自分の身体を無限に大きくしていくという空想は、極大に向う広大な宇宙空間を私達に見せてくれました。
荒唐無稽と思われてもかまいませんが、しかしそのように想像できるということは否定できませんね。荒唐無稽であろうと、それは私達の想像力であることには間違いありません。私達はそのような認識を持つことが出来るのですね。
さてにもう半分の、のしてんてん系宇宙の広がりを見てみましょう。それは極小に向う世界だと、もう想像できますよね。
そうです。自分の体を無限に小さくしていくと、そこに見えて来る世界もまた絶句する大きな宇宙をイメージすることが出来るのです。
再びミクロの決死圏を思い出しましょう。あの映画は身体を細菌ほどの大きさに縮めたときに見える世界の中で繰り広げられたドラマでした。人間の空想の力はさらにその先に進むことが出来ますね。
さらに身体を縮めると、今まで見えていた頭の中の組織の世界は分子が寄り集まって出来ていたことがわかります。
体が素粒子ほどの大きさになると、私達の見る風景はまるで宇宙空間です。太陽系のように見えるのが原子の姿です。銀河に見えるのが分子の集団です。体の中にこのような広大な空間が広がっている。そんな空想が出来るでしょうか。
私達の想像力はそこで終わりませんね。スケール号はその見えている素粒子の一つを目指して飛び、その表面に着陸することが出来ます。するとそこはデコボコした地面に違いありません。そして生物もいるでしょう。そう思うと自然にヒトのような生き物も浮かんできますね。
素粒子の上に住むヒトをのしてんてん系宇宙では素人(モトヒト)と呼びます。そして極小の世界はさらにモトヒトの体内に向かいます。
さあ、私達の認識の触手はもう止まりません。素人の体内にも素粒子の世界があり、そこには第2の素人が住み、無限にこの認識は伸びていきますね。どこまで行ってもさらに小さな世界が見えてくる。これが極小の宇宙なのです。
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