縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

昔ながらの通夜・・・親父が逝った日

2022年10月28日 10時48分41秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
昔の通夜は親戚中が集まって賑やかだったし、男たちが一晩中酒を飲んでバクチして、線香を絶やさないようにしたもんだ、と生前の親父は言っていた。
 
自宅に戻った親父を座敷に安置して、最初の夜は家族だけで過ごしたが、お袋は一睡もせずに親父に話しかけていた。
 
二晩目は各地から集まってきた親族に、親父が懐かしがっていた昔の通夜を再現して欲しいと頼んで、文字通りひと晩中、昔話に花を咲かせて酒盛り。
 
日が変わっても飲んで騒いでいた男たちが寝入ってしまった後も、隣家に住んでいた従弟のトッチャンだけが朝まで独り飲み続け、親父の好きだった映画「ロッキー」のテーマ曲をエンドレスでスマホで流しながら「おじさんさぁ、顔冷たいネ・・・飲んじゃうヨ」と親父の顔をさすっていた。
そのとっちゃんも朝7時には親父に添い寝。山田の家系らしい天真爛漫さを最も引き継いでいるのが、親父とトッチャン。
 
かっては誕生から死までの儀式が親族の中で完結していた生活が、いまやセレモニーホールや病院に任せるようになり、当事者がお客さんの立場で済むようになってしまい、昔ながらの生活が忘れ去られようとしている。
 
親戚に久しぶりに逢って旧交を温めることができるのが、逝く者の置き土産。
 
みんな親父の前で大笑いして、よく食い、よく飲んだ。これこれ!と親父も喜んでるよ、とみんなが言っていた。
 
本日午後に古式の湯灌をして納棺、自宅から斎場へと出棺して通夜式。もちろん通夜のお籠りは、遠隔地の若手も交えて夜明かしですよ。
 
ヒマゴたちが逢いにくるぞ。待ってろよ親父!

親父がテンカウントを聴いた日・・・父、山田明逝去

2022年10月26日 05時46分01秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
親父の長期入院先の病院から、容体が下降しつつあるからと、2人限定で5分間だけで面会許可がでて。来るべきものが来たと覚悟。
お袋を連れて一年半ぶりに会った親父は、呼びかけに微かな反応をするものの、肉がそげ、白く、小さくなっていた。
 
昭和9年生まれ、昭和32年度の社会人ボクシング選手権ライト級チャンピョンの親父が、人生のテンカウントを迎えようとしている。
親父は中卒で工員になったが、喧嘩にあけくれ、ナイフで胸を刺されたこともあるくらいの荒んだ十代であったようだ。
 
しかし人生の転機は突然やってきた。
それは本屋で売られていたグラビア雑誌の表紙を飾る、史上最高のボクサーと称されるシュガー・レイ・ロビンソンのノックアウト写真を目にした刹那、「かっちょええ!」と思った時。
親父はシュガー・レイに憧れ、それまでの無頼な生活から足を洗い、家の前の樹に手製のサンドバッグをぶら下げ、まったくの我流でボクシングを始めた。
昭和20年代後半だからボクシングの教本もなく、ロードワーク・縄跳び・サンドバック打ちのたった独りだけのトレーニング。
 
周囲からボクシング馬鹿と笑われたが、噂を聞いた人から富山県高岡市のアマチュアジムを紹介してもらい、休日のたびに鈍行列車で富山通いをして本格的にボクシングを習った。
最初は富山県の選手として試合に出ていた。
 
親父の糸魚川デビュー戦が4月10日の「けんか祭り」の当日。
親父は欲得のない、開けっぴろげで天真爛漫な性格だから、早い段階で後援者がたくさんいて、明治と早稲田のボクシング部の交流戦を糸魚川に招致して、祭りでにぎわう神社のすぐ横の、糸魚川小学校体育館に特設リングをすえての大会だった。
晴れの舞台で親父はノックアウト勝利。
後援者が大手製造業を紹介してくれて、保安課に職を得た。
 
