浄土は真実をそのまま受け入れることのできた者だけが観ることのできる世界だ。
その途上のものはただ信じるしかない。
そして間違いなく信じる価値のあるものだ。
私は何度も何度も自分に言い聞かす。
何度も何度も理解し、
何度も何度も忘れ、
何度も何度も真実を探す羽目になる。
この不毛のような繰り返しが続いた、61年の人生から、自我の生まれるまでの期間をさし引いた歳月が私の心の中に刻みつけられている。
この不毛の歩みを続けたことだけは、自分をほめてやりたい。
いじめを呼び込み、ちょっとした心の痛みにも悲鳴を上げて登校拒否を続けた。
その弱さゆえに、人に取り入ろうと思い、それも出来ない己の心の矛盾に揺れ動きつづけた人生だったが、「この心の中に、必ず幸せがある」 この思いだけは、どんな場合にも揺るがなかった。
今私は、このことを心から自分に感謝し、褒めてやりたいのだ。
そのおかげで、私は生きて浄土を見ることができた。
幾多の苦悩は、浄土に至るための道しるべだったと、言葉を超えたところで理解した。
本当の意味でゼロの地点に立っている。
のしてんてん絵画「浄土」奉賛会がそこにある。
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