。
種田山頭火といえば、有名なのが「草木塔」。
泉鏡花の「草迷宮」をおもわせる、カッコいいタイトルだと、かねがねあこがれていた(^ー゚)
いつもいつも、つまみ食いじゃしょうがねえなあと反省したわけだ。・・・いつか、いつかでやっといまごろ。
昨日 . . . 本文を読む
お茶の間でビールを飲んでいたらケンタが入ってきて、後ろの家具の上へ。
「おんやあ」(?_?) と振り返ったら、磨りガラスにアマガエルさんがへばりついている。
照明器具の明りに慕い寄る小さな虫がねらいなのだ。
そのカエルをケンタが窺う。
ガラスというものがどーゆーものかわかってねえな、そもそも(^○^)/アハハ . . . 本文を読む
おっとそこで横になっているのは獏さんか
ぼくも隣りへ寝かせてもらおう。
おやおーや またしてもるんぺんしてるんだね。
笑うとそのときだけシアワセなので
年中笑っている獏さん
まじめにふまじめだったがどこへいこうが獏さんは獏さん。
どんづまりの塀ぎわで笑っている。
ぼくにその笑いをわけてくれ。
バケツの底が抜けたような顔で
沖縄の陽気なうたを歌ってくれ。
獏さん 獏さんよ。
※ い . . . 本文を読む
(2019年5月 本庄市)
夢という文字を見ながら
「夢」ってこれでいいの?
と文字に見入ってしまう。
これでいいの これで。
なぜかというとこのところ
へんな夢ばかり見て
なかば魘され なかば涎をたらし
長いことその余韻のようなものから
身をふりほどくことができない。
おっと あれをしたら
これもしなくちゃ。
日常の雑事のほうへ寝返りを打つ。
かんがえてみたら 「魘」も「涎」も . . . 本文を読む
「百人一首」の評釈。ここには「折々のうた」の大岡さんがいる。
最後の順徳院まできっちり読んだのは恥ずかしながらはじめて(^^;)
カルタという文化にはさしたる興味はないけど、百人の一首という詞華集のおもしろさは類書のなかでピカイチなのは論を待たない。
詳しくは書かないが、おいしく、おいしくいただきました( ´ー`)ノ . . . 本文を読む
口吻を目一杯のばしてお食事中のイチモンジセセリさん(@_@)
あっちこっち、この時期どこへいっても、イチモンジさんをお見かけする。
こういった排泄物(アブラムシの仲間の)が好きなので、日陰でゆっくりいただいておりまする(・ω・)
ヒャハハ、こんなのがうまいなんて。
きみも舐めてみる? . . . 本文を読む
(2013年10月 前橋市)
煙をもくもくはいて 大きな音をたて
蒸気機関車のように走ってゆく。
それはあんたのことさ。
自分では大したことをやっていると
こころのどこか端っこでかんがえているのだ。
ズバリいえば ネットに依存した生活。
・・・のなかの喜怒哀楽
が
中心になっていてね。
その中心を少し移動させたくても
どこへいったらいいか
途方に暮れる まるでヤマトシジミみたいに。 . . . 本文を読む
(2013年8月 前橋)
汗が出てゆく
今日もぽたぽた。
汗が出てゆく
汗となってでてゆく。
なにがって 汗という水分が
血管を通って皮膚に達し
そこから外界へと蒸発する。
その一粒ひとつぶが
ことばだとしたらどうだろう。
しょっぺえおやじでも
甘い詩もあるだろうし
塩辛い詩もある。
その人特有のにおいもある。
汗となって出てゆく。
汗はほんとうに詩によくにている。
詩は汗ににてい . . . 本文を読む
新しいレンズまたはカメラがやってくると、儀式のように、その機材を撮影する。
田中長徳さんならライカ&偽ライカだが、わたしは国産一眼レフが好き。
レンジファインダー機は近接撮影能力に難があるのがその最大の理由。
ボディはクローム(シルバーではありませんぞ)。
ごく普通なのでお値段も安いしね(ノ_σ) . . . 本文を読む
原書房の「定本山之口獏詩集」が、無名の遺稿集などと同じ200円+税のコーナーに置いてあった。
元値段は1300円。
手に入れてうれしいというより、悲しくなる、その凋落ぶり。
欲しがる人だれもいない? それとも単なる無知の仕業?
古本がどんどん値下がりしてゆくので、既存の古書店が消えネットオンリーとなるのだろう。
日本人は本を読まなくなった、驚くほど(=_=)
海外でも同じなのかしら? . . . 本文を読む