(13)2009.12.1(わらわるる)
毎週土曜日、それが母と私のお絵かき教室になった。私の知る限り、これまで描線一本引いたことのない母だった。
スケッチブックを膝の上に広げてマーカーを持たせても、スイッチが入るのに時間がかかる。
マーカーを持っても手が動かない いやなのだろう・・・・ 辛抱強く待っていると、絵というより字を書き始めた。自分の名前らしいが、うまく書けない。
「なにも描けんわ」 母は苛立って投げ出すように言った。
「線引けたやろ、それでええねんで」
「笑わるる」
「笑わるるもんか、神さんがおばあちゃんの手を動かしてるんやで」
「ホイでもむちゃくちゃや」
「ほなら色ぬってみるか」
線を諦めてクレパスを手渡すことにした。
12色入りのクレパスを一本ずつお尻を突き出して母の前に差し出した。
「どの色がすきなん?」
「さあの・・」と言いながら褐色に手が伸びる。
色を塗り始めると夢中になってきた。
「その調子やで。とてもいい作品が出来たで」
「こがなもんがか?」
「そうや、見てみいな。嬉しくなってくるやろ?」
母はまだ納得していない表情をしている。それでももう屍のような母はここにはいないのだ。
それだけでも大きな進歩にちがいない。
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心が一つの段階を越えるのは並大抵のことではない。
母を見てそれがわかる。
うまく行ったと思っても、乗り越えたと思っても、
なんども何度も、滑り落ちる。
心は国のようなものだと思うこともある。
ある一団が成功して、理解に至っても
別の一団が反逆を始める。
それは嫌というほど、何度も何度も起こってくる。
上に登りたいという意志がくじかれる。
どれだけ努力しても同じだと心の国の住人が一斉に叫ぶこともある。
けれど、
覚醒した一団は散り散りばらばらになっているだけで、消えた訳ではない。
無明の国民が多いだけなのだ。
言い続ける。
恥ずかしいことなんて何もない。唯一無二の命を授かっているこの身。それはここにいるだけで、自由に線を引くだけで、神様とつながっているんだよ。
また一つ、迷いの一団が覚醒する。
仲間が少しづつ増えてくる。
けれども、心は相変わらず同じことを繰り返す。一瞬の覚醒はいつも無明の集団に飲み込まれる。
それは覚醒した一団が過半数を取るまで続けられる。
心を外から眺めると、その勢力図は手に取るように分かるけれど、心の中から眺めれば、苦悩と喜びの繰り返しにしか見えない。
それが悟りに向かう者たちの大きな妨げとなっているのだ。
何度やっても同じことだという諦めがやってくる。
「笑わるる」と、反逆する母の心は、ちょうどそんな所を通り抜けていたのかも知れない、心には「ダメ」「恥ずかしい」という想いしか見えていないのだ。
すでに覚醒した一団は、無明の中に飲み込まれている。
けれどおばあちゃん、見てごらん。
今日描いたこの絵は嘘をつかない。心の中は「ダメ」勢力が大声を上げているのかも知れないけれど、この絵はどれだけ成長してきたかはっきり物語ってくれている。
私はその時、こんな意味のことを言った覚えがある。最初のデッサンと並べてみるとそのことがよく分かる。
これがおばあちゃんの一番最初の絵や、比べてみてみ。よう描いてきたなぁ。笑わるるとこなんかどこにもないで。
何度も何度も苦悩はやってくる。
しかしその波のおかげで、確実に作品が成長している。
これは苦悩する心の中に、覚醒した心の集団が着実に増えている証しなんだと。
作品は心の中を見せてくれる。
心の勢力図なんだ。
間違いなく作品は心を応援してくれているんだよ。
いつか
心の国の住人が、過半数を超えて覚醒するときが来る
するとその時はじめて、心は劇的に変化する
深い至福が作品と共にやってくる。
心の成長とはそんなものなんだ。
自転車に乗れるようになるのと同じ
乗れるようになるその直前まで、なんども何度も倒れ続ける。
けれど過半数を得たその一瞬、恥ずかしさは過去のものとなる。
…少し傷心していた心に…染み入る温かみに感謝を。
つい先日、コミックマーケット(コミケ)に行きました※2年目。…去年と同様、お金を払って買っていただける域の作品達の姿・製作者に…自分を考えさせられることもありましたが
「自分の想いの為に自分は作品を作る」想いが自分を支えてくれた気がします。 それがこの記事を見て、より”明確に集まってくれた”と。
この記事の表現「心の国の住人が、過半数を超えて覚醒するときが来る」を始めとする心の住人達という例え。
…とても面白く、そして良い表現だと想いました…!
(昔の自分、ブログを始めたころの…迷いと不安の中を歩んでいた自分を振り返って…。)
心にほのかな明かりをともす記事に感謝を!
凄い人なんだそうですね。
息子が毎年行っていて、話を聞くこともあるのですが、若者の創作の聖地というか、カーニバルです^ね^
規模が半端じゃない。すごいと思います。
この試みは素晴らしいと思います。
これが続くのは、支えているのは若者たちの心。間違いなくそれは創作に対する思いがあるのでしょうね。
作り手(発信)と買い手(受容)
どちらもキラキラしたまさに祭典ですし、自分の位置をしっかりつかまえてその中に飛び込むのは得るものが多いのでしょうね。
たくさんの可能性があると思います。若い力だとおもいます。
自分の想いのために作品を創る。
それが結果、人のためになっている。
コミケはその新しい試みなのでしょう。
私も気になっているのですが、行ったことありません・・・・
その雰囲気は味わってみたいで^す^
”規模に関しては壮絶という言葉に尽きます。サークル数32000…、来場者が16万/日。”
ちなみに雰囲気を味わうのであれば12時以降~15時でしょうか…
※入場制限規制解除目安(並んでいる人が全員入りきるまで2時間かかりました。)~終了1時間前(帰りの混雑に合う前に離脱)
最後に
「息子が毎年行っていて、話を聞くこともあるのですが、」
…今月一番の驚きになりそうです(笑)
いつか店番以外で行ってみたくもあります(実はお手伝いにいっております笑)
よくは知らないのですが、彼の部屋にあるマス市場には出回らないようなコミック本や、フィギアなど、シャツ、タオル、ものすごい力を感じます。
この力が、何かの形で一つに向かっていくと、一人前の文化になっていく。
今はそんな時期なのかもしれませんね。
折師さん世代の心の核のようなものかも知れませんね。
機会があったら、一時間でも肌で感じたい気もします。
また新しい情報あったら、教えて下さい^ね^
うっかり「 ここなら見つからへんな ♪ 」
と声を出して、オニに見つかった。
そんな光景が浮かびました。
よく見るといろんな色が使ってある。
このかくれんぼ・・ワラの匂いがプンプンしていそうですね ♪
弁当と言えばワラの上。
私の大好きな記憶で^す^
中学の頃、たまに弁当持参の日がありまして、そんな日は学校のそばの田んぼの積ワラの上に登って昼食(もちろん一人抜け出して)
あの匂いが好きで、しばし昼寝が至福の時、いいものでし^た^
そう、私もその折の匂いを感じておりました。
あれ、師匠。
お休み終わりました?