のしてんてん系宇宙は無限に続く生命体の連鎖である。この世界を認識するためには私達自身がスケールの軸を自由に移動する能力を必要とする。それは私達が自然に身につけてきた「私」という認識主体を根本から覆す。
私達が見ている世界は「私」というスケールを原点にして認識された空間である。自分の存在を唯一尺度として世界を認識する世界といえるだろう。天動説のごとくに世界は自分を中心にして動いていることになる。 「私」に対して 大きすぎる世界も、小さすぎる世界も、見ることが出来ないために認識することが出来ない。それが私達の世界観であったのだ。
しかし「私」=認識主体は変動する。自由にその大きさを変えることが出来るのだ。事実私達はそうする事でこれまで認識できなかった世界を知ることが出来るようになったのだ。それがのしてんてん系宇宙の姿なのである。
「私」=認識主体は不動ではないということは、自分が正しいと思うものだけが正しいという認識の誤りを明らかにしてくれるだろう。正しいことは人の数だけ存在する。それを認め合う社会はのしてんてん系宇宙が常識にまでたかめられた時に初めて実現するだろう。
不変の「私」を持ち続け、富を幸せとする社会は半数しか幸せになれない。幸せは多数の犠牲の上に成り立つ。それが今の世界であり、戦争の絶えない現実と言えよう。
しかしのしてんてん系宇宙から見た幸せは心の中に存在する。すべての人が同時に幸せになることが出来る。人は等しくみな神の子であり、同時に自らが神として存在しているのだ。
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