徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

海女の姉妹の哀しい恋物語 ~ 歌舞伎舞踊「汐汲み」 ~

2013-08-19 21:43:54 | 音楽芸能
 時は平安時代、都に在原行平(ありわらのゆきひら)という貴族がいました。ある過ちをとがめられ、須磨に流されました。そこで行平は海人の娘、松風と村雨という姉妹に出逢います。二人は行平の世話をするようになりました。そして、いつしか二人は行平を愛するようになります。3年の月日が流れ、行平は罪を許され、都に帰ることになりました。行平は二人が海へ汐汲みに行っている間に、二人と出逢った浜辺の松の枝に形見の品として、烏帽子と狩衣を掛けて姿を消しました。二人の姉妹は、またいつか行平に逢えることを信じて暮らしていましたが、ある時、風の便りで、行平が都で亡くなったという事を知ります。二人は形見となった烏帽子と狩衣をずっと大事にしながら儚い生涯を終えました。
 それから長い年月が経ったある日のこと、旅の僧がこの浜辺を通りかかりました。僧は二人の汐汲み女に出会います。二人は僧に「私たちは松風と村雨と申す者で、この世の者ではありません。死してなお、恋の未練によって成仏できません。ぜひとも僧の回向によって私たちを成仏させてほしい」と懇願しました。そして松風は形見の烏帽子と狩衣を身にまとい、行平を恋う舞を舞いました。僧は懇ろに二人を弔いました。やがて夜が明け、朝日が上り始めると、僧の前から二人の姿は消え去りました。

MIPは新谷仁美! ~ 世界陸上モスクワ大会 ~

2013-08-18 14:46:19 | スポーツ一般
 世界陸上も今日が最終日。印象的な選手は何人もいるが、僕にとって最も印象深かった選手(Most Impressive Person)は、何といっても女子1万mで5位入賞した新谷仁美(にいやひとみ)だ。レースの最後の最後までトップを狙うチャレンジングな姿勢は素晴らしい。レース後のインタビューで彼女は「メダルが取れなきゃ意味がない」というような発言をしていたが、そんなことはない。どれだけ多くの人に感動と勇気を与えたことか。
 一方、昨日の男子マラソン。中本健太郎の5位入賞は立派な成績だとは思うが、僕は彼にもっとチャレンジしてほしかった。解説の瀬古さんや金さんも、トップグループの中で中本が一番調子が良さそうだと何度も言っていた。もし本当にそうだったのなら、最後はつぶれて入賞を逃すことになったとしても、どこかで勝負をしかけてほしかった。アフリカ勢に勝つチャンスはそうそうはめぐって来ないと思うからだ。

山鹿灯籠まつり(2) ~ 賑わいの陰で ~

2013-08-17 16:41:09 | 歴史
 今年も多くの観光客で賑わった「山鹿灯籠まつり」。その起源についてはいろんな説がある。その中の有力な一つが、記紀神話に書かれた景行天皇の九州巡幸にまつわる説。地元民が松明を灯して、天皇一行を行在所となった今の大宮神社のところまで案内したという話だ。この松明が時代を下って灯籠に変わり神社に奉納されるようになったという説。
 もう一つの有力な説は、室町時代、温泉が枯れてしまった時、山鹿金剛乗寺の中興の祖、宥明法印が祈祷によって温泉を復活させ、宥明法印の没後、追善供養のために灯籠が奉納されるようになったという説。これは肥後國志にも書かれている。
 僕は「山鹿灯籠まつり」が盛んになりさえすればどんな説でも構わないと思うが、僕なりの推測を含めた感想を述べてみたい。

