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失意、あるいは絶望は、もっとも若い苦悩だ
その根底には、いのちのエネルギーで満たされている若い心がある
それゆえにこそ強く、くっきりとした苦悩となる。
原因は即物的で、明確だ。
華々しい心の舞台の上の、栄光に輝く花を盛り立てるための闇なのだ。
その根源にあるものは
欲望に他ならない。
求めるものが得られない
かなえられない欲望の叫びでもある
それはもっとも人間的な苦悩と言える。
日常を見てみるがいい
得る喜びと
失う悲しみが毎日の風景を彩っている。
光と闇の競演
それは人間にとって素晴らしい光景と言うしかない
人間として輝いている時代なのだ。
ある意味それは健全だ。
だが、絶望は特別だ。
それは新たな出会いのためにある。
人生にそう何度も見られない最高のドラマの開幕なのだ。
絶望によってお前はそのドラマに立ち会う機会を得た。
絶望は新たな出会いのための予約チケットだ
その値段(代償)が大きければ大きいほど素晴らしい未来を見せてくれる予約チケットなのだ。
お前は
最高のステージの特別席を手に入れた。
分かるか、
たとえばお前はいくつもの失恋を越えてきた。
その度に絶望チケットが、小説を生み出して見せてくれた。「忍路」もそうだ。
そしてもっとも高い代償を払ったチケットで
お前は絵画と出逢ったのだ。
絶望だけがお前に、絵画と出逢わせることが出来た。
絶望は人生の終わりではない
それは始まりなのだ。
始まりのための終わりだと見抜かねばならない。
終わりの苦悩、絶望を味わい尽くせ。
すると終わりは、必ず輝かしい始まりとなる
その代金をびた一文値切らずに、支払うのだ。
チケットは裏切らない
そしてそのチケットを読み解け!
お前は必ず新しい人生に出逢う
それが絶望の役割なのだ。
次なる一歩を歩みだせばいい。
雑談に来ました☺。
ブログの、ある種血のにじむような内容からややズレるかも…ですが。
『忍路』が失恋が書かせた小説、なのに、個人的にちょっと驚きました(スミマセン、ヘンなトコロに引っかかって)。
いや、過去のそんな思いがベースになっているだろうな~、くらいはバクゼンと思っていましたが。
北海道の取材?旅行の印象へ、青年時代の感傷を絡ませて書いたのかな?と。
リアルタイムの失恋、ではないような。
主人公の恋心が、なんとなく漠然とした印象でしたので、失恋の痛みというよりは過去の淡い恋の感傷…みたいな。
昔気質の文学青年?が、真摯に丁寧に書いている……という印象の小説でしたね。
しかし、マスター。
キタヤブ青年の恋のパターン、見えますねえ(笑)。
清楚で凛とした美人(←ここ重要)を、崇拝するように恋をする……と。
崇拝の対象外は、そりゃ『家電製品』だわ。大事には思っても女性としては愛せないし、極端な話人間じゃない。
って、『芹里菜』はフィクションだっちゅーの(笑)。
A子さんに対する主人公と作者の冷たさに、中年女性の読者のひとりとして腹立ちましたけど、腹立てるのも筋違いというものでしょう(笑)。あの作品では芹里菜以外の女、どーでもいい(いやま、最初に読んだ時からそれはわかっていましたけどね)。『エヴァ…』のだめんず親父・碇ゲンドウに腹立てるようなものでしょうか?
『忍路』にも同様のにおいがありましたから、作者の個性、なのでしょうね。
叙事ではなく、叙情。
叙情のつもりが叙情にならない、かといって叙事とも言い切れない、悩み多きむっちゃん(笑)としてみれば、若干、うらやましいような。
まあ、私は私の個性でやるしかナイですけど。
無い物ねだりより、今あるものを研きましょう。
とりとめもなく、失礼しました〰。
ハッピーアートとは縁の無い記事のようですね。無理をなさらない方が良いのでは?
