母が亡くなる前の3年間、病室で線と色塗りの絵を描き続けました。生涯絵など描いたことのない母でした。リハビリに絵をと思いつき、始めたものですが、それが私に「心のデッサン」を開眼させてくれたのでした。
その感謝の気持ちを込めて、母の3回忌に残してくれた「心のデッサン」を私の文を添えて冊子を作りました。
心のデッサンをより深く知っていただくために、この本を掲載していきます。参考にしていただければ幸いです。
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花 子 (母のリハビリ絵画録)
絵 北籔 ハナコ
文 北籔 和(Waa)
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(1)2009.1.**(初めての絵)
80歳の母が大腿骨の骨折で入院した。 リハビリで歩行訓練が出来るところまで快復した母のベッドに行った私は愕然となった。
母の姿がベッドに座る屍に見えたのだ。生活に追われ、自分を遊ばせる趣味など持つゆとりもなかったのだろう。見えない牢獄につながれたような退屈の極み。そう思うと憐れで胸が詰った。
「なんか描いてめえへんか」手元にあった紙切れを拾って、母に渡した。
「そがなもん、あかんて」
「そういわんと、これに線を引いてみいな」私はカバンからマーカーを取り出してその手に握らせた。
母はしぶしぶマーカーを持った。
「線を引くだけでええんや」
「描(か)けりゃせんよ」母は頑なに拒む。
「描かんでええさか、線をひいてみいな。そやったら出来るやろ。ほれ、どっからでも引いてみ」
母はようやく紙の端にマーカーの先をのせた。そのまましばらく動かない。インクがしみて拡がっている。
「そこから横に動かしたら線が引けるやろ」
おそるおそる母の手が動いた。一本の線が紙の真ん中を横切る。紙の上で迷い巡るように次の線が生まれ始めた。やがて一枚の絵が出来た。私が見た母の初めての絵、大切な第一作になった。
ニコニコしながらクレヨンで、線をはみ出しながらも、不器用そうでも器用に塗る様子を、子供達が周りを囲んで「 上手い 上手いね 」ってほめながら遊びました。
歳をとっても、なんとか出来るものなんですね。
懐かしいです ♪
子供にほめられながら遊べたら、最高ですね。
幸せだと思いま^す^
うちの母なども、身体が思うように動かなくても、手さえ動けば線をひいて遊べたのでいいめぐり会いでしたね。
こんにちは!
お母様との
「二人のお絵かき教室」
すばらしいです^ね^♪
ほんとうにお母様が先生で
のしてんてんさんが生徒さんかもしれませんけれど、私も学ばせて頂いております。
それに穏やかで力強く趣き深遠なる
和歌山の言語☆龍神村言語にも感動して
おります。龍神村言語が息づいておられるのしてんてん画伯にも感動です!
お母様の純粋無垢なお心お気持ちも不滅ですね。のしてんてんさんとのご縁も未来永劫不滅☆今もいつもお母様とはご一緒ですね☆お母様にどうぞよろしくお伝えくださいませ♪
ところで光陰矢の如し梅雨になりましたが、昨日は梅干しを漬けました。
わたくし流ですけれど、梅酢が上がりましたら赤紫蘇を入れますが楽しみです♪
のしてんてんさんもどうぞ
素敵な梅雨をお過ごしくださいませ☆♪
いつものしてんてん天力を
ありがとうございます!
感謝一念
まかこ 拝
その黒い点が、マーカーを紙の上に置いたまま動かなかった間に、インクが染みて点になって拡がったものです。
それだけ時間がかかって、ようやく生まれた線が水平線となったのでしょう。
それから島が出来たり、船が浮かんでいたり、
母の中にあったイメージは分かりませんが、何かが見えていたのは確かです。
ためらいの長い時間があって、それからはたどたどしいながら、線をひいてくれました。絵を描く母を見た初めての記憶ではないかと思っています。
梅干し、楽しみですね。
紫蘇の香りが伝わってくるようです。