 そもそも景行天皇の九州巡幸は2千年近くも前の、まさに神話時代の話。地元民が松明を灯して案内したというような英雄伝説は各地に存在する。そのこと自体はともかく、その松明が時代を下って灯籠に変わったというところに「後付け」臭さを感じてしまう。そもそも灯籠は仏教伝来とともに中国から伝わった仏具。景行天皇の行幸を記念する祭りは室町時代よりも前からあったのだろうが、灯籠が祭りのメインアイテムとなったのは、宥明法印の追善供養以後というのが自然だと思われる。つまり狭い意味での「灯籠まつり」ということであれば、金剛乗寺起源説が有利な気がする。にもかかわらず、今日、「山鹿灯籠まつり」の中で、なぜ金剛乗寺に陽が当らなくなったのだろうか。これにはおそらく明治時代初期の「神仏分離令」が影響しているのではないだろうか。明治新政府は神道を国教化するため、それまでの「神仏習合」を改め、神社から「仏教色」を排除させた。それは結果的に仏教に対して「廃仏毀釈」のようないわれのない弾圧を加えることとなった。まさにこの時、金剛乗寺は「山鹿灯籠まつり」の表舞台から退場させられたのではないだろうか。そんな気がしてならない。
 下の写真は「山鹿灯籠まつり」が最高潮に達していた昨日の金剛乗寺の様子をHIROさんに撮って来ていただいたものだ。まつりの喧騒を開祖の空海上人や、中興の宥明法印はどんな想いで眺めていただろうか。



金剛乗寺の石門


楼門。左側の奥に山鹿温泉の源泉が見える。


風格漂う楼門をくぐる。


本堂

“檜垣水汲みをどり” 花童バージョン

2013-08-16 20:59:11 | 音楽芸能
 昨日、八千代座で「花童」の舞台を見ていたら、何曲目だったか突然「檜垣水汲みをどり」のイントロが。「おや!」と思ってあわててビデオカメラを取り出したが、明るさ調整が間に合わず、とても見るに堪えない映像だったので残念だがボツにした。「花童」の踊りの仕上がりも完成度は未だしの感があったので次の機会に期待しよう。
 後で中村花誠先生とお話ししたら、「春の城北高校のお姉さんバージョンから“わらべ”向けに可愛い振付に変えてみました」と仰っていた。それにしても小道具の水桶の立派なこと。花誠先生いわく「歌舞伎でも使えるよ!」。ということはいずれ歌舞伎舞踊「汐汲み」に挑戦ということもありうる!?俄かに新たな期待が高まる。






“祇園”のはなし

2013-08-14 08:37:41 | 歴史
 熊本市民にとって「祇園(ぎおん)」といえばまず思い浮かぶのは花岡山の麓にある北岡神社。つい先日、「祇園まつり」が行われたばかりだが、神社近くの「祇園橋」や市電の「祇園橋駅」などがおなじみだ。しかし、「“祇園”ってナニ?」と聞かれてもなかなか的確には答えられない。僕も「北岡神社の本社は京都の八坂神社で、別名“祇園さん”と呼ばれている」ことや「八坂神社の周辺には“祇園”と呼ばれる花街がある」くらいの知識しかなく、なぜ“祇園さん”と呼ばれるのかなど詳しいことはわからなかった。
 そもそも“祇園”とは「平家物語」冒頭の「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。」という有名な一節の、「祇園精舎」から来ている。「祇園精舎」というのはお釈迦様が説法を垂れたというインドの寺院の一つで、そこの守護神が「牛頭天王(ごずてんのう)」といって通称“祇園さん”と呼ばれた。ところが、いつの頃からか日本では古来の神様信仰と仏教信仰とが混じり合って「神仏習合」という考え方が生まれた。その流れの中で「牛頭天王」と「八岐大蛇(やまたのおろち)」退治の伝説で有名な「スサノオノミコト」が同一視されるようになり、「牛頭天王=スサノオ」を祀った神社を「祇園社」と呼ぶようになった。しかし、明治新政府は「神道」を国教化すべく「神仏分離令」を発し、神社から佛教色を排除させた。その際、ほとんどの祇園系神社の名称から「祇園」が消えた。八坂神社も然り、北岡神社もまた然りで、御祭神は「スサノオ」と妻の「クシイナダヒメ」と8人の皇子たちとしており、「牛頭天王」の名前は表には出て来ない。
 八坂神社の名を冠したり、“祇園さん”を祀った神社は日本中至るところにあり、明日から山鹿灯籠祭が始まる大宮神社の境内にも八坂神社がある。ちなみにわが家の息子たちは七五三を祝って東村山の八坂神社に詣でた。
▼北岡神社祇園まつり より

