縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

妖しいオヤジさんには和ろうそくの揺らぐ炎が似合うのだ・・・オヤジの一周忌

2023年11月19日 06時52分08秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
オヤジの一周忌で赤い蝋燭が3本必要となり、仏具屋に買いにいったらパラフィン蝋と昔からの和ろうそくのどちらがいいか?と聞かれた。
 
値段はパラフィン蝋が1本330円で和ろうそくが1本1335円と4倍もするが、迷わず和ろうそくを購入。
 
先祖と同じ道具立てでオヤジを供養してやりたいのだ。
今時は和ろうそくの炎のゆらぎや匂いを知らない人が多いのではないだろうか。
 
子供のころに近所の地蔵堂で、拝み屋(祈祷師・霊能者)のオヤジさんが一心不乱に祈祷していて、禿げ頭にとまった蚊が滝のように流れる汗にからめとられツーと流れていき、その熱中ぶりに驚いたことがある。
 
白装束に身をつつみ、読経と連打する太鼓の響きに和ろうそくの炎のゆらぎも相まって、怪奇映画みたいに鬼気迫る様相だったが、パラフィン蠟ではあの迫力はなかったろうなぁ。
 
ちなみに拝み屋のオヤジさんは近所のちいさな町工場の主で、シベリア抑留中に神さんが降りてきて、生きて帰国させるから人助けをしろと不思議な力を授かったんだっちゃんぞ!と、ほろ酔い気分のオヤジが教えてくれた。
 
インチキ臭いという人もいたけど、そのオヤジさんは律儀にも毎日夕方の4時になるとドンドンと太鼓をたたいて勤行していたから、町内の時報かわりになっていた。妖しいオヤジさんには和ろうそくの揺らぐ炎が似合うのだ。
 
婆さんからはキツネに化かされた話や、人魂の目撃談を聞かされた。
 
わが少年時代はまだ不思議が身近にありましたな。
 
 
 
 
 

人工芝はマイクロチップゴミの発生源・・・便利なくらしの代償

2023年11月17日 07時45分55秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
都内の河川でマイクロチップゴミの調査すると、ちぎれた人工芝のマイクロプラスチックゴミがすごいらしい。
拙宅の庭にもブロックタイプの人工芝が敷かれて、バラバラになってきたので回収してはいるが、微細なのは砂に混じっているのでとり切れず申し訳ない。
ガーデニング用に海砂をとってきた時は、もしやと思い砂をバケツの水に入れてみたら、発泡スチロールの細かいチップがプカプカ浮いてきた。
海水浴場のビーチクリーンが善意として報道されたりしているが、アクセスが悪くて人がいかない海岸はプラスチックゴミでいっぱい。
 
海にいくと暗い気持ちになるから、ゴミはなるべく見ないようにしている。
 
 

男時と女時・・・不要不急の国家プロジェクトよりインフラ整備

2023年11月09日 07時50分11秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
オリンピックや万博など、スクラップ&ビルドの国家イベントをやりたがる人は橋の下など見たことないだろうな。
少子高齢化は将来的な国家財政の縮小を意味するが、それでもコンクリート構造物の設計上の耐用年数は50年だから、既存の新幹線も高速道路は否が応でも橋梁の架け替えは必要だ。
 
東京オリンピックの建築特需は資材費が高騰して建築業者も東京に集中したから、熊本地震や水害の常総の被災地の復興が遅れたし、高騰した建築費は被災者を圧迫した。
 
橋台や橋脚がヒビ割れしただけなら心配ないが、ヒビから茶色い水がでていたら設計強度は期待できない。もちろん数年に一度の点検は義務化されいる。
 
世阿弥さんのことばを借りれば、高度成長期は男時(おどき)でオリンピックや万博で経済はまわる。
 
しかし現在は経済も国力も停滞・衰退の女時(めどき)だから、不要不急の国家プロジェクトは財政を圧迫する。相次ぐ自然災害や人口減少に備えたシステムつくり、インフラの整備・整理する時期ではないだろうか。
 
クロネコヤマトさんも「2025年問題」に備えて、6月から宅急便の最短お届け日時を変更したよ。
 
 
 

