のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

苦悩は空ということ

2017-09-01 | 5次元宇宙に生きる(神)

東大寺境界にある石仏 奈良散策より

 

写真では半分も伝わらないけれど、光は見える。

黎明の森、薄暗い木立の元にたたずむと、まとわりつくような空気が私を包む。

 

まるで木霊の胎内のような小路を進むと、

一瞬特異な光を感じる。

 

それがこの石仏だった。

今写真を見ていても、あのほのかに柔らかい光を思い出すことが出来る。

 

救いの光。

私はその時石仏が目に像を結ぶ瞬間と同時にそれを感じた。

 

薄明りの中に浮かび上がる石仏は、どこを見渡しても照明灯のようなものは無いのだ。

自ら光っている以外にはない。

まだまどろむ黎明の森の中。

 

私は石仏の内からやってくる光を眺めた。

胸が熱くなり、目頭がにじんで視界がぼやける。

 

言葉のない言葉が、意味のない意味が、私の器を満たしていくのが分かる。

光が私を貫いているのだ。

 

なぜ内側から光るのか。

私の意識がそう動いたとき、私の心は張り裂けんばかりに膨れ上がった。

 

石仏の光に誘われて、私の意識が石仏の中に入ったのだ。

光に満ちあふれた石仏の宇宙。

満たされて充満した光はこぼれ出すように石仏を浮き上がらせる。

 

光に満たされた世界、

物質が己の執着を解き放ち、

空となった喜び、

最後の粒子まで光に変わるその瞬間、

満たされた宇宙の姿を宿して、

石仏は今、

私の前でその光を届けてくれるのだ。

 

満たしなさい、

世界はただそれだけなのだから。

 

あなたもまた、

内から光ることわりを持っているのだから。

 

石仏の声なき声を翻訳するとそんなふうに私にはきこえた。

 

あなたが光らないのは苦悩のせいだから、苦悩をなくしなさい。

 

なくしたいのになくせないのは何故です?

私は訊いてみた。

 

苦悩に色と形を見るからですよ。

 

色と形?

 

色と形がなければ苦悩は生まれないのです。

あなたの心には今の今、私にすがろうとする色と形を作っているではないですか。

それが見えないのですか。

 

私は物心ついた最初の記憶から今までに至るすべての苦悩を思い出した。

そして一つひとつ確かめるまでもなく、

それは空(からっぽ)だったことに気付かされた。

 

一番大きな苦悩を背負い込んだ時も

その時は耐え難い色と形をしていたと言われればそうだ。

過ぎ去ってしまうとその苦悩は空だったとわかる。

空だからこそ、今の私がいるのだと。

空を見抜けばいいのですね。

 

そうだとは、もう石仏は答えなかった。

 

石仏の胎内からこぼれる光だけがほのかに明るかった。

それは確かに浸み込んで私を包んでくれる。

ありがたい、

ありがたい光だった。

 

 

 

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (雨音)
2017-09-01 09:30:03
おひさしぶりです。
こんな心境になれたらいいな~
空か、中々からっぽに出来なくて、わざわざ、苦悩を生み出してるのが今の私です。
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Unknown (蓮の花)
2017-09-01 21:17:40
今回の記事とは関りのない報告で失礼します。

ここは金曜の朝です。
水曜の夜10時に着して
昨日は寝て寝てねまくりました。
なのに昨夜また寝られたのです。

うちの夫にNYのギャラリー件について
詳しく説明しました。
翻訳の仕事と合わせながら
同時進行させていこうと思います。

頂いた本の図だけ見た夫曰く
図だけでも完成度が高いーと言っていました。

返信する
雨音様 (のしてんてん)
2017-09-02 08:24:31
「わざわざ、苦悩を生み出してる」

これは私の体験のなかで とてもよく分かります。本当に苦悩はわざわざ生まれてくるのですね。

自分が生み出しているのに、分かっていても生み出してしまう。

その時ちょっと大きな目(神様の目みたいな)でその苦悩をみてやると、案外、なんだこんな小さなことだったのかと思えることがありますよね。

悩んだって仕方がないって、思えれば心の器にスプーン一杯の真実がたまります。

そうやっていつか心の器がいっぱいになったら、もう苦悩を思いつく余裕がなくなる。思い悩む種は一粒もなくなって 空っぽになるということですね。

私も同類です。
一緒に心を満たす旅をしてください^ね^


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蓮の花様 (のしてんてん)
2017-09-02 08:32:42
無事帰国されたのですね。
よかったです。

爆睡、よく分かります。
それだけたくさんのことをなさって、帰られたのだとお察しします。

私の本に、役に立つものがあればこんなうれしいことはありません。

何かを発掘していただければしあわせです。

ありがとうございました。
よろしくお願いします。

お疲れをゆっくり癒してください^ね^
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-09-02 21:38:07
苦悩ということば自体、痛々しい感じがしますね。
ことば自体にそのような性質は無いだろうに、私達人間はわざわざ苦悩を作り出し
苦悩ということばにその役割を着せるのですね。
私も苦悩の時代が長く続いてました。
50年間か、あるいは今も続いているかも知れないですけど
それらに目を向いていないだけかも知れませんし
ですが、意識されない苦悩も確かに存在するだろうと推測してはいます。
幸せだというより
苦悩だというのが
よりリアルなのは
私達人間は苦悩が普遍だからでしょうかね。
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私はこう思います (のしてんてん)
2017-09-02 23:17:11
蓮の花様、
私達人間は、唯一無二の実在(宇宙)から分離されて自我を作ります。

自分という意識(心)は宇宙と切り離さないと存在できないのですが、実はその本質は宇宙そのものなのですね。

つまり人間というのは、宇宙という本質と、自我という分離された意識の二重構造になっていて、自我が目覚めると本質が見えなくなってしまうのです。

そして苦悩は、おそらく分離した自我の痛みであり、苦悩は本質に気付かせようとして自我が発するシグナルではないのかと・・・

これ以上行ったら危険だから、本質に戻りなさい。そう云っているのだと思うのです。

つまり私達人間にとっての普遍は本質にあって、自我は借り物。借り物ゆえの苦悩だと思えます。

それは人間を本質に向わせてくれる。苦悩を舐めて立ち直るたびに、先日話していただいた心の器(コップ)に本質がたまっていく。やがてあふれるまで。

苦悩が幸せよりリアルなのは、苦悩にこそ本質に向かって歩み始めるための力が潜んでいるからではないでしょうか。
返信する

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