弟子入り志願者で出てきたこともあり、糸魚川警察署の柔剣道場を間借りして、「糸魚川アマチュアボクシングクラブ」を設立。
この時の若い巡査たちも出世した後に後援会に加わわり、普段は強面の刑事や署長が拙宅で酔っぱらっては珍芸を披露していた。
 
現役を引退した後は兄の経営する建設会社の倉庫を改装して、アマチュアでは珍しいフルサイズのリングと設備が揃った立派なジムを作った。
チャンピョンも誕生したし、プロボクサーになった練習生もいた。
もちろん私もボクシングを習ったし、いつしか同級生たちも通い始めたのは、映画「ロッキー」や漫画「がんばれ元気」がヒットして、具志堅用高さんが防衛記録を伸ばしていたころだ。
 
ガッツ石松など6人の世界チャンプを育てた名伯楽、エデイ・タウンゼントが特別コーチに来てくれたり、駒澤大学のボクシング部が夏の合宿にも来て、我が家はいつも選手と関係者でにぎわっていたので、一族総出で親父を支えたし、広いジムは近所の子供の遊び場にもなっていた。
 
高校の学園祭の時は、今は中堅漫画家として活躍している美術部仲間が、大林宣彦監督作品「転校生」のオマージュとして、ボクサーが主人公の8㎜映画を撮るからと協力を頼まれ、私はレフリー役兼ボクシング場面のアドバイザーとしてジムで撮影した。
あのフィルム、まだ残っているのか?今はもう無いジムを観たいもんだ。
 
ボクシング馬鹿の親父の遺した数々の思い出。
 
短気ですぐに手が出る厳しい親父だったが、チーム糸魚川と合同合宿していた大学のボクシング部員がシゴキに耐えかねて倒れ、先輩がバケツの水をぶっかけて起こそうとした刹那、親父は「かわいそうなことするな!休ませてやれ!ダボやぁ!」と激怒した。
ガチガチの体育会ノリは大嫌いで、「愉しんでボクシングせんきゃいけん」が口癖だった。
 
シュガー・レイ・ロビンソンの現役時代はまだテレビが普及しておらず、親父は映画館のニュース映像で試合を観て、かっちょええ!とボクシングの手本にしたようだが、いまYouTube動画で観ると確かにかっちょええ。
 
長身痩躯のシュガー・レイは、アップライトに構えてリズミカルなフットワーク、左のリードパンチから急接近して強打を打ち込むボクサーファイタータイプ。
力強くもスタイリッシュな近代ボクシングの創始者の一人であり、若き日のモハメド・アリも手本にしたボクサーだ。
 
シュガー・レイのシュガーは、砂糖のようにスイート(格好いいを意味するアメリカのスラング)なボクサーと評されて以来のニックネーム。
 
手先は不器用だし、並の運動神経の持ち主だった親父でも、コツコツと努力を積み重ねてチャンプになれたが、仕事でもその道のプロフェッショナルとして評価されるようになった。
 
親父が勤務する保安課は、緊急事態がなければ閑職で、特別な知識も必要とされなかったが、中年期に安全衛生管理部門へと配置換えとなった。
安全衛生とは、製造業や建設業などで義務化された、法規に基づく安全管理のことだ。
前述のとおり、親父は喧嘩は強くても勉強は苦手だったし、貧乏ゆえの中卒だったから、難しい漢字は駄目。だから法規の解釈に必要な素養は無かった。
 
最初はチンプンカンプンで仕事にならず、職場の人間関係にも悩んで、退職について母と話し合っていたようだ。
夜中に母とボソボソと深刻そうな話しをしていたのを覚えているが、この時ではないか思う。
しかし今度は家族のため、親父は持ち前の負けじ魂を発揮した。
 