青森の縄文遺跡でカワサキ舟模型を発見・・・赤羽正春先生を偲ぶ

2023年10月19日 07時58分27秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

大正時代に糸魚川の漁民が北海道に移住した時の「カワサキ船」の模型は、新潟県村上市の民俗博物館に1点しか確認されていないので観にきなさいと教えてくれたのは、和船とシャケ漁の権威の赤羽正春先生。

地元の博物館に説明なしで展示されていた模型の写真を先生におくったら、二点目のカワサキ船の発見だと喜んでおられた。
 
そして北海道・青森の縄文世界遺産群めぐりの旅で、最古の土器が出土した青森県の「大平山元遺跡」の展示室で、カワサキ船の模型を二点みつけた。
しかも艤装が西洋帆船のスクーナーをモデルにした「合いの子舟」で、この艤装のお陰で風上にも進めたので冬の海でも遭難しにくくなってタラ漁ができたし、糸魚川~北海道まで6日間で渡れたのであり、これは貴重な文化遺産だ。
 
展示室の管理人はカワサキ舟のたんたるかを知らず、元は青森市の「みちのく北方漁船博物館」の展示品であったが、3・11の津波で被害をうけてこの展示室で展示することになったと教えてくれた。
こちらは和式の艤装をもつ全長7mのカワサキ船で、糸魚川の漁民が北海道に渡ったのはこのサイズでスクーナー式の艤装ではなかったか?
江戸時代の越前でうまれたカワサキ舟は優れた船型から各地で派生型がつくらた。赤羽先生なら水押しをみて、どの地域の影響をうけたカワサキ船かが解るはず。
思わぬ発見に興奮して赤羽先生に電話をしたら、初夏にお亡くなりになったと遺族から伝えられた。
 
青森から沿岸を南下して、村上市のご自宅を訪ねようと思っていたのだけど、疑問に答えてくれ、発見の喜びを分かち合える師匠がいなくなって淋しい。ご冥福をお祈りいたします。
 
 

ガザでなにが起きているのか?・・・中東問題の入門書「ぼくの村は壁で囲まれた」

2023年10月18日 07時54分06秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
この数日、ガザでおきていることに心を痛めている。ハマスがどうのという前に、イスラエル建国の経緯とアラブ諸国の関係を調べよう。
中東問題の初心者なら、発端を描いた「アラビアのロレンス」を観れば、たくさん疑問が湧いてくるだろう。
「オマールの壁」「パラダイス・ナウ」「ガザの美容院」はパレスチナ人が置かれた過酷な状況を描いた映画。
日常的に戦闘状態となるガザの美容室に集まる女たちの本音を描いた映画
第一次世界大戦までは仲良く暮らしていたパレスチナ人とイスラエル人の分断、そして和解を描いた映画
イスラエル人にもパレスチナ人に心を寄せる映画人がいて、「ゼロ・タウン」という名作がある。
もっと興味をもったら、「ぼくの村は壁で囲まれた」を読んでください。バイアスのない態度で公平に取材され、誰にでもわかるように書かれた入門書。
 
こういったことを知らないと、悪いのはイスラム過激派とする情報ばかりを鵜呑みにしてしまうヨ。
 
 
 

満蒙開拓団の娘たちの声を聞こう・・・平井美帆著「ソ連兵に差し出された娘たち」

2023年09月15日 07時25分35秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
いのりで願いがかなうなら宗教も哲学も必要はなく、有史以来どれだけの血の涙が流れてきたのか・・・。
満州の実効支配を名実化するためと、食料増産や景気対策を目的として、中国東北部への移民を奨励した国策が満蒙開拓団。実際は現地の人々の農地や家屋を武力を背景に奪って開拓団に格安で払い下げたので、現地人たちの恨みをかった。イスラエルがパレスチナでやった蛮行と同じことを日本もやった。
 
日本が無条件降伏を表明する直前の1945年8月9日、不可侵条約を破ったソ連軍が満州侵攻。
 
満州地域を支配していた帝国陸軍の関東軍は僅かな部隊に守備を命じ、30万の満蒙開拓団を見捨てて退却。8月16日にあっさりと武装解除したために無辜の開拓団はソ連軍の欲しいままとなり、集団自決をする開拓団が相次いだ。祈っても奇跡はおこらなかったのだ。
 
