■佐藤さとる「だれも知らない小さな国」講談社文庫2010年刊(改定版)
何年前からだろう、10年、いや20年、いやいやそれ以上たつんじゃないかしら。この「だれも知らない小さな国」を読みたいと思いはじめて。
「だれも知らない小さな国」はこれまでも買って手許にあるはずだけど、旧版はいまからかんがえると活字が小さくて、読む気にならない。
出版社は文字を大きくするたびに改版し、価格をあげてゆく↑ そう . . . 本文を読む
このところレビューのUPが億劫になっている。モチベーションが下がっているのだ。
mixiでいえば“マイミクさん”をふやす努力をしたり、gooのブログも相互リンクをやったりした方がいいのかもね(現在は相互リンク0)。
さもないと、このままFade-outもありうる(´・ω・)?
そのときがいずれやってくるけど、遅かれ早かれ。
それはともかく、本3冊の簡単なレビュー(印象記)を、飽きもせず書いておく . . . 本文を読む
■「ドリトル先生と緑のカナリア」ヒュー・ロフティング(井伏鱒二訳) 岩波少年文庫 1979年刊
これはわたし的には、シリーズ最高の傑作と高く評価しておく。
遺作を3番目の妻ジョセフィンとその妹オルガ・マイクルが補筆して、1950年に刊行された作品で、岩波少年文庫の現行版では385ページとなる(ヒュー・ロフティングは47年に死去)。
粗忽窮まりないが、わたしはごく最近まで雌のオウム、ポリネシアと . . . 本文を読む
さきにも述べたように、これまでほとんど無関心であったファンタジーノベルに関心が出てきた。小学校時代はもちろん、中学生になっても、本を読む生徒にはほど遠い存在であったのだ。
70にもなって、なぜ児童文学なのか!?
本へのとびら――岩波少年文庫を語る (宮崎駿 岩波新書)
この本との出会いが、わたしを児童文学の世界へ導いた^ωヽ*
それは間違いないとおもえる。
もう一つは、敬愛する福岡ハカセが、「ド . . . 本文を読む
このシリーズは間違いなく児童文学あるいは少年文学の傑作シリーズである。すでに定評があって、何世代かにわたり多くの読者を愉しませてきた古典。
ちなみに岩波少年文庫には、小学3・4年以上と但し書きがある。
井伏鱒二の翻訳が刊行されたのは1950年代だが、ヒュー・ロフティングの原作は1920年代からはじまっている。
念のため、一覧表を掲げておこう♪
・第1巻『ドリトル先生アフリカゆき』1922年
Th . . . 本文を読む
「こんなことありえないだろう!?」
いやいや、だからこそのイメージの快楽にはまる。
人間は空想する生き物である。大人になって、現実の何たるかを知ると、だんだん煮つまってきたり、息苦しさを覚えたり、隠者願望にとりつかれたりする。
ほとんど無自覚に、脱出口をもとめてさすらう。
わたしがそうであるようにそういう人間がほかにもいる・・・と推察したくなる。
大人でも子ども同様、マンガやアニメやファンタジー . . . 本文を読む
蔵書の中で、最近ますますふえてきた文庫本。
どこにでも持ち歩ける、小型軽量の本がわたしの私的なステージの主役となっている。
“小さな玉手箱”といったらいいのかしら?
あらゆる本にいえることだけど、封を切って、読んでみないと、中から何が出てくるかわからない。それらのうち、もっとも小さいのが、文庫本で、つぎが新書。
どちらもわたくしめにとっては、欠くことのできない“心のごはん”なのありまする(。-ω- . . . 本文を読む
ドビュッシーの曲に挿絵を付けた絵本『おもちゃ箱』や、『ノアのはこぶね』で知られるアンドレ・エレという絵本・挿絵作家がいたのだ。
青柳いずみこさんの「ドビュッシーのおもちゃ箱」で沼辺信一さんが紹介記事書いている♪
おもしろいなあ、好奇心全開(;゚д゚)
エレの絵の一部(画像検索にて拝借)
アンドレ・エレのプロフィールはこちら。
https://www.bibliopoly.co.jp/he . . . 本文を読む
BOOK OFFにいったとき、ふと目についたので買ってきた。
14編の短編が収められている。小学生-高校生向けに編集されたものらしいが、童話集というのでもない。
表題となった「蝗の大旅行」と「美しい町」を、日溜りに停めたクルマの中で読んだが、う~んおもしろかった。佐藤春夫なんて、名前だけは知っていたが、読んだのははじめて。
大正15年改造社刊。
わたしが手に入れたのは、昭和52年の復刻版(ほるぷ . . . 本文を読む
アリス! この子どもの話、きみにあげよう。
やさしい手で、これを置いておくれ、
子ども時代の夢が、思い出の
神秘のリボンに編まれているところに。
遠い土地でつまれ、しおれてしまった
巡礼の花冠(はなかむり)のようにね。
(序詞より 北村太郎訳)
この名高いファンタジーには、じつにたくさんの訳書があり、どれで読むかは読者のお好み次第。
わたしの記憶では高校1年か2年のとき、英語学者・岩崎民平訳( . . . 本文を読む