(2015年10月 前橋)
たいせつなものは
ほんの少ししかありはしない。
川は流れないとよどんで
いやなにおいを発しはじめる。
時代がよどんで
いたるところ悪臭がしている。
すぐに慣れて感じなくなってしまうから
問題にしようとする人は百人に一人もいない。
たいせつなものは
ほんの少ししかありはしない。
だけど ほんの少しのたいせつなものを
なおざりにしてきた。
よどんだ空気の底 . . . 本文を読む
(2019年5月撮影)
<承前>
香料(香、香水、香炉、香気をふくむ) 24編
薔薇 12編
岩波文庫でチェックすると、香料、薔薇をタイトルにふくむ作品が36編存在する。これは瞠目すべき数である。
だから大手拓次を「薔薇の詩人」と称するわけだ。
男と女の色恋のロマンではなく、孤独な詩人の枕辺にあらわれるあえかな幻影の薔薇である。
また大手拓次を「薔薇の詩人」といったとき、近代 . . . 本文を読む
(2019年5月撮影)
<※ 長くなったので、本稿も2回に分けて掲載させていただく>
大手拓次についてはせんだって小論を書いたばかり。
しかし、岩波文庫版「大手拓次詩集」(原子朗編)を手に入れ、ぱらりぱらりと読んでいるうち、書き足しておきたいことがいくつか出てきた。
大手拓次について語ることは、日本の「近代詩」について語ることと同義ではないか、とかんがえはじめたからだ。
現在手軽に . . . 本文を読む
(撮影 2014年10月)
「精密検査をうけたら 悪いところばかりさ」
と苦笑いしていた友人が亡くなって
ぼくは淋しくなってしまった。
だれかと突然走り出すなんてことはもう永久にないだろう。
夢中になって二時間 三時間
バルザックやカフカについて話ができた
そういう友人を失ってしまった。
ああ なんということだ。
なんということだろう。
淋しさのなかの真昼
淋しさのなかの真夜中。
. . . 本文を読む
過去からの手紙31は、すでにUPしたことがあるこれにしよう。
いまどき、どこへいってもマスク星からやってきた“マスク星人”だらけ。
マスクをしないとコンビニにすら入店をためらう(>_ . . . 本文を読む
(ブラームスの評伝とオリンパスOM-2N 2020年4月)
老年というものは こんなにもすみやかにやってくるのだ。
うとうと昼寝をして目を覚すまで ほんのわずかなあいだ。
さっきアゲハチョウがある花から つぎの花へ飛び移ったぞ。
つまずきそうになって足許をふっと見やる。
ああ 向こうで 洟たれ小僧がたわむれにひっかいたような数本のケヤキが
六月の空の下でにじんでいる。
あんなにも苦し . . . 本文を読む
(2016年4月 前橋公園)
名前は他のものと区別するため付けられる。
おれはあんたじゃないし あんたはおれじゃない。
のしかかってくる名前 逃げてゆく名前 隠れている名前。
いずれにしろこの地球という大海原の一滴にすぎない
どんな名前だって。
動物や植物には図鑑があって
それで名前を調べることができる。
ところが人間には図鑑はない。
すべて固有名詞だから?
ぼくはきみじゃないし き . . . 本文を読む
(浅間山夕照 2018年3月)
ピジョンブラッドのルビーを通過してきた夕焼けが
一日のへりを鮮やかに染める。
それは天空のかなたから
地上を見下ろす神のまなざしであり
まぶたなのだ。
季節をまたぐ川風になぶられながら
甘酸っぱいパイナップルのアイスをかじりながら
公園のベンチに腰をおろし
ゆっくりと四方を眺めたり
意味ありげに俯いたりする。
大事なものはまぶたの草むらに落ちている
. . . 本文を読む
(風車 2018年7月)
心地よい春の風を背中にうけて
きみは緑の海を帆走する。
うねっていたり雨が降ったり
変わりやすい天気に翻弄されて。
絵のなかから抜け出した少年が
別な絵のなかの少女を手招きしている。
「さあ ぼくの隣りにおいで
いっしょに帆走しよう」と。
少年は心やさしい少女と手をたずさえ
ステンドグラスの透過光に染まる異国をめざす。
「ねえお腹すいたわ 一休みしましょう . . . 本文を読む
(love loveナミアゲハ 2014年8月、わが家の庭先)
このあいだリビングに詩客がやってきた。
かのアンドレ・ブルトンが。
・・・といいたいところだけれど
やってきたのは拓次さんだった。
むっつり黙りこんだまま
ほとんどしゃべらない。
「コーヒーを淹れましょう。
まだ午前中だから」
垢でよごれた和服に懐手しながら
ときどき頭をこつこつ叩く。
「うるさくて困っているんだ」
「な . . . 本文を読む