そのあと、散歩がてら敷地内をふらふらしていたら、はじめに妹の家のキャンディが、つづいてわが家のテンちゃんが近づいてきた。「甘えればなにかうまいものがもらえるんじゃないか」そんな雰囲気をただよわせ、まとわりつく(笑)。はじめに手を出したのはキャンディ。近づこうとしたテンちゃんは、驚いて応戦。雌猫って、けっこう性格がキツイのが多い。ライオンなんかを見ていればよくわかる。仲よくしようとしていたテンちゃん、たじたじ(~o~)これ、スフィンクスに見えるよね(笑)。
そして大あくびーー。テンちゃんは3才だけれど、わたしの推測ではキャンディは1才になったばかり。妹の家で十分な餌をもらっていないとみえ、毎日のようにわたしのところ . . . 本文を読む
仕事のあいまをぬって、早春の気配をもとめ、野山を散策してみた。
梅が咲いているのではないかと期待があったが、まだほんの一輪、二輪が咲きはじめたばかり。温暖な南関東よりは当然のことながら半月か、それ以上遅れている。野山はまだ冬ざれのまま。しかし、地中では着々と春の準備がすすんでいるのだろう。眼を転じて田の畦を歩いてみたら、南斜面に、期待したような早春の気配を見つけることができた。雛祭りをすぎてしばらくすれば、一雨ごとの春となっていく。 . . . 本文を読む
正岡子規への関心が再燃し、子規の本を持ち歩いて読みあさっている。
さて、子規の代表句といえば、これ。鶏頭の十四五本もありぬべし
はじめて読んだのが中学だったか、高校だったかの教科書で、それ以来、子規の句といえば、こればかりを思い出した。その後、辞世の三句も知るにおよんで、子規への敬意をいだくようになった。糸瓜咲て痰のつまりし仏かな痰一斗糸瓜の水も間に合わずをとヽひのへちまの水も取らざりき
これが絶筆となった。その意識を失う最後の病床の様子は弟子たちがつづっているけれど、読みながら鬼気せまるものを感じるのはわたしばかりではあるまい。
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やがて朝がやってくる。人間が人っ子ひとり見あたらない静かな
・・・壊滅的な朝が。きみはそれを想像しながらにんまりと悪魔的な笑みをもらす。「つけがまわってきたんだ。にもかかわらず まだこの地球に借りをつくるつもりなんだね」影法師のように存在感のない背中の曲がった男が小声でささやき姿を消す。夢のような現実。「人間がこの地球をつくり出したのではなく地球が人間をつくり出したのだ。そのことは忘れないほうがいい」影の男はそういっていたな。
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ところでトップに掲げたのは、一昨日BOOK OFFの散歩で手に入れた本、2冊。左)芭蕉自筆 奥の細道(岩波書店)《今世紀最大の発見!250年ぶりに姿を現した幻の自筆本。芭蕉研究に新たな問題を提示する一級資料。創作方法の秘密を解明するおびただしい推敲の跡》(本書帯文)半値だったので、この帯文につられて買った(笑)。原本表紙は「おくの細道」という表記になっている。「序」は尾形仂さん、解説は櫻井武次郎さん、上野洋三さんが書いておられる。刊行は1997年。芭蕉の紀行文と、子規の随筆はオーバーにいうと、目下わたしの「座右の書」となりつつあるのですね。ナハハハ。
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寝ようとしていると、玄関あたりで猫の鳴き声。「ははあ、テンちゃん、きたな」わたしがドアを開けてやると、大抵そのまま二階へ駆け上がっていく。ここは滞米中で主がいない娘のベッド。一晩中外にいることもあるが、寒さが厳しい夜は、パトロールのあとはここが塒(ねぐら)。おやすみ(=_=)「あー、こっちも眠いや」 . . . 本文を読む
歌人若山牧水に、つぎのようなとても有名な歌がある。白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふこれを現代文で解釈すれば、こういう意味になる。《白鳥(しらとりよ)お前は悲しくないのかい?海の青さにも、空の青さにも、どちらにも染ることさえできないのに。私は哀しくてたまらないよ・・。》ところが牧水の原文はつぎのような文字遣いとなっているそうである。しら鳥はか奈しからずや そらの青 海のあおにもそまずたヾよふ古文でよく見かける「かなし」はいろいろなニュアンスがあって、とても現代人が普通に使う「悲しい」「哀しい」には要約はできない。
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うろ覚えで恐縮ながら、そこに正岡子規の食にまつわるエピソードがいくつか紹介されており、これにインスパイアされるようにして、「病床六尺」「仰臥漫録」を読んだ・・・ということはすでにどこかに書いた。
このあいだ岩波文庫「飯待つ間(めしまつま)」を手にしたのも、この本に収録された「くだもの」という子規のエッセイが読みたかったから。いやー、こんな痛快なエッセイはそうめったにあるものではない。本書のタイトルとなった「飯待つ間」も悪くはないけれど、この一編といえば「くだもの」にとどめをさす。彼は自分でも認めているように、異常なほど食い意地の張った男であった。
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正岡子規に対する関心がいつごろ芽生えたのか?以前「病床六尺」「仰臥漫録」を読んで圧倒されてしまい、この二草庵摘録にも書評をアップしてある。私見によれば、近代における俳句や短歌は、子規によって息を吹き返した文芸である。子規の大才がなかったら、はたしてどうなっていたか、知れたものではなかろう。それほど彼の功績は大きいものがある。
というわりにはその後関心がそれてしまって、ろくすっぽ読まずにここまできてしまった。わたし自身は俳句はつくらないが、芭蕉、蕪村、一茶は教科書で習ったときから心惹かれ
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なにか巨大なものがクラッシュする前ぶれかなあこんなに静かなのは。
ぼくの胸の真ん中にホトトギスに似た鳥が棲みついていてねときどき夜中に身動きしたり囀ったりするんだ。それがなにかをなにかということを正確に表現するのはほとんど不可能なんだけれどたしかにホトトギス・・・といって悪ければ たぶんホトトギスといっておこう。椅子から立ち上がって頭をこづいて咳払いして また坐りこむ。ぼくの見えない隣人はさっきからそんなことをくり返している。
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