地球の目がとらえたブラックホール
チリ、スペイン、ハワイ、メキシコ、アメリカ、南極と、地球各地で観測したデーターを統合分析してとらえたブラックホールの姿。地球を丸ごと目にして宇宙を観た初めての快挙
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この記事は
凡人が語る宇宙論(1)(2)(3)(4)(5) (6) (7)
の続きです。興味ある方はそちらもお読みください。(数字をクリックするとそのページに行けます)カテゴリー 五次元を生きる(神)から一気に読めます
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(6)心の次元 時間とスケール
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物質を認識するためには3次元の概念で充分です。
しかしその物質の変化やその内側を知るためには「時間」と「スケール」が必要です。これを心の次元と呼びます。
心をつくっている二つの次元、その関係はXY座標で現されます。X軸を時間とすればY軸がスケールということです。
すると、この時間とスケールの座標は必然的に人の心を表すことになります。盛者必衰のことわりを見て、己の命を体感するのが人の常だからです。
時間はものの変化を認識するための概念であり、盛者必衰の移ろいを認識します。
しかしその移ろいを眺めながらその中にいる己の体感は、常に己が中心の世界ですね。この己の中心から内側に発する認識こそ、スケールの概念で観る世界なのです。
時間が見せる外側の世界に対して、スケールはものの存在を内側から認識するための概念と言えます。そして言うまでもなく人の心は、そんな難しいことを知る前からこのように機能していると言えるでしょう。
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社会の中で人々はよりよく生きるために努力しますね。明日はなろうと、希望を持ち続けます。まさに時間の概念が作りだす世界観と言えるでしょう。
しかし一方、そんな生活の中から幾多の苦悩を味わいます。その苦悩は内側の存在に気付くことで救われるのです。人は紀元前の時代から、五次元の概念を持たなくても、その苦悩を内側から解決しようと試みてきました。
スケールの概念はそんな救いを求める心の中に存在しているのです。
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スケールの概念はこの宇宙と自分の存在が一つのものだという理解を与えてくれました。それは空間についての新たな認識につながったのです。これまでに描いてきた物質と空間の世界を感じて頂けたでしょうか。
このイメージをもとに以下、五次元が見せてくれる総合的な世界に入っていきたいと思います。
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(7)空間の理解と宗教・科学・達人
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スケールの概念から見えてくる空間のイメージは、実は宗教の理解にも役立ちます。
神とはなにかという問いかけは、人と宇宙とは何かという問題と直接つながって行くからです。
空間はエネルギーであり、物質を生み出し育んでいるものだという私たちの理解は、空間こそ神そのものであるという考えにつながります。なぜなら空間はすべての存在の根源であるからです。空間に意志があるか否かは問題外です。なぜなら意志とは人間の側からとらえた思考の産物だからです。
するとこの空間の認識は、「主」と「大日如来」は同じ神であるという論証につながるのです。
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イエス様は、世界を創造された「主」の存在をお知りになり、その存在を人々に伝えました。世界をお創りになった「主」とは、物質(世界)を生み出し、命のエネルギーそのものである空間と同じだと考えられます。
つまりイエス様はこの「空間の力」を知り、これを「主」と呼んだのです。
神の子イエスと言われるのは、「空間の力」がイエス様を生み出したという事実をいい現わしていると思えるのです。つまり「主」=「空間の力」だと言えましょう。
「主」を信じるものは救われる。という教えは、「主」を信じることで「空間の力」を体験的に理解させ、伝えようとしたのではないか考えられるのです。それは結果的に一神教となりました。空間を擬人化することで分かりやすく伝えるという手法ですね。
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一方空海の真言密教の本尊は「大日如来」、
大日如来は宇宙そのものであり、地獄から極楽浄土まで、あらゆる人の心の在りようは、みな大日如来の化身だというのです。草木も同じ、みな己の中に大日如来がおられる。それが救いなのだというのですね。全てのものが大日如来の化身だという考えは、多神教につながって行くでしょう。
