砂の美術館
大型連休に気になっていた美術館に行ってきました。何回かに分けて、フォト報告いたします。
今回は鳥取にある砂の美術館。
生け花のようにいさぎよい、そんな砂の彫刻を一度は見てみたいと思っておりました。ちょうどいい機会がありましたので立ち寄りましたが、ここでは全く期待以上の空間と作品たちに出逢いました。
期待以上というのは、その空気に触れた途端に息をのむということです。素粒子のような砂の世界に吾を失いました。宇宙と一体になるという実感はこういうものかなと、美術館を出てから思いました。
今回の展示は、世界から集まった21人のサンドアーチィストたちの作品。
この美術館は1年サイクルで動いているようで、約3か月で制作したのち、9か月間展示公開して取り壊される。生け花のように作品は心の中にだけ残ります。今回で12回目だそうです。
解説なしに、画像だけお届けします。
背景の砂の銘板にはガンジーの言葉が刻まれている。
明日死ぬと思って生きよ! 永遠に生きると思って学べ!!
一つだけ、これだけははっきり言っておきますね。
コメント欄のトラブルはもう終わったことです。どうかそのことが心のどこかにトゲが刺さっている感じになっているのでしたら、悲しいです。もう忘れてください^・^
発端はどうあれ、それはコメント欄を管理している私がすべて責任を負うべきことですから、本当に気になさらないでください。そして私の方はむしろそれで学ばせて頂いたと思っておりますから、安心してください^ネ^
それにしても600というコメントはすごいですね。それだけ共有する話題を提供できたということの魅力を、人の数ではなく、Keiren様の心の広さだという要点で受け取ってほしいですね。
人もまた波ですから、寄せては引きますますし、その波をKeiren様の心の広さで対応してあげたら、ますますいい出会いの場になると思いますね。
それよりE=mc2が私の中で熟成しそうです。龍の絵の完成と無縁ではないのかもしれません。この前の記事に欠けていた決定的なものが見えた気がしています。あなた様のおかげです。
ありがとうございます。
過去に私の軽薄なことばを書いて
それにある方が激怒し、
その過程で
他の周りの人がコメントすることに
心的負担を感じるようになったのではないかと思っています。
ことの発単は私にありますが、
良い面を見れば、
コメント数は減っても
折師様のように真剣なコメントが寄せられるように
なったのではと、
無理矢理肯定的に思ったりもします。
以前は、コメント数は結構あったにも関わらず、
何かのプレイみたいな感じもあって、
各自の記事外の個人史みたいのが入れ混ざったりもしてましたね。
芸術家のブログなのに
寄せられるコメントは
分子云々だったり
社交辞令ばかりの世間話など
記事と関係無いことが結構あったのではと...
ある時期、私のブログ記事に600以上のコメントを
もらった時がありましたが、
その630のコメントの中で
本当に心を動かされたのはわずかでした。
何かのプラスを求めて
人は勝手に来て、
飽きたら、来たように勝手に消えてしまいますよね。
誰かがもたらしたコメント数なら
その人が持っていかれますし、
そうでない本当の心の交流としてのコメントなら
時の流れ、場に関係なく
残る人は残ると思います。
人との関係は社交辞令で
ある期間何で維持はできると思いますが、
その社交辞令がその人に得策でないと思われた瞬間、
いとも簡単に関係性を壊してしまう人もいますよね。
人がどう称賛するかに左右されることなく、
自らの課題に常に焦点を置かれることができるのしてんてんさまの心の強さに
絵の次に感嘆しています。
私は一つの否定的なコメントに
潰されて、へとへとになりがちですが、
のしてんてんさまは
それでもまた再起できて、
否定性も芸術活動に活かされてますよね。
精神面で結構強いですよね。
海の潮引きのように
コメントも寄せては引き返すものですから
また、来るべき人達はきっと来て
何があっても去らないと思います。
連休の旅の次の写真を楽しみに待っています。
最近いいねのボタン変わったのですねぇ。私のpcだと反応しなくて頭の老化進んだのかとしばらく悩みまし^た^
折師さんはさすが若くて、対応柔軟、私には憧れの青年に見えます。
そうそう、思いを文字にするのは難しいですね。言葉と違って受け取り方が違うと悪いイメージが大袈裟に言えば永遠に残るのですから。コメントは気をつけないとというのは私も学びました。
だから無理しないで行きましょう。
コメント0の大御所ですから私、0で落ち込んでいたら15年も続けられませんし、それでも思いを発信し続けてよかったと思えますから^ね^
折師さんにも、Keirenさんにも出合えたのですから。
何の気遣いもいらないで気軽に交流できる場がコメント欄でいいと思いますね。
でも今日の折師さんのお気遣いにもう一度ポンと肩をたたかせて下さ^い^
^あ^り^が^と^う^。
私の方はなかなか訪問できなくてごめんなさい。
『作品が素晴らしすぎるので、…コメントにも真剣さが求められる…をメインとしたいろいろと…』
・今回の「砂の美術館」の記事、感想はすぐ浮かびました…
『芸術という世界の、トップクラスが創り上げた作品…これがまさに芸術という言葉を形にした存在』
↑…これを「血肉が通った肉声で伝えられる」ならいいんです…、文章にするとどうしても…陳腐なんですよね…また言葉を重ねると、細かい造形について書いてもまた…陳腐…涙
・また…gooブログが基本ブロガー同士の交流面が大きいので、そうなるとお互い記事に思いを持つ者同士になり…それはそれで真摯にもなる。※人によりますが汗
・あと、最近追加された「いいね管理(いいね・応援・続き希望・役に立った)が気軽」という…
『個人的には便利すぎる機能』の影響も
「この記事良いなぁ! でもコメントを考えると…、『いいね』押してから考えよう!⇒そのまま放置」…はい、すいません、私です…。
注:私はPC版とアプリ版を別々に起動できる(機器2台体制)なので、PCで見てそのままアプリ版でボタン押しが出来てしまう…のです。
…※『フラットテンプレート』は…背景が現在の背景:折り紙に変えられれば考えるのですが…
”私の全面的な力不足なのは理解できます^ね^”
…それは私も、私の場合それ以上の課題ですね。コメントしたくなるほどのパワーを持った作品の創作…。
”だわらないで受け止めたいと思います。このすべてが自分なのですから、それにそこからしか本物は生まれないですからね。”
…心から敬意を評します、…本当に素晴らしい真摯さだと…想います!
改めて長文を失礼いたしました…そして素晴らしい作品観覧記事にコメントでの真摯さに、のしてんてん様と記事に感謝を!!
今もそう変わらないということなんでしょうけど、その原因を考えたことはありませんでした・・・
あらためて聞かれると、何なのでしょう。
分からないですけれど、私の全面的な力不足なのは理解できます^ね^
こだわらないで受け止めたいと思います。このすべてが自分なのですから、それにそこからしか本物は生まれないですからね。
それにしても砂の彫刻は迫力がありました。アメリカの砂漠でもこんなのがあったらいいです^ね^
その原因は何でしょうね。
とにかく、つくづく思うことは
写真の撮り方がキレイで
対象が明確に見えるな~と感嘆できることです。
記事で扱ってくれなかったら
永遠に分かることは無かったでしょうから
感謝、です。