そんななかで岐阜県の黒川開拓団はソ連軍と交渉して、10代独身の乙女15名を性接待させる条件で安全をとりつけた。しかしソ連兵の扱いは性奴隷そのもので、彼女たちは暴行でアザだらけとなり、性病をうつされた。
 
みんなを守るためと泣いてガマンし続けた乙女たち・・・が、引き揚げ後の黒川村はこの事実を封印し、乙女たちはキズモノ、汚れモノと誹謗中傷されて離村せざるを得なかった。
 
戦後何十年も経ってから、当事者のひとりの佐藤ハルエさんが実名で公表したが、キワモノ扱いされて大きな話題にはならなかったようだ。風向きがかわったのがロシアのウクライナ侵攻である。
この悲劇を扱ったアーカイブ映像がYouTube動画で視聴できるが、書籍も何冊か出版されている。
 
同じ悲劇を繰り返してはいけないと他の当事者たちが名乗り出て、ついに黒川村は封印してきた事実を公に認め、開拓団の悲劇を刻んだ碑を建立した。
 
そして新たな証言もでた。日本軍は橋を爆破して退却したので、帰国する際の黒川村開拓団は河を渡ることができず、14歳の女の子をソ連軍に差し出す代わりに河を渡してもらったそうだが、その女の子はどうなったのだろう?
 
戦後は誹謗中傷されて黒川村に住めなくなったハルエさんは、シベリア抑留者だった夫にすべてを話して結婚。力をあわせて戦後を懸命に生きた。現在は家族の理解をえて戦争体験の語り部をしているが、お孫さんは「わたしたちが今あるのは、おばあちゃんのお陰」と言ってくれるのだそう。
 
8月15日は終戦にあらず。
戦争犠牲者とは戦死者のみにあらず。
弱者の武器は声をあげること、史実と真摯に向き合い同じ過ちを繰り返さないこと。
 
 
 

ソ連軍に乙女を差しだした日本軍・・・小柳ちひろ著「女たちのシベリア抑留」

2023年09月12日 07時03分02秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
シベリア抑留者には、医療従事者や軍属などの若い女性もいた。なかには夫が憲兵であっただけ、或いは軍で事務や通訳をしていた女性がスパイ活動をしていた戦犯として抑留されていた。
本書はNHK社会部デイレクターが取材に5年をかけて執筆した渾身の昭和史。戦争の犠牲者は戦地の将兵や空襲犠牲者だけでないし、8月15日以降も「戦争が続いていた」ことを丁寧に記録している。
 
 
居留民を見捨てて逃げた関東軍司令部は、ソ連軍のまっただなかに取り残された各病院に対し、「ソ連軍が要求するものは抵抗せずに与えろ。第一に酒、第二に女」と信じがたい示達を出した。
 
ある陸軍病院長は「軍人は命より大事な軍刀を渡したのだから、女の貞操くらいなんだ!」とソ連兵に差し出す看護師の人選を命じたが、気骨ある看護婦長が「それなら最初に奥さんを差しだしてください」と言い返したら沈黙したそうだ。
 
病院によっては懸命に看護師を守ったし、兵隊も命がけで守ってくれたが、ソ連兵に凌辱されて精神に異常をきたしたり、,連れ去られたまま還ってこない女性もいた。
 
内蒙古の居留民40万人を守り通した根本博中将のような見識と覚悟もなく、広大な満州で権勢をふるった関東軍のエリート軍人たちは、「大日本帝国」という後ろ盾がなくなった途端にソ連軍に尻尾をふり、保身のためなら乙女たちを人身御供に差し出す感覚の持ち主だった。
 
「無敵皇軍」「アジア解放の聖戦」の最後は惨めだったが、関東軍首脳のこの行為こそ国辱であり非国民ではなかったか。ページをめくるたびにソ連軍の蛮行は無論のこと、日本の指導者の無為無策さと無責任さに怒りがこみあげてくる。
 
