思考地図の説明をざっと済ませましたが、何の根拠もない思いつきです。
ただ、のしてんてん系宇宙の発想は1977年でした。それから40年近く、自分の心を観察し続けてきた結果ですので、もう少しこの報告を続けていきます。すこしでも参考になれば幸いです。
さて、思考をエネルギーととらえると、自分の中に起こってくる思考は、受動的、能動的にかかわらず、全て自分の中で生み出されたものだということがわかります。
この身体が生まれた時点で、私たちの思考も、その身体を限りにして働き始めるのです。それはやがて身体が崩壊して思考が宇宙に帰るまで続くのではないかと思われます。
この生死のはざまにあって、私たちは人として存在し、様々な体験をします。それは紛れもない事実であり、思考はその人生そのものと言っても過言ではないのです。
何を言いたいのかといえば、つまり、幸不幸もまた、思考そのものだということです。
不幸を不幸と悩む者はいつまでも不幸のままですし、その不幸を他人のせいにしてしまうのは、まさに救いようのない不幸というしかありません。
思考地図を眺めながら思うことは、思考は成長するということです。それは常に気付きによって自然におこります。
たとえば、いのちを営むこの身体は、呼吸によって休むことなく「快・不快」を経験しています。空気を必要としたら「不快」が現れ、「吸」が「快」を体験させてくれます。汚れた空気に「不快」が現れたら、「呼」が「快」となるのです。
その身体的「快・不快」に気付くと、人は自分の中に起こっている様々な感情が見えるようになります。やがて言葉を得ることで、人は精神的「快・不快」に気付きます。
精神的「快・不可」はいつの間にか感情そのものとなって、一秒たりとも自分から離れることはありません。人は思考で満たされ、喜怒哀楽を生きることになるのです。
そして人は、やがてこの喜怒哀楽そのものが、実は、自分自身の思考だということに気付き始めるのです。その気付きは、人に真実を見せてくれるでしょう。思考はこのように流れていくのです。様々な気付きが思考を深めてくれます。
思考が深まれば幸せは確実に増えていきます。なぜなら、不幸は思考によって消し去ることが出来ますし、幸せは思考によって創造することが出来るからです。
誤解があってはいけませんので、あえて言いますと、薬や他人からのマインドコントロールによる幸せは、思考の停止であり、本物とは言えません。必要とする人もいますから、それを否定するものではありませんが、本来思考は個性の中で自由に働くものだと思うのです。
それゆえ、芸術は人生を豊かにしてくれますし、苦悩を至福につなげる術もまた生まれてくるのではないでしょうか。
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