のしてんてん系宇宙とは、何十億いるその一人ひとりが自分を主人公にした宇宙のことであり、その人の数だけ存在するのです。それが可能なのは、のしてんてん系宇宙が認識でつくられた宇宙だからに他なりません。
その認識の限界の話でしたが、空間と時間の4次元に現れる無限の他に、さらにもう一つの無限をお話しなくてはなりません。それがスケールの無限です。のしてんてん系宇宙の中心にあるスケールの系をさします。極小から極大に向うスケールの軸のその先には私達の認識が完全に伸びきった無限が現れます。
スケールの系を認識することによって、私達は4次元の認識世界を何倍にも出来る大きさを認識することが出来ます。
それは神を認識するにふさわしい大きさですが、そこにも無限が現れてそこで私達の認識は閉ざされてしまいます。
次回はその無限を説明して、5次元宇宙であるのしてんてん系宇宙の全体像に迫ることにしましょう。
うれしかったです。
確かに存在する体と世界、そしてさらにそれを確かなものだと感じさせる限りあるすべての生と死。そして永遠という宇宙の果ての真実。繰り返すもの。そのふたつはなぜ相反する性質を持ってして様々なものを産み出すのか。
私は子供のころから目に見えないものにばかり興味を持っていて、いつも目に見えないものばかりを見ようとしていましたが、やはり認識の世界にははてはなく、どこまでもどこまでも遠い。
私もいつかは、自分の中で少しでも真実に近づくことができたらと思ってはいますが、認識と現実が一瞬合わさって真実に触れてしまった瞬間、とてつもなく怖くなることもあります。
ほんとうは時間なんというものもないのだと、観音様の声を聴いたとき思いました。
先生の宇宙、私の宇宙。
すべては一つ。
上手く言えませんが、わたしも一人一人が特別な存在であり、神様でもあるのだと思います。
すべての命が。そして自分も。だからこそ、大事にしないといけないと。
そのむこうにあるものは、まだわからずにいます。
なんだかとりとめがない上に長くなってしまい、申し訳ありません。
読んでいただいてありがとうございます。
自分の隅から隅まで、良しと認めることです。
自分に対する負のイメージに対して、それが自分にとって良いことだという理由を見つけ出すことです。
真実が怖いのはそれが未知の世界だからだと思います。真実は安らぎのことだと考えたいですね。
カトマンズーの展示までに、その指標となるべき主張をニポイズムと称して考えています。
いろいろな意見をお願いしますね。