産経民謡大賞で優勝した小佐井濯くんが唄う ~ 鹿北茶山唄 ~

2013-08-13 18:15:13 | 音楽芸能
 先日大阪で行われた「第48回 産経民謡大賞」少年少女の部で見事優勝した小佐井濯(こさいあろう)くん(小学6年)が、8月4日の「本條流秀美会ゆかたざらい」で、受賞曲「鹿北茶山唄」を披露した時の映像をやっとアップロードできた。
 この優勝によって、毎年、山鹿市で開催される「鹿北茶山唄全国大会」へのゲスト出演依頼が舞い込んだり、メディアの取材を受けたりするなど、濯くんのまわりはにわかに慌ただしくなっているそうだ。しかし、本人は至って冷静、なかなかしっかりした少年のようだ。コンクールで唄うのは2番までなので、いつもは2番までしか歌わないそうだが、この「ゆかたざらい」の時は、三味線の本條秀美さんが打ち合わせなしに3番まで続けたら、阿吽の呼吸で、平然と3番まで唄い切ったそうだ。


はなわらべと和楽器

2013-08-12 14:23:43 | 音楽芸能


 HIROさん撮影の花童のメンバーの素敵な写真を見ながら「和楽器」のことを考えてみた。現在、彼女たちが踊る日本舞踊では、三味線を始め、筝(そう)、笛(ふえ)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓(たいこ)、鉦(しょう)などがよく使われる。このうち三味線は、中国から琉球を経由して日本に伝わったのが永禄年間(1500年代後半)といわれ、和楽器の中では比較的遅い。ちなみに、奈良時代に始まったという「能楽」では「四拍子(しびょうし)」と呼ばれる「笛・小鼓・大鼓・太鼓」が使われる。各地に伝わる神楽など伝統芸能で使われる楽器もほぼ同じのようである。今日の日本舞踊や歌舞伎の始祖といわれる出雲阿国は、今日まで残っている風俗画「阿国歌舞伎図」などを見ても三味線は使っていなかったようだ。その頃、既に三味線は渡来していたが、庶民に普及するところまでは行っていなかったとみられる。
 花童の娘たちが手にしているのは、右から笛、鉦、太鼓の三種。彼女たちは今、もっぱら舞踊が注目されているが、本来は小鼓、大鼓、太鼓、鉦なども演奏する演奏舞踊団なのである。

▼阿国歌舞伎図

give me wallets

2013-08-11 11:09:23 | 音楽芸能
 東京の親戚から電話あり。
 僕の従甥(いとこの息子)が昨日から始まった「サマーソニック」に出演したんだそうな!初耳!
「give me wallets」というグループでヴォーカルをやっているのがそれらしい。さっそくYouTubeで確認。僕らの年代ににとっては懐かしいディスコサウンドを髣髴とさせる。しかも歌詞が全編英語というちょっと不思議なサウンドだ。


56年ぶりの東京オリンピックは実現するか!?

2013-08-09 18:35:55 | スポーツ一般
 2020年のオリンピック招致レースも大詰め。あと1ヶ月後には開催都市が決定する。東京が有利な展開という新聞記事が目立つがはたしてどうだろうか。僕は2016年の時は、東京でやるべき理由を見いだせず、オリンピック招致には否定的な見方をしていた。今回については全面的な賛成とは言い難いが、この4年間の間に起きた東日本大震災からの復興を促進するならやってもいいかなという気持もある。
 それはさておき、前回の東京オリンピックの記録映画(市川崑監督)に関して、6年前(2007.6.19)にブログに書き込んだことがある。その記事をここに再掲してみたい。
 6年前、ネットでオリンピックについて調べていたら、南都上緒さんという方のサイト「なんとかかんとか」に迷い込んだ。そこには、映画「東京オリンピック」の製作裏話が詳細に記述されていた。その中に次の記述があった。