が、ソ連軍は野蛮であっても、ロシアの民衆は朴訥として親切だったと語る抑留者は多く、個人的に交流した人もいた。
 
ソ連軍の傍若無人は最前線で戦っていた荒くれ部隊の行為であって、それをもってロシア人を語ってはいけないということだろう。それは「日本軍と個々の日本人」も同じで、わたしは韓国を旅行中に「戦前は近所に日本人が多く住んでいて可愛がってもらった」と、日本語を話すお年寄りから声をかけられ、親切をうけた経験がなんどかある。
 
何度でも書くが、戦争とは戦場での戦闘のみにあらず。
犠牲者となるのは兵士のみにあらず。
国家と国民は同じにあらず。
8月15日は終戦にあらず。
 
 
 

軍隊でうけた性的暴行をネタにした落語家・・・春風亭柳昇著「与太郎戦記」

2023年09月08日 08時46分54秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
落語家の春風亭柳昇(春風亭昇太の師匠)のベストセラーで映画化もされた「与太郎戦記」に、新兵時代は夜毎に上官から性的暴行を受けていたことが書かれている。
落語家だから明るい筆致で「最後の一線はこえさせず操をまもり通した」旨で笑いばなしのように書いているが、どこの国の軍隊も似たようなものであったらしい。
 
柳昇師匠は中国大陸で対空砲部隊の小隊長になったが、護衛もなく南方に転戦したときの輸送船の唯一の武器が「秘密兵器」として積まれた打上げ花火で、空襲時はこれを打ち上げて応戦しろと命令された。実際に打ちあげたら米軍機は驚いて逃げていったそうだ。
 
悲惨な戦争体験を笑いに昇華させた落語家。明るく軽やかな芸風で、必ず客席を沸かせる名人だった。
 
昭和史に興味をもったら、芸風そのままの本書を読めばとっつきやすいと思う。
 
 
 

90歳のおばあちゃんが遺言として戦争を語る・・稲毛幸子著「1945わたしの満州脱出記」

2023年09月02日 07時25分33秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

満州の「生き地獄」から辛くも帰国できた稲毛幸子さんが、遺言のつもりで91歳の時に出版した「1945わたしの満州脱出記」は、小さなお子さんのいるお母さんがたに読んで欲しい本。

稲毛さんはウクライナで同じことが繰り返されていることに心を痛め、戦争を知らない世代に悲惨さを語り継ぎたいと願っておられるようだ。
 
1945年9月2日はポツダム宣言受諾の調印式の日で、欧米の認識ではこの日が太平洋戦争の終戦である。しかし「戦争」は続いていた。
 
8月9日、不可侵条約を破棄したソ連が満州に侵攻、官僚や高級軍人は子弟だけを極秘裏に逃がした。また8月16日に武装解除の大命が下り、ソ連軍にも武士の情けはあり居留民に手を出さないであろうと、甘い見通しで降伏したため、数十万の居留民はソ連軍から乱暴狼藉を受けることになった。
 
・ロシア兵に拉致された娘たちは二度と戻ってこなかった。
・お隣りでは泣き叫ぶ幼児が射殺され、奥さんが凌辱されて自殺した。
・まいにち、どこかで女の悲鳴がきこえ、餓死者がでた。
・暇つぶしなのか、意味もなくロシア兵が隣家の子供を狙撃した。
 
当時20歳そこそこの稲毛さんも、なんどもロシア兵から強姦されそうになっている。しかし窮余のあまり、顔に味噌をぬって難を逃れた。異様な面相に情けなく、かゆくて仕方なかったそうだが、見た目以上にロシア兵は味噌の匂いが苦手だったようだ。
 
そんな暮らしを1年もつづけるうちに、稲毛さんの二人の乳飲み子も相次いで餓死したし、ご自身も片目を失明した。邦人の遺体は広場に放置され野犬のエサになっていたので、稲毛さんのご主人はロシア兵に隠れて真夜中に埋葬した。
 
幸か不幸か、二人目の子供が餓死した帰国直前に埋葬した遺体を掘り返して一緒に火葬できたので、遺骨をリュックに入れて一緒に帰国できた。リュックを背負うと遺骨がカタカタと音をたて、二人の子供が帰国を喜んでいるように感じたそうだ。
 
