有島武郎の『生まれいずる悩み』は、中学生の頃に読み、高校で再読し、成人を超えて絵を描き始めてから、行き詰った心に救いを求めて三読した。
何よりこの主人公の、自然を有りのままに愛する姿に惹かれたのだ。そして少し成長してからは、生活に押し流されながらも、自分の内心の喜びをごまかすことの出来ない主人公に共感した。
厳冬の雷電峠の雪原に踏み込み、雪に覆われた山に向い、食も忘れて激情のままにその山を写し取っていく主人公の姿が、私の絵に対する理想の方向を決定づけたと言ってもいいだろう。
あるいは、裕福な友人を訪ねながら、その家からは顧客として扱われない主人公の心が鮮明に浮かび上がる。
絵を語る時だけは対等思えた友人が暖かな夕餉に立って行ったあとに、一人残された主人公が雪山で食べなかった弁当を開き、凍てついてボロボロになった握り飯を口に運ぶ。パラパラと指の間から凝れ落ちるのも構わずむしゃぶりつく己の姿に思わず涙を流し、友の家を逃げるように出ていく。
有島武郎に君と呼ばれる主人公の心を、私はむせぶような暗愁の中で感じとっていたのだ。それは弱者として社会に押し流される悲哀と、屈することに対する己への怒りのようなものであり、いつしか私は自分の志の根源にその心を棲まわせていることに気付いたのだ。
それにしても小説では君という呼びかけでしかない主人公が私の目の前で具現化し、思い悩む時代を通り越して成熟した絵を見せられた私が、言いようのない淋しさを感じるのはなぜだろう。
私はまたしても心の中で一人、里依子を取り残しているのだった。
HPのしてんてん
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