まず近所のインテリを家庭教師に雇い、夜毎に法令集の解読を助けてもらったり、休日は仕事で知り合った法務局の若手職員の自宅で法解釈のレクチャーをしてもらっていた。
 
数年後には安全衛生の生き字引と評価されるようになり、中卒で一部上場企業に中途採用されたにしては異例の出世をした。
社内の管理職からは「山田さん、かなり法規にお詳しいですが、どちらの法学部を出られたのですか?」とたびたび聞かれ、中途採用の中卒と答えて、びっくりさせるのが面白かったようだ。
そんな親父だから、部課長クラスが中心となり「山田の会」というファンクラブのようなものができ、若い頃からの付き合いの警察関係者、法務局関係者らと一緒にジムのサポーターになっていった。
 
こんな親父を幸せな人だと言う人もいるが、地道にコツコツと努力を重ねる「継続は力なり」を地で行くド根性の人だったし、純粋無垢で陽気な性格だったから、多くの人が助けてくれたのだ。
 
定年を迎えるまでの毎晩9時までは、晩めしの後の茶の間で、ボロボロになった法令集を開いては翌日の仕事の要点を書き出し、母にワープロで清書させていた。
 
親父の幸運といえば、献身的このうえもない母と結婚したことだろう。
 
経営者を集めた大規模な安全衛生大会で講師を務めた親父が、最後に「こんにちあるのは家内のお陰」と感極まって、ボクシングジムの開設から今日に至るまでの母の献身を語り、満場の聴衆がもらい泣きして拍手喝采で終わった、と参加した人から聞いたことがある。
 
糸魚川ボクシングクラブの選手たちのトランクスとハイソックスは、選手に金銭的な負担をかけては可哀そうだと、お袋が手作りしていた。
選手たちや来客の食事や宿泊の世話に追われるお袋は、いったいいつ寝ているのか?と心配になって、お袋が酔いつぶれた宿泊者の介抱をしている間に、小学生の私は流し台に積み上げられた汚れた食器を深夜に洗っていた。
だから面倒なことはお袋におしつけて、呑気に酔っぱらってイビキをかいて寝ている親父を憎らしく思っていたし、今でもその思いはある。
それでもだ・・・。
 
親父のアイドルだったシュガー・レイのボクシングスタイルのようにスタイリッシュとはいえなくても、泥臭く懸命に生き、多くの人に愛され、支えられたスイートな人生だったと思う。
お袋への思いやりの無さは別として、我が人生に悔いはなし、と本人も思っていると思う。
 
お袋も「自分は好き放題なことやって、面倒は全部わたしに押し付けた」と、最近になってから苦労話しをするようになったが、「でも普通じゃ体験できない面白いことをいっぱい体験できたのはお父さんのお陰」とフォローしている。
 
それは私も同じ想い。
 
ここ数日、お袋と家の片づけをしながら心の準備をしていた。
そして今朝はやくに旅だった。享年88歳の大往生だった。
これから病院に迎えに行くが、しばらくは連絡つきにくいです。

海が黄色や白に濁る日・・・道路の車線や点字ブロックはマイクロチップゴミの発生源であるらしい

2022年10月18日 07時25分20秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

春になって雪がとけると、歩道除雪車のブレードで砕かれた点字ブロックの細かい屑が大量にでてきて暗い気持ちになる。

もちろん歩道除雪はありがたいし、オペレーターは悪くない。

10月時点でもこんな感じだが、春先はもっとたくさんの黄色い粒々が散らばっている。
 
気になって調べたら点字ブロックだけでなく、道路の車線や横断歩道の白い塗料も含めて、「合成高分子化合物」に分類されるマイクロチップゴミの発生源だそうだ。
 
世界中の道路の塗装が、マイクロチップになってが大気に舞い、川と海に流れていく。世界的なロングセラーになっているレイチェル・カーソンの「沈黙の春」は農薬と除草剤の問題に警鐘を鳴らしたが、あらたに放射能やプラスチックゴミも加わわり、脅威は減るということはない。
 
