館内は人が少なかったために私達は随分ゆったりと絵を楽しむことができた。一枚の絵を胆のうするまで眺めると、私たちは自然に歩調を合わせて次の絵に向かって歩いた。その先に木田金次郎の絵があった。
「この人は有島武郎の『生まれいずる悩み』の主人公のモデルになった人です。」
絵の前に立つと、里依子はそう説明して私を見た。
木田金次郎の絵は3枚掛けられている。その中で馬の絵が私の気を惹いた。高い山の裾野に広がった牧場で、時を忘れたように草を食んでいる数頭の馬。その背景の山から崇高な気配が漂い、その柔らかな色調は成熟した絵のように思われた。
しかしその絵は、有島武郎の『生まれいずる悩み』を何度も読んでいた私が想像していた絵とはかけ離れていたために、ある種の違和感を抱かざるを得なかった。
私のイメージの中には、若々しく荒削りで、力強い絵が私自身の絵の理想と重なるように存在しているのだ。描きたいという意思が生活と環境の圧迫によって、あたかもホースから水を飛ばすように、その圧迫が主人公の精神を激しく外に押し出そうとする。その力が働いて描きだした絵でなければならないのだ。しかしここにある3枚の絵はどれも静かにうごめいて丸かった。
むろんそんなことを里依子に話すつもりはなかった。それよりも里依子に教えられた木田金治郎のエピソードが、それまで意識の外にあった有島武郎の小説を思い出させ、私自身の根の部分を光の中に引き出してしまったのだ。
HPのしてんてん
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