以下、原文のまま
「脚本を見ると、『 水球。決勝。水中撮影で選手たちの下半身の激しい動作、それに伴う水の乱れを捉えたい。』・・・

 公開された映画にはこんなシーンはない。しかし、僕は49年前のオリンピック終了後のある日、東京体育館プールで行われた追加撮影に参加した。そして、この脚本に沿った水中の格闘シーンを撮影した。
 早速、南都さんにメールを出してみた。すぐに丁寧な返事が来た。このシーンはオリジナル版(劇場公開版)、ディレクターズカット版ともに入っていないと。つまりカットされたわけだ。
 南都さんによれば、東京オリンピックで銅メダルを獲った男子バレーボールチームも後日、追加撮影をしたそうだが、結局使われたのは金メダルを獲った東洋の魔女チームだけだったと、男子監督だった松平康隆さんが著書で述懐していたそうである。この映画の公開直後、その記録性について、市川崑監督と河野一郎国務大臣(オリンピック担当)との間で激しい論争があったことは記憶に新しい。
 僕はそのシーンの脚本が確かに存在していたことを確認できただけでも嬉しかった。この映画の脚本は和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎、市川崑という大物4人の共同執筆である。追加シーンのエキストラの仕事が僕らのチームに回って来たのは、谷川俊太郎さんのお父さん、谷川徹三先生が当時僕らの大学の総長だったからではないかとにらんでいる。
 余談だが、当時はアマチュア規程が厳しく、僕らの出演料は一流中華料理店での食事だけだった。また、その4年後のメキシコオリンピックの記録映画には、この脚本をそのまま使ったのではないかと思われるシーンが出てきて驚いたことを思い出す。

落語「清正公酒屋(せいしょうこうさかや)」

2013-08-08 16:49:36 | 音楽芸能
 熊本大学学術リポジトリは僕にとって格好のネット上の図書館となっているが、その中に「清正公信仰の研究 : 近世・近代の『人を神に祀る習俗』」という論文がある。加藤清正の死(1611)後、早くから、肥後國にとどまらず全国に広がった清正公信仰についての研究である。端午の節句の幟、錦絵などの題材、浄瑠璃、歌舞伎、講談などの演目にもなった清正公信仰がいかに庶民に広まっていたか、その裏付けとして「清正公酒屋」という落語を紹介している。

▼清正公酒屋(落語あらすじ事典 千字寄席)より

 酒屋の肥後屋の若だんなで一人息子の清七と、向かいの菓子屋・虎屋の娘お仲は恋仲だが、両家は昔から仲が悪く、二人は許されない恋。それというのも、もともと宗旨が一向宗と日蓮宗、商売が酒と饅頭で、上戸と下戸。すべての利害が対立している上、肥後屋は清正公崇拝で、その加藤清正は毒饅頭で暗殺されたという俗説があるから、なおさらのこと。もう一つ、虎屋だけに、虎退治の清正とは仇同士。

 というわけで、とんだロミオとジュリエットだが、この若だんな、おやじの清兵衛に、お仲を思い切らないと勘当だと、脅かされてもいっこうに動じない。勘当はおやじの口癖で聞き飽きているし、こっちは跡取りで、代わりがいないというバーゲニング・パワーもある。思い切れませんから勘当結構、早速取りかかりましょうと開き直られると、案の定おやじの旗色が悪い。結局、お決まりで番頭が中に入り、清七の処分は保留、「未決」のまま、お仲から隔離するため、親類預けということになった。

 そうなると虎屋の方も放ってはおけず、お仲も同じく親類預け。二人は哀れ、離れ離れで幽閉の身に。ところが抜け道はあるもので、饅頭屋のお手伝いと、酒屋の小僧の長松が、こっそり二人の手紙を取り次ぐ手はずができた。

 ある日、お仲から、夜中にそっと忍んで来てくれという手紙。若だんなは勇気百倍、脱走して深夜、お仲を連れだす。結局駆け落ちしかないというので、二人は手に手を取って夜霧に消えていく。

 しかし、しょせん添われぬ二人の仲。心中しようと決まり、ここで梅川忠兵衛よろしく、
「覚悟はよいか」「南無阿弥陀仏」
とくればはまるのだが、あいにく男の宗旨は法華(日蓮宗)。
「覚悟はよいか」「南無妙法蓮華経」・・・・・・
いやに陽気な心中となった。ナムミョウホウレンゲッキョウ ナムミョウホウレンゲッキョ と蛙の交配期のようにデュエットし、にぎやかに水中へドボン・・・・・・