空間はすべてのものを作りだすエネルギーに満ちています。空海はこの空間の在りようのすべては大日如来の化身だという言葉で現わしたのです。つまり、空間=「大日如来」と考えたのですね。
これらの教えを合わせると、「主」=空間=「大日如来」ということになる訳です。
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キリスト教も仏教も、その真理として眺めるところは同じ「空間の力」なのです。
イエス様はそれを「主」と呼び、主を信じなさい。それであなたは救われると呼びかける。
「空間の力」を知った上で、これは本当だから信じなさいと言う教えになったのですね。
他方空海は一切の衆生は大日如来の化身、つまり誰の中にも「空間の力」があるというのですね。その力は、信じることではなく体験によって得られるというのです。
伝え方が違うために信仰型と体験型になっただけで実は「主」=「大日如来」だというのは明らかだと思います。
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また禅のように、己の修行の力で自力に悟りを開こうという考え方には、己の身を呈して宇宙を体感しようという、最も実直な道と言えるでしょう。
あるいは浄土(真)宗のように、その名を唱えるだけで阿弥陀様が浄土に導いてくれるという他力本願の考え方にも、その目指すところは「空間の力」だと考えられるのです。
さらにまた、様々な達人たちが、共通して口にする無心というのは、無心になって「空間の力」を受け入れ、その力を導き出そうという姿だと思えますし、気功、体術などが追求するものは、「空間の力」そのものです。
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さらに科学は。この空間を知力で理解しようとしていますね。
冒頭のブラックホール撮影は、イベントホライズンテレスコープという世界をつなぐ試みだそうですが、科学は地球が目になりうることに気付いたのです。その根本にあるのは、違いを合わせて助け合うという思考です。
望遠鏡は一つの真実の姿を捕えますね。
それなら複数の望遠鏡がとらえる真実を重ねあわせることで重層的に真実を捕えることが出来る。その結果が私達にブラックホールを見せてくれたのです。
私はこのブラックホールの映像をみて、これはとてつもなく大きな物質(粒子)が生まれる姿だと思いました。素粒子∽天体∽ブラックホールと、スケールでつながる物質の最小単位だと直感したわけです。それを科学が捉えたのです。
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このように、全てのものは「空間」に向かっています。
宗教も科学も、個人の技能も、すべてがそれぞれの立ち位置から、自分の理解できる言葉と感覚を使い真実を観ようとしています。
立ち位置が違うということは、見え方が違いますし、進む方向も方法も違ってきます。これは当然のことですね。
見え方が違うから排斥し合うのは愚の骨頂ですし、無関心も大損です。
違うのはマイナスではなく、とてつもなく素晴らしいことなのです。イベントホライズンテレスコープがブラックホールを目にすることを可能にしたように、様々な立ち位置から真実に焦点を当ててみれば、一点では心もとなかった真実が立体的に浮かび上がってくるはずです。
互いを受け入れ、他者が見る真実を理解することで己との融合を果たす。すると見えなかった神が見えてくるのです。
私自身の達観は、この記事と同時進行です。
今私の頭の中では、イエス様と空海様、一休様や親鸞様が一堂に会して酒盛りをしながら手拍子踊りをしております。その中で私の師匠も満面の笑みを浮かべているのです。
よきかな よきかな
①説明しすぎる
②全ての知識を与えすぎる
③のしてんてんさんの見方だけに偏っている
④疑問を抱ける用地が無い
⑤隙が無さすぎる
以上の大まかな5つの項目が少なからずあるので
下手に書いたら笑われそうと
読む人は思うのかも知れません。
まあ、本来芸術家の見方に
口を突っ込むと余計、頭が混沌してくるから
みんな、読み逃げしているですかね?
ブログを書いていてコメントを頂けないのはさみしいですが、でもそれがそのまま現実なんですから仕方ないですね。
こうして外に向かって発信できる環境に感謝するばかりです。何よりそのおかげで自分の考えがすっきりしていきますので、いわばこれが私の修行の場みたいなものです。
そんな私事に目をとめていただくだけでありがたいと思っていま^す^
今回の記事で、私の考えが思いがけないほど進みました。宗教まで語るのは少し行きすぎですが、その部分はやがてそういう時代が来るという希望のようなものです。
何より今回の記事は、肖像画制作からつながったものであり、Keiren様には、あらためて感謝申し上げます。