スケールの軸に沿って、自分の体を縮小拡大することで見えてくる世界とはどんなものなのだろうか。
認識主体を変動させる感覚に慣れていない私達の手助けとなるのは、1966年に制作されたミクロの決死圏という映画だろう。
物質の縮小装置で飛行船ごと縮小されて、患者の脳内に潜入して患部を治療するという物語だった。舞台はミクロに縮小した隊員の視点から見た体内の組織や細胞の世界で、その映像に斬新さを覚えたものだった。
変動する認識主体とはまさにこの映画の映像と一致する。私はこの飛行船を発展させてスケールの世界を自由に旅する乗り物を考えた。スケール号の誕生である。
タイムマシーンが時間の軸を旅する空想の乗り物なら、スケール号はスケールの軸を旅する空想の乗り物というわけだ。
スケール号に乗り込んでスケールの世界を見て回ると、驚くべき世界が見えてくる。その様々な光景は私達一人ひとりの想像力によって異なるだろうが、誰もが共有するスケールの世界の骨格は次のとおりである。
ミクロに向う世界は ヒト→組織→細胞→原子→素粒子と変わっていく。
しかし縮小は無限に可能なのだ。粒子の世界に行き着いたスケール号が更に縮小すれば何が見えてくるだろうか。粒子は地球の大きさになる。するとその表面には山や谷が見えてくるだろう。そこから一つの飛躍が生まれる。
すなわち粒子の地球にもヒトが存在すると。
そう考えるなら、更にそのヒトの体内にもミクロの世界が存在しているという空想が簡単に生まれてくる。そうなれば素粒子の中にもより小さな微粒子の存在が想像され、スケール号はその微粒子の上にも私達を誘ってくれるのだ。そして私達はその微粒子の地上に生息するヒト巡り会うう事が出来る。こうしてスケール号は私達の体内に存在するヒトの姿を無限のつながりとして理解させてくれるのである。
私はこのミクロの生命を「素人モトヒト」と名付け、スケールの世界の住人と考えた。
モトヒトはスケール号が縮小する度に現れてくる生命体であり、私達のスケールと相似の世界を構成している。これがのしてんてん系宇宙の第一の仮説なのだ。
次回、のしてんてん系宇宙をマクロに向って旅することにしよう。無論スケール号に乗ってである。
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