苦悩は理念思考が作り出す虚構の産物だ。
それははっきり分かるようになった。
すると、何か辛いことがあっても、そこから思考が連鎖して次々と苦悩を深めていくことはなくなった。その頃から考えると格段に成長したと確信する。
苦悩がやってくると、これは虚構で、自分の考え方次第でどんなものにも変るとまず思い定める。するとその苦悩の利点を考えるゆとりが出来る。その苦悩は自分にとってよい何かの理由があると思って探せば、必ずその理由は見つかる。
すると苦悩は生まれたまま成長しないでしばらく止まっているが、自然に消えていく。
それが出来なかった頃は、生まれた苦悩に対して、それが自分にとって悪い側面ばかりを見ようとしていた。すると苦悩は、それに輪をかけた苦悩となり、どんどん自分を暗闇に押し込んでいくというのがいつもの流れだった。
この違いは大きい。
苦悩は次々と生まれてくるが、それにかかわらないで居れるようになった。
苦悩は自分が作り出した虚構だと得心したからだ。
すると感性をクリアにすることが出来る。私は絵描きだから、これが何よりありがたい。
(2012/10)
5年前の記事ですが、今これを読み返すと、この考え方が正しかったという根拠を示すことが出来ます。
五次元の概念を通して見れば、それはすっきりと頭に収まるのです。
つまり、五次元を視覚的に理解出来るようになったことで、2012年からさらに進歩したことを知ることが出来る訳です。
私たちの心は2チャンネルからなっていると前回申しましたが、それを図で示しますと上の図のようになります。
チャンネル1は図の青い横線、時間軸で表されます。ヒトの場に流れる時間ですね。
「苦悩は理念思考が作り出す虚構の産物」五年前の記事ですが、これはまさに時間軸に沿って眺めた風景であることが分かります。
この苦悩は、チャンネル1で映し出されたドラマなのです。
苦悩はこの時間軸の上で起こっているのですね。
そして、虚構というのは、時間軸で動く思考の映し出すドラマ。真実はスケール軸が貫く今、この瞬間。そう考えると頭がすっきりします。
誰もが知っている通り、ドラマは台本次第で悲劇にも喜劇にも変わります。
そして台本をつくるのは、ほかでもない、自分のこの思考ですから、苦悩を感じたら、そこから逃げないで、悲劇の台本を喜劇の台本に変える努力をすればいいのです。
いずれにしても、チャンネル1で見る番組は、自作自演のドラマだと知ることです。
悲劇から逃げると、悲劇はさらに深刻になりばかりです。悲劇に同調してるのと同じことになりますので、取り合ってはいけないのです。そっとしておくことです。
そして苦悩を感じたら、チャンネル2に切り替える
すると悲劇を喜劇に書きかえるヒントがそこにあるのです。
チャンネル2に切り替えると、瞬間に私たちは、今、この瞬間に戻ります。そして宇宙のシンフォニーに包まれて、心を癒し、そこで喜劇の台本を見出すのです。
新しい台本を携えてチャンネル2に戻る。すると、私たちは少しづつ自分の感性を人のために使えるようになる。
こんな話があります。
なんでも「ありがたい、ありがたい」と言って暮らしているおばあさんがいました。
そのおばあさんの連れ添いが病気になったという話を聞いた村人は、
今度こそおばあさん、嘆き悲しんでいるに違いないと、おばあさんの家に行ったのです。
するとおばあさんはやっぱり「ありがたい、ありがたい」と手を合わせて感謝しているではありませんか。
村人はおばあさんを疑いましたが、やがて心を打たれるのです。
おばあさんは
「おじいさんにお世話ばかりかけていたが、今度は私がお世話出来る」
そう言って「ありがたい、ありがたい」と
感謝していたのです。
台本は誰一人例外なく。
己の思考がつくり出しているのです。
台本、そしてその書き手は自分自身。…13年前のゲームで出会っていながら随分忘れていました汗(そのゲームでは”FF10”といいます。)
今ならようやくそこに手が届く気がします。自分の人生の意味は自分で決める…今はそんな感じです。
そして「おばあさんの話」。いい話をありがとうございます。私はかつてこんな話の方を見たことがありました。
ある精神科医におばあさんに先立たれ嘆き、”この苦悩に何の意味があるのか?”と尋ねたそうです。
その時の答えが
「その苦悩はもしあなたが先立たれ、おばあさんが残された時に背負うことになった苦悩。あなたはおばあさんの代わりにその苦悩を背負うことで…おばあさんを救ったのです。」と。
まだ私には難しいですが、いつか「思考を沈め、透明になった感性で…何か心に残るものを作れたら。」と少々。
いつも、こうした心に響くお話を…ありがとうございます!
こんな話(精神科医)にどうして人は感動するのだろうと、^ね^。
感動というのは、心地いいですよね。
理屈で、これはこうだから、感動するなんていう回路はどこにもありませんから、
明らかに思考の外からやってくるものです。
折師さんのおかげで、そのことに気付かされました。
ありがとうございます。
折師さんの柔軟な感性に祝福です^ね^