記念碑から少し雪の上を登って、先ほどタクシーで乗り付けた道路に出るとぬかるんだアスファルトの道を下って行った。
私はその時、「朝、私は薔薇の垣根をめぐらした家を出て、二十分ほどかかる丘を越え、通学列車に間に合うように駅に行く。」という伊藤整の一文を思い出した。私はこの道がその丘を越す二十分ばかりの道だと思い、その麓が塩谷駅だと考えた。
しかしふもとまで下りてみると、塩谷駅という先ほどタクシーの中から見た標識があって、それにはさらに山の方に向って矢印が記されていた。その示す方向を見やると、道は小高い丘に向かっていた。国道とは直角に折れまがった小路であった。この道が伊藤整の記しているその場所に違いなかった。私はそう確信して人に尋ねようともせず矢印の方向に進んで行った。
小さな、アスファルトで敷き詰められた坂道だった。きっと伊藤整の時代にはまだ地道だっただろう。石ころが転がり、時にはその石ころを蹴飛ばしながら歩いたのではなかろうか。
やがて丘の上に出た。そこから道は緩やかなカーブを描いて谷間に下っていく。その谷間の向い側の丘の中腹に駅が見えている。その間にある谷間は雪で覆われ、小川が黒々と身をくねらせている。
その美しい雪景色の眺望が私の眼を惹きつけた。川沿いに一筋の足跡が点々と続いていた。私は急いでそれをスケッチした。
ちょうど今頃なら、小樽から二時過ぎに出る列車がここを通るだろう。出来ればその列車に乗って蘭島まで行き、伊藤整が初めて恋人根見子に会いに行った同じ道程をこの駅からたどってみたいと思った。
これはきっと悪いことに違いないと思い、駅長や村の大人の人に止められはしないかと考えながら、しかし根見子に逢うという新鮮な心のときめきに胸躍らせながら伊藤整はこの丘を越える道を歩いたのである。
HPのしてんてん
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます