線を引く。
最も単純なことだが、それに価値を見出すのは難しい。誰も見向きもしないだろう。
でもなぜ?その理由を考えたことはあるだろうか。
たったこれだけの線に何の価値がある?
そう思えるのはこんな線なら誰でも引けるからだ。鉛筆を握らせれば赤ん坊だって引けるかもしれない。
さあ、すでにそこからあなたは間違いを犯している。社会の価値観に惑わされている。
社会は特殊なものを求める。誰もが出来る事なんかに興味もわかない。金にならないからだ。
けれども真実は逆だ。
誰にでも出来るようなことほど、それは真実に近いということだ。
呼吸は誰でも出来る。それはいのちの持っている真実だからだ。
鼓動に至っては自分で止める事さえできないほど真実にまみれている。
誰にでも出来ることは真実なのだ。
時にあなたは呼吸を忘れて生きている。社会の中では真実は無価値だ。
同じことがあなたの線にも起こっている。
そして、それが意味していることは、あなたの引く線はあなたの真実だということだ。
そのことに気付けば、線は社会の中で疲れたあなたの救いになる。
見失った自分を取り戻すきっかけになる。
線を通して、あなたは自分の真実と向き合うことが出来るようになるのだ。
本当の価値は社会が決めるのではない。
それはあなたの感性が決める。
あなたが引いた線を眺めて、あなたの感性を遊ばせてごらん。あなたの想像力を働かせてごらん。一本の線が大地になり、水平線になり、風や空になる。
どんな絵でも、(ダビンチでもピカソでも、あなたの絵でも)それが素晴らしいのは、描かれたものにあるのではない。それを観る人の感性が自由に働いて想像力が世界を広げてくれるからだ。
一本の線を大切にすれば、それは間違いなくあなたの想像力を育ててくれる。あなたは本当のあなたに遭遇する。
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