苦悩から目をそらさずみつめ続けていると見えてくることがある。
苦悩は神=いのちを正しく生きるためのシグナルだということだ。
しかしこの理解の道筋にはまだその奥があった。
「苦悩は神=いのちに向かう道しるべ」という理解のその奥にこんな真実に行き当たった。
つまり苦悩は、まさにこの苦悩そのものが起こっている場所、その場所を私に指示しているのだということだ。
そう理解したとき、私は苦悩を生み出す重荷が肩から外れる思いがした。
苦悩とは、心の痛みだが、
その痛みを感じる空間こそ、神=いのちそのものなのだという理解が突然私にやってきたのだ。
痛みを感じるこの場所、私には自分の胸の奥の方に広がる空間と見える。(が、他の人にどう見えているか分からない。それどれが感じるしかない特殊空間だ)
苦悩はその空間が歪み、痛み始める。その激しさによっては、引きちぎられるような痛みを伴う。「胸が引き裂かれる」という言葉はきっとこの空間の不調和を指しているのだと思えた。
そしてこの空間こそ、私の本質、神=いのち、の姿なのだと。。
私の正体はこの苦悩の起こる、まさにこの場所そのものなのだと理解できた。
それは、私に無罪判決が下りる瞬間だった。
人は、一切の罪を背負う必要はない。もともと罪など存在しない。責任など存在しない。
ただ在ること。
その無垢なる心から始めればいい。
私なら、絵を描く。神=いのちとしてやりたいことをすればいい。
こころざしが「私」を神に融合させてくれる。