五次元龍は時間を越える
五次元のイメージは十字架である。
十字架の上のキリストの姿はまさにその全身で五次元宇宙そのものを示している。
まさに身をもって魂は死なないと教えてくれているようだ。
キリストの右手は過去をつかまえている。そしてその左手は未来に向かって開かれている。そうしてこの両手は罪びとなる人間を迎え入れようとひろげられている。
五次元思考から言えば、両の手は時間である。どちらに向かっても差しのべられた両の手のひらから時間は滑り落ちる。それは実体のない人間の意識の産物なのだ。
時間が欲望を生み出し、欲望はそのまま人間となったのだ。
罪とは時間の中で生み出された人間のことを指している。罪びととは犯罪者のことではなく人間であることなのであり、つまりそれは時間なのだ。
それは人間の四次元思考を指している。時間に生きる人間をキリストは己の実態に連れ戻そうとして十字架にかけられた。
両の手の釘の痛みは、私の手のひらに伝わる。過去と未来を断ち切りなさいという悲痛の声に聞こえる。
今この瞬間に立ち戻りなさいと、十字架のイエスはその身を示して言い続けている。
両の手の真ん中にとどまり、垂直に伸びているこの身体に目覚め、両手ではなくこの身を信じなさいと。
両手を合わせて十字架にひれ伏す。それは過去と未来を身体の真ん中でつなぎ合わせて、キリストの身体に戻ろうとする尊き姿なのだ。
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