(26)2010.3.7(絵の神様)
今日は一本の堂々とした線を引いた。
その線から次の線が生まれ、次々とまっすぐな横線が平行に拡がっていく。
母の姿はもう絵描きになりきっている。線に乱れがない。
ところが途中で母の手が止まった。何かに逡巡している様子だ。私はしばらく様子を見ていた。
「こいだけやったら足らんの・・・」独り言のように聞こえた。
「おい、どう描いてほしんなら?」
驚いたことに母はスケッチブックの上に身を乗り出して、描いたばかりの線に向かって話しかけた。
何が起こっているのか理解する前に、私の中に感動の波が押し寄せた。
母の心が柔らかくなって、絵と繋がってきたのだ。そこから若さが戻ってくる。いや、年齢を超越した絵の神様と話をする母の姿だ。
「まるを描いてみたらええのとちがうかな」
私が言うと、早速母の手が動き出す。小さな円がいくつも生まれる
集中したその心がとても気持ちいい雰囲気を作り出す
色塗りもずいぶんなれてきた。そして今日は、サインも書けた。驚くことばかりが続く。
ここ数ヶ月、手の動きが不自由になったのか自分の名前が書けなかった。 だから2倍嬉しい。
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この日は私にとって忘れられない光景として今も残っております。
母が絵に向かって話しかける
それは自分が絵を描く者という意識が知らないうちに出来上がっていたということなのかもしれません。つまりそのとき母は画家そのものだったわけです。
趣味とかいうものとは違うし、画家と言っても人の気に入る絵を描くとか売れる絵を描くというようなものとも違う。
純粋に描く人となっていたということなのでしょう。
それは実は私自身の絵に対する想いと同じだったのです。
絵の理想を見たような
確かにそんな気がしたのです。
**この記事は連載26回目です。
1回目から続けて読みたいと思われる方は、このブログ右側の欄にある検索窓に「母のリハビリ絵画録」と入力して検索ボタンを押してみてください。
80才を超えて一度も絵を描いたことのない人でも、絵を描いてみようと思うだけで簡単に絵を楽しめる。母の絵画録はそれを教えてくれていると思っています。
今からでも絵の楽しさを体験してみませんか。
この御絵を拝見させて頂き、霧の摩周湖を連想致しました。
5月頃の、まだ残雪がある山の中。
あるいは10月初旬の残暑、寒くなりかけの頃。
絵を見つめるお母さまに〇( まる )が降りてきました。
絵に加えた〇〇( まるまる )は、霧のように見えました( 個人的にです )
山の草木の陰から見える霧の摩周湖。
神秘の極みです。
※ 文中、私見に酔ってしまいましたことをお詫び申しあげます。
絵というものの本質を母に見せてもらったという思いは、私自身の酔っぱらい現象ですから、sure.kusa様に気持ちよく酔って頂くと○でサケをさかなにサケを飲みかわし、頬を赤らめている気になります^よ^
あらためて母と共に御礼申し上げます。