龍の図第3弾 未完(部分)
のしてんてん絵画が龍の世界に入って第3弾、願い龍。
如意宝珠を手にできない龍の姿、それはまさに己の姿でもありますが、この図にもまだたくさんの登らねばならない階段があります。
その一番大きな階段が、絵を描くということはどういうことなのかという問題です。
私の直面している課題を書いてみましょう。
この絵を画いているのはだれかという問題です。
「私」が描いている。
あたりまえの答えですが、しかし最近それは少し違っている。いえ、大きな誤りをおかしているのではないかと思うようになったのです。
のしてんてん絵画は私が描いている。
そう思ってやってきましたが、「私」が描くということは、目標を持つということと同じだったのです。それは絵の理想に向かって進むということ。本物の絵を描きたいと思い続けてきました。
それが「私」の描く絵だったのです。
しかし本物とは何なのかと問われれば、答えることは出来ません。そんなものはどこにもないと最近分かりました。
龍を描き始めて分かったことですが、「私」が描こうとすると、まず龍をイメージしなければならないということです。そしてその向こうにあるものは誰もが認める龍の姿なのですが・・・
そしてそのイメージは、結局「私」の頭が描いた図ということになるのですね。それはすべて借り物だということに気付かされたのです。
「私」というものは実は借り物でできている。それは創造ではなく、かつてどこかで見た記憶とか、聴いた話とか、そんなもので成り立っている。
「私」とはその一部始終が、社会の中で作られた借り物の姿だというのが、ひしひしと感じられるのです。
今一番大きな階段は、借り物でないのしてんてん龍を描くことですが、それを描くのは「私」ではだめだということがようやく分かったのです。
では誰が描くのか。
龍が描くしかない。もちろんこれは比喩ですが、私の中にいる龍が己を描くという説明以上にうまく言い表す言葉が見当たりません。
この身体宇宙に身をまかせること。
その実践を龍が与えてくれますように。
まさに願い龍そのものです。
「邂逅」展まであと3か月余り
龍の旅、時々生中継?いたします^ね^
こんばんは!
のしてんてん龍となって描く☆
素晴らしいです^ね^
つまり私たち森羅万象万物すべてはそれぞれ、
元来宇宙と一体です。
私たち万物は、宇宙龍動エネルギーの
物質というより限りなく空に近い粒子(龍子)で
構成されている龍体☆
有ると同時に無く無いと同時に有る
色即是空空即色宇宙素粒子龍子の龍体であると
私などは信じています。
しかも万物すべてそれぞれが、
宇宙の才、天の才によって創造、
それぞれが固有の才能を天与されている
唯一無二のかけがえのない存在。
万物は宇宙色即是空空即是色存在
常に有ると同時に無く無いと同時にある
それゆえに可能性無限大の存在と
私などは奇妙かもしれませんが
才能の発揮もそれぞれに託されていると
確信しています。
のしてんてんさんは、
宇宙龍動エネルギーと一体の
自己を超えたのしてんてん流の龍となられ、
無限の宇宙龍動エネルギーを頂き、
のしてんてん流の龍を表現、
創造(想像)なさってくださいね☆
また龍も私たち人類に認識出来ている龍ばかりではなく、
未だ認識出来ていない龍たちも私たちの周辺、
私たちの身体空間、身体宇宙を飛翔しているようにも感じられます♪
想像は創造と連動、想像出来ることは創造出来ること、
どうぞのしてんてん流の龍となられまして、引き続き
宇宙森羅万象万物すべてを活気付ける龍、
元気をもたらす龍の想像(創造)を楽しみにしておりま^す^
うまく表現できなくてもどかしいのですが
いつものしてんてん天力をありがとうございます!
今宵も善き時をお過ごしくださいませ☆
感謝感激∞8∞
まかこ 拝
すぐにお返事をと思っていましたが、今になってしまいました。
私達の本質は空であり、物質であるこの宇宙そのものですが、意識の中でそれを主人公にして生きることはとても難しいですね。
だれ一人として例外なく皆天才であるのに、それに気づけない。
それほど自我は強いのですね。
絵を描きながら、その自我と向かい合って、とにかく徹底的に眺めてやろうと心に決めてこの数日を過ごしています。
眺めていますと、そのうちに自我と天才の区別がつかなくなります。平穏な時、自我と天才は見分けがつかないのです。
ところがひとたび、心が揺れて、苦悩らしき胸の痛みを感じると、そこに自我が見えてきます。
なにものかになりたい。うまく行かないのでは・・・?焦り、不安、さみしさ、憂鬱・・・
苦悩に向かって瞑想すると自我が不安を生み出す過程をしっかり観察できるのです。
心の痛みは自我の姿をはっきり見せてくれます。するとチャンスです。
意識をその自我の外側、つまり天才に向かわせることが出来る、それが貴重な機会となるのですね。
それゆえ、苦悩はとても大切な働きをしてくれているのだと思います。
人生は苦なりとブッタは言ったそうですが、それはつまり、人は天才に向かって生きていく定めを持っているということだと理解できます。苦悩はそのための道しるべということです。
「才能の発揮もそれぞれに託されていると確信しています。」
まさにまかこさんが書かれている通りだと、私も思っています^よ^
苦悩がやってきたらチャンス。
明日はどんな苦悩を感じる事が出来るか、楽しみです。
かなり微妙な言い方ですけれど・・・^ね^
のしてんてん様
おはようございます!
こちらこそありがとうございま^す^
確かに苦悩はチャンス!
苦悩の底知れない底力は、
瀬戸際の超飛躍力
火事場の摩訶不思議力ともなりますね。
苦悩から逃げない!
苦悩の底知れない底力を
生き生きと活かせて頂きましょう。
私事で恐縮ですが、
今日は眼科に行ってまいります。
帰宅後再びこちらにお伺いさせて頂きますので
よろしくお願いいたします。
それではのしてんてんさん☆
今日もどうぞ善き日を♪
一日一生の心意気で過ごしましょうね
いつものしてんてん天力をありがとうございます!
感謝感激∞8∞
まかこ 拝
させる自分とは何なのか?
生まれてしまったが故の仕方のなさに尽きるものです。
その仕方のなさが中動態でしょう。
私は一日アトリエにこもっていました。
仕上げ段階に入った作品と向き合っているときが一番幸せかもしれません。
摩訶不思議宇宙ですね。
きっとまかこさんと同じ風景を見ているのだと思います^よ^
明日もよい日でありますように。
自分を動かしているもの、命を生かしているもの、それは生まれたが故としか言いようのないものなのですね。
それを丸ごと受け入れる中動態とはその生まれ出たエネルギーそのものの姿を認識させてくれます。
受動態・能動態では見えない真実を見せてくれますよね。
「地球の爆弾すべて花火になれ」という願いも、中動態から見ればゆるぎない真実のように思えます。
私の勝手な考え方ですが、中動態についてまたいろいろご教授頂ければ嬉しいです。