気にかかっていることが思うようにいかない。そんな時、ため息とともに憂鬱が心に沁み込んできます。
全身が鈍感になったような心もちがして、自分が取り残されているような気に成ったりします。
よく分からないけれど、なんだか悲しい・・・・
そんな時、ちょっとだけ勇気を出して紙と鉛筆を用意しましょう。
ほおづえをついたまま、自分のため息とともに線を引いてみるのです。
こんなふうに。
ため息の線が出来ました。すると、あなたの中で何かが変わったのに気付きませんか?
今まであなたは憂鬱で、悲しげな気分の中に居ました。あなたはただそんな気分を漠然と感じるだけで、具体的なものは何も見ていなかった。どうです?そういえばそんなふうにも思えますね。
つまり、変わったのは、あなたの漠然とした意識が、自分の描いた線にしっかり焦点を当てたということです。線はちっぽけなものかもしれません。しかし今、これはあなたの意識の中心にあって、輝いています。自然に2本目の線が生まれます。
最初の悲しげな線が一部分となって、なにかもっと大きなものに進化していくような予感がします。手の動きを止めないで次の線が生まれます。
心はすっかり、絵の方に向かっていくようです。手から生まれてくる線をあなたは見ています。ドラマティックだと思いませんか?私は線が生まれていく様を見ていると無心になれます。その時、その瞬間は何も考えていません。車窓から外をながめているような気分だと言えばいいでしょうか。
最初の線は完全に、ひとつの絵の部分になってしまいました。
さらに手が動きます。
気持ちが納得しませんので、もう少し線を引きます。
そして色、いまの気持ちにぴったり合う色を探して、紫色に
そして茶色
青。
仕上げの色にはっきりした青がいいかな。
なにか物足りない。赤をすこし。
最後に、絵の雰囲気をなじませるために、グレーを使ってみました。
最後の仕上げは、絵をつくろうとした、創作欲です。ここまで気持ちを持ってこれたら、最高です。
この絵はパソコンにある簡単なお絵かきソフトで描いたものです。
紙に描く場合は、線引きのあと、水彩絵の具を薄めて、イメージに浮かぶ色を上からぬってみてください。
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はるひ美術館による北籔和展(ナウイズムの夢)のご案内
2017/2/8~2/26
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絵に線を1本入れるだけで画家のその時の感情表現では?と当然の事ながら素人ながら思いました。ムンク止めるまで線を書きたかったし、ゴッホは見えない渦をただ書きたかったかも?
ダリの絵はダリにも分からないし誰にも解らないですね。多分急にここに蟻を書きたかっただけ?かも。
愚詠
吐息を線にすると絡み合い色が付いて心のかたちになる
これは 確かに聞き覚えあります
のしてんてんさまのアートは
頷きながら拝見させていただいてますが・・
凡人には 難しすぎて
コメントは躊躇してしまいます(^^)/
でも 来年も楽しみに 拝見したいと思います
来年もよろしくお願いします
これ、だじゃれ伯爵の垂涎の的でしょうね。時々訪問してくれる方なのですが、記事の中からダジャレを探してつながってくれのです^よ^
ところで、自閑さんのご高察に痛み入りました。
まさに、作家は、ここにそれを描きたかったから描く。それ以外にはありませんね。その線や色が心地よいし、落ち着くからで、他意はないのではないでしょうか。
そうでなかったら、作品は説明的な絵か、子供の宿題になってしまいますよ^ね^。
誰にもわからなくていいのです。
分からないから今を生きる。そう納得して私などは、毎日絵を描いております。
そこで一首
ため息を線に託して神まかせ。わからないまま息を継ぐ吾。
お粗末でした。
延さん(こんな呼び方でいいですか)は山歩きで、大げさに言えば神様の造形の中に身を置いておられます。
神様の杯など私には到底見ることが出来ないものですし、日々素晴らしい体験をなさっておられるのですから、コメントに躊躇などと、お気遣いなさらないで下さい^ね^
山に理由がないように、私の絵にも理由はありませんから、久住の石ころと同じ目線で、ご鑑賞ください^ま^せ^