わが家で水仙の花が咲いた。まだ一輪、二輪。気の早い花は、咲いてはみたものこの寒さに震えているかな?隠居部屋の南側は北風があたらず、お天気がいいとポカポカ陽気の日溜まりとなる。近所で暮らす半野良や野良猫がよく日向ぼっこしている。「あー、もうそんな季節になったんだ。あそこへいったら、野生の福寿草がかたまりになって可愛らしい花群を競っているだろうなあ」賃貸業はこれから繁忙期となるし、確定申告もひかえているから、遊んでばかりもいられないけれど。「水仙、俳句」でキーワード検索したら、こんな句がピックアップできた。
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こんな写真が撮れたので、アップしてみよう。自然がつくり出す影のアートといっていいだろう。類似の写真を、これまでもずいぶん撮っている。
カメラをもっていないと、見過ごしてしまうかもしれない。晩秋から初春にかけては太陽の位置が低い。まるでステージのフットライトみたいにやってきた光が、おもいがけない影をつくり出す。真夏だって、太陽があるところ、いたるところに影が出現する。ここは軽井沢の別荘地。おもちゃの兵隊さんみたいに、わたしが現われたら、すばやく元にもどって、なにくわぬ顔をしている。
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風邪をひいているわけではないがぼくは今日は外に出たくない。家にとじこもって なにを考えるなにをするでもなく音楽に耳をすましている。
そんな日が 少しずつふえていくのはなぜだろう。十一時になったら ドアを開けて出ていこう。それが十三時になり 十四時になる。聞こえるか聞こえないかのピアニッシモが剃りのこした無精ヒゲを震わせる。レコードがフォルテシモにさしかかるとスズメたちの囀りがピタリとおさまる。
ことばの中の水たまりを ミズスマシがすいすい泳ぐ。
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中島敦(1909~1942年)は近代文学史上屈指の才能の持ち主だった。未完の大器というと、北村透谷、石川啄木、国木田独歩、梶井基次郎を思い起こすけれど、この人もそのひとり。志なかばもいかず、33才で病に倒れた。はじめて読んだのが、たしか高校の教科書に掲載されていた「山月記」であった。そのときは、やたらむずかしい漢字が出てくるため、読みにくく、手こずったという以外、これはという印象は残っていない。高校生には所詮むずかしすぎる。「山月記」は「李陵」とならぶ、中島敦を代表する秀作。しかし、ここで取り上げたいのは、そのどちらでもなく「名人伝」である。数年前、この文庫本でわずか12ページ(新潮文庫)たらずの「名人伝」を読み返していて、いくつかのうれしいサプライズを味わうことができた
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冬薔薇と書いて、ふゆそうびと読む。
このことばから、谷村新司「群青」の歌詞を思い出す。
ネット検索していたら、ほかにも該当する歌詞候補がいくつかひっかかってきたけれど、冬そうびというと、あのヒロイックかつ哀切な歌を連想せずにいられない。♪手折れば散る 薄紫の野辺に咲きたる 一輪の
花に似て儚なきは人の命かせめて海に散れ 想いが届かばせめて海に咲け 心の冬薔薇♪
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先日、前橋市内にあるお寺さんの境内を散歩していたら、こんな実がたくさん落ちていた。そのときは「ビワかしら?」と思ったけれど、マイミク葉流さんに「これなんでしょう」と質問され、とても気になってきた。
以前親しくさせていただいたかぜくささんの「私の回り道」へいって、何ページか閲覧したけれど、わからない。
http://nono22.sakura.ne.jp/kinomi/index.html . . . 本文を読む
今年から新企画をスタートさせる。それがこの「短編小説10編を読む」である。日本の近代文学から5編、世界(海外)の文学から5編を、とりあえずリストアップしてみた。いたって気まぐれまので、途中で挫折もありうる。あるいは、直前になって、リストを変更し、違う作品と差し替えるかもしれない。ほんとうは、モームのように、あるいは池澤夏樹さんのように長編小説10編といきたいが、時間的な制約があるうえ、精神的に少々フィクション放れしているので、短編とした。日本の近代文学5編1.寒山拾得(森鴎外)2.「思い出す事など」の中の1編3.「忘れ得ぬ人々」国木田独歩4.名人伝(中島敦)5.出征まで(大岡昇平)
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バックハウスは1884年(明治17)に生まれ、1969年(昭和44)に85才で亡くなっている。ベートーヴェンの直系といわれる20世紀最高のピアニストのひとり。たいへん厳しい態度で演奏会に臨み、音楽の“録音”がはじまった初期のころから、85才で亡くなるまで、多くの名演を収録し、後世に「遺産」としてつたえた・・・そういう意味では、ピアニストとしてはめぐまれた巨匠であったとおもう。わたしが意識してピアノ音楽を聴くようになった30代なかばのころ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタは、バックハウスで聴くか、ケンプで聴くか、限られた予算とにらめっこしながら、をその都度大いに頭を悩ませたものであった。ポリーニでモーツァルトを聴きながら、「ではあのころ感動したバックハウスはどんな演奏家だったのだろう」と、気になってきて、数日まえに、ベートーヴェン、ラスト3曲のピアノ・ソナタを聴きなおしたところ、これがいま聴いてもやっぱりすばらしい名演で、深く心を動かされてしまい、「そうか・・・忘れていたものがよみがえってきた」と胸をときめかせたのであった。
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変な人がやってくる。この星の住人にとてもよく似ているけれど少し どこかが違う。もしかしたら うんと違うのかもしれないな。それがぼくにはよくわからない。新しい人たちがやってくる。ぞくぞくとやってきて 歩いていったり座りこんだり 歌ったり 議論したり。年をとった者たちは立ち去ってゆく。干からびた乳房の薄暗い峡谷を通って。新しい人はやってくる。鍋は火と出会いやさしさは破壊と出会いぐらぐらと街路で煮られる。見ろ 見ろ!あんなにも大勢の人びとが
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売れゆきがよくないせいか、このところ、BOOK OFFの値付けが、一時期よりさらに低下している。マンガやゲームソフトのことは知らないけれど、音楽CDでは、半額コーナーから500円コーナーへ、さらに数ヶ月店ざらしとなると250円の棚へと移動する。移動しないCDもある。いったいどんな基準で、これらの値下げを決めているのだろう。写真は昨日、会社帰りに買った4枚のディスク。インターネット上の配信サイトからダウンロードして楽しむ音楽ファンがふえて、CDの売れゆきが鈍っていたが、昨年はポピュラーミュージック業界で、AKB48(ほとんど聴いたことがないから知らないけれど)等の活躍のため、CD売上げが盛り返したというニュースを眼にした。CDは今後も長期低落傾向がつづくだろう。デジタル音源にしてしまえば、SDカード、MiniSDなどに、何百曲も収録し、持ち歩きできるようになる。
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