絶望、魅力的に聞こえますね。
もし、私が癌の宣告を受けるなら
それが絶望になるかどうか、考え込んでしまいました。
今の私には絶望する要因が無い、なので
絶望する。。。
希望を持たないようにして生きていますが、
希望が無いと絶望もないかなあと思ったりします。
のしてんてん様の
絶望へのスポットライト当てで
絶望について再度考え直しました。
絶望のおかげで今まで生きてきたと気づかれましたね。
若かった時の絶望は試験に落ちることでしたけど、今は受かるべき試験も無ければ前進すべき希望の光もないので
かといって
絶望も無いから
人生、そう劇的じゃなくなりました。
書いていることがチンプンのカンプンですが、何か私も絶望に参加したくなりましたので。
懐かしいですね。
「北物語」など、さすがガリ版のロー原紙ではなかったですが、手書きの原稿を100枚近く徹夜で書いて、輪転機で印刷。
大会議室の机にびっしり並べて、一枚づつ拾い集めて製本にする。3人の友人に助けてもらっての製本。
若かったですなぁ
キルケゴールの言葉なのでしょうか。勉強不足で分かりませんが、大変な事態ですよね、これは。
生き埋めになっているとか、殺してくれと哀願するほどの拷問を受けているとか・・・
肉体が悲鳴を上げているときの絶望はただ恐ろしいばかりですね。
でもこれが、心のつくり出している事だったら、ハッピーアートがかかわってくる。無理をするのではなく、自然にそれはおこる。
ハッピーの原理が働く。
それはとても自然な、いのちの流れなのです^ね^
人はみないのちを生きている。
無理をしなくては生きていけないという幻想を見破る。
それがハッピーアートの目指しているトータル芸術なので^す^
四苦八苦と言われる中の、求不得苦にあたるのではないかと勝手に思っております。
絶望がない。
それは順風満帆をエネルギッシュに生きているか、諦観して疲れているか。
どちらかなのではないかと最近思ったりしています。
心は若くありたいです^ね^
そして、
私から見れば蓮の花さんは生き生きと若々しくエネルギッシュです^よ^
いずれにしましても、
瞑想して、五次元(感性)の世界に入ることは、絶望など簡単に超越する訳ですから、真理を求める心がすべてを物語ってくれると、思いたいですね。
『北物語』と同時期?の作品、なのでしたか、『忍路』は。
なるほど。
方向性とかは違いますが、プロの作家さんならたとえば、渡辺淳一、とかの系列の書き手でしょうか、マスターことキタヤブ青年?は。
といっても私の読んだ渡辺淳一、新聞に連載されていた『ひとひらの雪』と、『化身』、初期の短編をいくつか……ですが。
個人的な印象として、渡辺淳一という作家さん、好きな女性に対してああ思ったこう思った、こんな風に欲情‼した、という部分が書きたい作家さん……叙情作家、なのだろうな~と。もっと言うと、耽美、に近い作風。
小説のラストは、そーゆー風(愛欲の対象)にしか自分を見ない主人公の男性に、恋人だったり愛人だったりするヒロインが愛想をつかす、というパターンが多いような。
愛想をつかされるまできっちり書くところがさすが小説家、でしょうね。それ書かなかったらタダのエロだ。
そういう苦みや虚しさを含め、描くところが叙情作家なのだろうな~、と。
うー、私は多分、そういう書き手じゃないでしょうねえ…。
耽美は…浸れないと。読むにせよ書くにせよ(笑)。
え?
じゃ、キタヤブ青年は、耽美作家?(笑)。
心のデッサンの入り口に立っての感想などありましたら、ありがたく参考にさせていただきます。
ところで、私の三大失恋小説ですが、「北物語」と「忍路」がメガトン級です。
「北」は高校~卒業時代、
「忍」は大学時代ですから、こりもせず人{清楚で凛とした美人(←ここ重要)}を好きになっておりました^ね^
思えば、「北」では主人公が絵に感動した思いを作家に伝えようとして、相手にされなかった悔しさが絵に向かわせるラストシーン。
そして「忍」では北海道の雪原で、失恋の痛みをスケッチブックに描こうとしてその線の細さにいらだち、一抱えもある筆で、この雪原を描きつくしてやりたいと夢想したラストシーン。
つながっているでし^ょ^
心のデッサンは
清楚で凛とした美人(←ここ重要)を含む人を好きになる心が導いてくれたもので、それが己につながったとき、完成するのです。
己につながる
この意味を考えてみてください^ね^
先日はお世話様でした。
思い出した表現。
『傷の付いたレコードのように』『針飛びがする』
アナログレコードしかなかった昭和時代によくある表現……ではないでしょうか?
レコードに傷が付き、針が飛んで同じ部分ばかり再生する。
トラウマ、と呼ばれる状態を表現するのによく使われた表現、でしょう。
『恐怖』が描けない。
線にならない。
針飛びしてるんでしょうか(苦笑)。
まあ、それはそれとして(?)。
失恋、ではマスターに負ける?かもしれませんケド、片思いでは負けてませんよ。
自慢になりゃしませんが。
私が好きになる人は、10人中9人(当社なんとなく統計)、私を好きではありません。
でもって、たまーに私を憎からず思って近付いて来る男性は、10人中9人(当社なんとなく統計)私の嫌いなタイプの男性なんです😅。
スゲー気が小さかったり、いつもイライラをもて余してる雰囲気だったり……。
モラハラ旦那になりそうなタイプ、と言いましょうか(笑)。
なんで、こういうメンタル面に問題ありそうな男性ばっか近付いて来るんだろう……と。
私のメンタル面に問題あるからかもしれませんケドね〰。
針飛びから目をそらすな、ってことでしょうか?
まあ、無事に結婚しましたし、この件はいいっちゃいいのですが(笑)。
片思いの原理は、むっちゃんの言うとおり、誰もうまくいかないものです。自分だけ特別と思い込んだら、贅沢というものです。
10のうち9がすれ違いこそ最高でしょう。仮に10のうち1つしかすれ違いがなかったら、それは地獄というもの。賽の河原と思いません^か^
少なくとも8の離別苦を味わうことになるわけですからね。
9の擦れ違いが最高。
1の巡り合いであなたは旦那を射あてたのですから、最高ののろけという意味が解るでしょ^う^
というより、1の旦那さん大切にしてくださいよ。
セリナになりませぬよう、付して男心をお許し下さいませ。^:^0^O^ロ^