 その時突如、ドロドロと怪しの煙。(ここで芝居がかりになり)「やあ待て両人、早まるな」「こはいずこの御方なるか」「おお我こそはそちが日ごろ信心なす、清正公大神祗なるぞ」「ちぇー、かたじけない。この上は改宗なしたる女房お仲の命を助けて下さりませ」「イヤ、たとい改宗なしたりとも、お仲の命は助けられぬわ」「そりゃまたなぜに」と聞くと清正、ニヤっと笑って「なあに、オレの敵の饅頭屋だから」



第15回熊本いのちの電話チャリティ公演! ~ 中村花誠 監修による華舞台 ~

2013-08-07 15:51:33 | 音楽芸能
 第15回チャリティ公演「夕涼み親子で楽しむ華舞台」が8月21日(水)に行われます。
 中村花誠さんが主宰する少女演奏舞踊団「ザ・わらべ」や彼女たちの妹的存在「こわらべ」、熊本県太鼓連盟の選抜ジュニアチームやキッズダンスの「B-スマイル」など9つの団体が参加。日本舞踊からダンスまで見応え満点です。
 第1部は「ファンタジー玉手箱」、第2部は「城下町の彩り」の2部構成。個性豊かな熊本の子どもたちが元気に舞台を彩るこのステージ。さて、どんな物語を見せてくれるのでしょうか。
 お得な前売り券は、各プレイガイド他で販売中です。詳しくは下記まで。

 問合せ/熊本いのちの電話事務局(平日午前10から午後6時まで)
 ℡ 096-354-4343


灯籠踊りのはなし

2013-08-06 18:57:50 | 歴史
 千年以上の歴史をもつといわれる「山鹿灯籠祭」だが、呼び物の「灯籠踊り」が始まったのは戦後のことで、昭和28年に藤間富士齋さんによって創作されたことは以前このブログでも紹介した。灯籠を頭にいただくという発想が今日の大成功へ導いたわけだが、この「灯籠踊り」は山鹿が専売特許というわけではなく、京都花園では江戸時代から、盂蘭盆に少女らが灯籠を頭に載せ、笛・太鼓に合わせて踊る念仏踊りが行われている。「山鹿灯籠踊り」の場合は、踊りの振り付け上、手に持った灯籠をどうするか、富士齋さんが苦心惨憺の上、頭に乗せることを思いついたわけだが、古代から頭上に物を乗せて運ぶ習慣は日本各地にあった。京都の「大原女(おはらめ)」や、徳島の「阿波のいただきさん」などがよく知られているように、特に女性の運搬手段として古くから行われていた。祭祀のとき巫女が頭上に神具をのせて運んだのが始まりとする説もあるらしい。そんな歴史を考えると、富士齋さんの発想は、ごく自然な帰結だったと言えなくもない。ただ、富士齋さんも述懐しているように、それから灯籠踊りに堪えうる灯籠を開発するに当っての灯籠師さんの苦労は並大抵のものじゃなかったらしい。そんな先人の努力にも思いを致しながら今年の灯籠踊りを見たいものだ。
※参考図書 「阿波のいただきさん(岡田一郎著)」

「ハイヤ追分」を聞きながら 北前船に想いを馳せて・・・

2013-08-05 21:58:21 | 音楽芸能
 昨日の「本條流秀美会ゆかたざらい」で初めて聞いた「ハイヤ追分」(作詞:浜口俊篁 作曲:本條秀美)。ちょっとクセになりそうな曲だ。「ハイヤ」というのは「牛深ハイヤ節」の「ハイヤ」のことで「南風(ハエ)」が語源。牛深の港は中世より天然の良港で「風待ち」をする多くの船が出入りした。「追分」というのは元々、街道の分岐点のことであるが、信濃の追分を往来する馬方たちが唄った馬子唄が「追分節」として各地に広まったといわれる。「街道」もあれば「海道」もあるわけで、船乗りたちにも「追分節」が広まった。朗々と歌い上げるスタイルが特長的である。この「ハイヤ追分」を聞いていると、繰り返す三味の音がまるで波を乗り越え進む船のピッチングを連想させる。
 本條秀美さん自身が唄う「ハイヤ追分」のアップロードを準備しているが、今回はその一部をご紹介したい。