写真はきまじめなものばかりではなく、細工をこらして、色や構図を変化させ、おもしろく遊んでみよう・・・と考えたことがあった。むろん基本はストレートフォト。だけど、リコーのCX4だとか、PENデジだとかは、クリエイティブモード、アートフィルターなんていうエフェクト機能がついていて、遊び心をくすぐられた。こういう「お遊び」はやりはじめはワクワクするけれど、飽きるのもはやいような気がする。わたしの場合でいえば、いまではトイモードくらいしか使わなくなってしまった。
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もう死んでしまおうと思いつめた孤独な老人が死ねずに長いながい道を歩いてもどってくる。
そのゆっくりとした足取りとうしろ姿を共感をこめてぼくは見ている。きみは郊外の住宅を売って
町中の中古マンションとあまった予算で新型のボルボを買ったんだってね。10月になるってのに まだヒマワリが咲いている。あと10年くらいは生きられるかな きみもぼくも。昨日からまた「死の家の記録」を読みはじめちまってね。ドストエフスキーのさ。
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昨日、古くからのマイミクで、一度ぐんま昆虫の森でお逢いしたことのあるMiniさんから、「ぜひもっと夕景を撮影して下さい」とリクエストをいただいた。いろいろなジャンルを幅広く撮影しているけれど、彼女の写真の真ん中には白鳥がいる。どうしても一枚引用したくなったのでさきほど「事後承諾となりますが、お許しを・・・」というメッセージを書いたところ'`,、('∀`)
どうだろうか、この一枚。彼女の白鳥に対する、せきあぐるような「思いのたけ」が十分つたわってくる。美しい無心ないのちへのあこがれや、出会いの感動、別れの悲哀は、見るもののこころを打たずにおかない。
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朝焼け、夕焼けは空がもっともドラマチックになる時間帯。朝焼けは自宅にいるので撮れないけれど、夕焼けならば・・・ということで、このところ、ちょっと夕焼け評論家気分を味わっている(^_^)/~わたしの場合はすべて手持ちで、カメラ任せにすることが多い。機種によっては夕景モードがあるから、へたに自分でなんとかしようとあがくより、カメラ任せのほうが、いい結果が出る。ただ、露出補正は頻繁におこなっている。レタッチは必要最小限。やりすぎると、嘘っぽくくどくなる。
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時間よ止まれといっても、どうか矢沢永吉のヒット曲を連想しないで欲しい。ああいうリズミックなサウンドが描き出して見せる、楽園の出来事みたいな物語性や、トロピカル&セクシーな幻想世界とはほど遠い現実を探して歩いている。地味でうらぶれているのだ。急いでいるときは、すっとクルマで通りすぎてしまう。それらは日本中にばらまかれてある。だんだんと数は少なくなっていくが、丹念に探して歩けば、見つけ出すのはそれほど困難ではない。なにかって?そう・・・滅びつつある、昭和という時代のカケラ。吹き溜まりというのか、よどみというのかわからないけれど、そのあたりでは、時間はほとんど止まったままだ。
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世界は驚きと感動に満ちている。・・・と、ほんとうにいえるのだろうか?スナップショットはそういう問いかけからはじまるような気がする。「世界は驚きと感動に満ちているか?」あまりにベタな表現で気がひけるけれど、それを確認するための作業が、撮影という行為の底にかくれている。それを1年2年3年に渡って、営々と継続し、積み重ねていく。現在わたしは315件ものアルバムをmixiに置いてある。それをすべて見返し、必要なものだけを残す!
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カメラ情報誌の定番といえば、わたしの場合「アサヒカメラ」「日本カメラ」の二誌のほか、最近月刊誌となったエイ出版の「カメラマガジン」をよく買うようになっている。他誌と比べておもしろいと思うので、クルマに放り込んでおいて、ヒマがあると、木陰に駐車し、よくパラパラと眺めたり、読んだりしている。メカ記事もよく読むタイプ・・・ではないかとおもう。プロのグラビアもけっこう楽しませていただいて、腕を研いている、・・・と本人は考えている(笑)。興味深い記事や写真が数多く掲載されている中で、「日本カメラ」10月号の広田尚敬さんの「うつむきかげん」がふっと気になって、撮影データをみると“サイバーショットRX1”と書いてある。
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今年も曼珠沙華を撮りにいこうかなあ。通勤途中や自宅周辺では、田の土手が、ところどころ赤く染まっている。曼珠沙華は短期間で土の中から、にょきにょきと伸びて、たちまち赤い炎のような花をつける。茎の強度が足りないせいか、大風が吹くと、この茎はたやすく折れて、見るも哀れな姿になる。場所によっては土手を野焼きしているみたいに、真っ赤に染まって、秋の空と鮮やか対比を見せてくれるから、昨年はずいぶんとクルマを飛ばして、訪ね歩いた。それはともかく、今日は「夜への階段」というシリーズの新作をいくつかピックアップしておこう。
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紀伊国屋書店でカメラの情報誌を買ったあと、そんなことを漫然と考えながらクルマを走らせていると、空の青さが襲いかかってきた。というか、心の底までスカイブルーに染まりながら、くしゃくしゃした感情をクリーニングしたくなった・・・とでもいえばいいのか?谷川俊太郎さんが若いころ書いたこんな詩の数行を思い出した。空の青さを見つめていると私に帰るところがあるような気がするだが雲を通ってきた明るさはもはや空へは帰ってゆかない陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私たちは拾うのに忙しい人はすべていやしい生まれなので樹のように豊かに休むことがない<人はすべていやしい生まれなので樹のように豊かに休むことがない>
なんという痛烈なことばだろう。わたしは“樹のように豊かに”という表現のまえで立ち止まる。そうか、樹はそれ自体、ある途方もない豊かさを持っているんだ、とおもう。
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快晴がつづき朝晩ぐっと冷え込んで、秋の気配が濃くなってきた。赤城山麓へクルマを走らせれば、彼岸花=曼珠沙華の赤で田の土手が染まってしまうような光景が、今年も見られるだろう。どんなに夏が暑くても、秋は忘れずにやってくる、忍び足で。撮影モードがほぼOFFになりかけているが、日中の気温がもう少し下がれば、ONにもどるだろう。例年、そのくり返しだから。わが家の雄ネコテンちゃんのたたずまいにも、ようやくくつろいだしぐさが見られるようになった。
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