戦争とは戦闘のみに非ず。
生き残った者も、生涯その傷を負うことになる。
政治決着の終戦はあっても、「戦争」は終わらないのだ。
 
 
 

「お国のため」に始めた戦争の最後の作戦が「在留邦人をまもるため」・・・4万人の邦人を救った根本博中将

2023年08月20日 06時24分29秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
ソ連軍から4万人の居留民をすくった根本博中将をいまいちど紹介したい。
昭和史の本は子供のころから読みつづけていたのに、古本屋でこの本を見つけるまで根本中将のことは知らなかったのデス。
 
おそらく日本軍はじまって以来の出来事がおこった。
 
将兵は「お国のため」ではなく「同朋を守るため」に戦ったのである。
 
むろん特攻隊員のように個人的には「家族や故郷を守るため」と心の支えにした将兵もいたのだが、全軍が「無辜の同朋を守るため」と一致団結した作戦は空前絶後ではないか?
 
ひとえに根本が「ソ連軍から居留民を逃がすため」と作戦目的を明確・簡潔にしたことが、この奇跡の起爆剤となったのだと思う。目的も終りもみえない戦いでは士気は揚がらない。
 
根本が身命をかえりみず武装放棄を拒否した話しは、瞬く間に全将兵に伝わり士気はおおいにあがった。死地にある時、リーダーの覚悟や人となりは重要で、まさに「勇将の下に弱卒なし」の見本といえる。
 
張家口の市街地の外に構築した通称「日の丸陣地」を守備する召集兵が、「家族を逃がすために」と奮戦したと以前に書いたが、今回は最前線でソ連軍機甲師団を迎撃し、殿軍となって居留民に見落としがないかの確認までした戦車中隊を紹介したい。
日本軍の「九七式中戦車チハ」では装甲が薄く大砲は小口径だから、まともな戦車戦ではソ連軍に対抗できない。しかも日本軍25両ほどの戦車に対して、ソ連軍戦車は湧いて出てくるように陸続と集結してくる。
 
起山戦車隊長はどう戦ったのか?狭隘な山間地で待ち伏せして、至近距離から攻撃したのだ。
 
ソ連軍の足止めに成功した戦車隊は、居留民が避難した後の張家口の市街地を「日本人は残ってないか!」と叫びながら走り回ったそうだが、この部分を読むたびに涙があふれてくる。
 
沖縄戦でガマ(鍾乳洞)に避難していた民間人を追い出したり、自決を強要した部隊もあったなか、根本指揮下の職業軍人たちは民間人を守ることに徹していた。
 
この違いは作戦立案者の見識の違いだと思う。沖縄戦では「国体護持」、つまりは天皇制維持のために米軍に痛撃を与えて、和平交渉を有利にする狙いがあり、作戦立案者は戦地の実情を知らず、机上で作戦を練っていた大本営参謀本部。
 
対して根本中将はソ連軍の矢面にたつ前線の司令官だし、「軍人たるものは陛下の臣民を守るのが忠義」という考えであったのだろう。
根本在任中の司令官公邸は誰にでも門戸を開いていたから、現地人も遊びに来て酒を酌み交わした。占領下の中国人だからと見下す人物ではなく、公平で人間愛に溢れるスケールのおおきい人物であった。
 
だからこそかっての敵軍であっても、蔣介石は根本の要求を受け入れて在留邦人の帰国を助けもしたし、中華人民共和国との戦いで根本を参謀として招聘した。
蔣介石は独裁者と批判もあるが、日中戦争時の蔣介石は武力に勝る日本軍を広大な中国奥地に引き込み伸びた補給線を攻撃する戦法に出て、持久戦に持ち込んだ。日本軍を疲弊させると同時に、モンロー主義をとり第二次世界大戦参戦を渋るアメリカからの支援と参戦を促す目的もあり、世界に向けたプロパガンダも巧かった。
 
 
「お国のため」にはじめた15年戦争(満州事変から太平洋戦争まで)の最後の作戦が、軍功とは無縁な「同朋を守るため」であったこと、敵将から助けられたこと、これは救いではないだろうか。