ストローやビニール袋の削減や、ビーチクリーン活動が報道される一方で、より広範囲に大量のマイクロチップが発生している事態に環境省は対策を考えているのだろうか?
政治主導で代替品の開発をする必要があるのではないか?青い海が黄色や白に濁るようになってからでは遅い。
 
 

燃える闘魂、逝く・・・アントニオ猪木を偲ぶ

2022年10月02日 08時14分19秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
最強の格闘技を決める異種格闘技戦なんて、野球とサッカーの試合をして球技の世界一を決めるようなもんでしょ?そんな批判をものともせず、アマチュア空手家も興行の世界に引き込み、格闘技ブームを作ったアントニオ猪木。
昨夜は猪木の追悼で「四角いジャングル・格闘技世界一」を視聴したが、出てくる人のほとんどは故人となっていて、熱い時代の熱血漢たちを偲んだ。
 
モハメド・アリと戦った男の看板があったから、イスラム圏では猪木の知名度は高かった。
 
湾岸戦争で人質となった40数名の在留邦人を、個人の立場としてバクダットで新日本プロレスの興行と共に、サダムフセインに人質解放の直談判に成功。
 
帰国した人たちが「外務省はなにもしてくれなかった。猪木さんのお陰です」と猪木を称えたが、外務省や政治家は面白くなかっただろう。
 
バクダットの人質救出の二匹目のドジョウを狙ったのか、北朝鮮出身の力道山の弟子だった縁を頼りに、拉致被害者救出のために北朝鮮で初めてのプロレス興行もしたが、こちらは成功せずに借金が増えただけだった。
 
3秒以内なら反則が許され、お客さんが喜べば結果オーライというプロレスルールを事業や政治の世界でも発揮したから、独善的なスタンドプレーや会社資金の私的流用など批判も多かった。
 
燃える闘魂、アントニオ猪木は、なにをやっても、最後までプロレスラーだった。熱い姿を見せてくれてありがとう、と謝辞を贈る。
 
 
 

 


太平洋戦争を終わらせた人々・・・角田房子著「一死、大罪を謝す」

2022年09月21日 07時08分38秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
ポツダム宣言受諾時の陸軍大臣だった阿南惟幾の評伝が、面白いのに緻密すぎて読了に半年もかかってしまった。
著者は半藤一利さんと同じく、膨大な一次資料と関係者へのインタビューを元に、浮かび上がってくる阿南の人物像を、最後まで疑問符を残したまま描く誠実きわまりない手法をとっている。
阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣
 
ネット情報を切り張りして解ったようなことを書くSNSとは次元が違い過ぎて、読む側も誠実にならざるを得ず、読み込むのに時間がかかるのだ。半藤一利の名著「日本のいちばん長い日」と併せて読みたい一級の昭和史。
鈴木勘太郎首相は日露戦争時に「鬼勘」と勇名を馳せた海軍軍人。のちに海軍大臣、侍従長を歴任し、侍従長時代に阿南が陸軍侍従武官であったことからお互いの人柄を認めあっていたようだ。
 
例えば・・・
最後まで徹底抗戦を訴えていた阿南が、実は鈴木勘太郎首相に懇願されて大臣就任に就任した直後から、極秘裏に和平工作の可能性を探っており、徹底抗戦は陸軍の内乱を防ぐための腹芸だったと秘書官の証言が紹介されている。
 
親英派で和平工作の急先鋒と目されていた吉田茂が憲兵に逮捕された際も、鶴の一声で釈放させて「吉田はこれからの日本に必要な人物」と側近に漏らしていたことは半藤一利も書いているが、これは初めて知った。
 
また一億玉砕の本土決戦を唱えていた陸軍にあって、阿南が講和を考え始めたのは沖縄戦の敗北以降のようだ。
 
私の長年の疑問だったのは、8月14日のポツダム宣言受諾の御前会議が終わった深夜、割腹前に側近と酒を酌み交わした阿南が「米内を切れ!」と言ったことの真意。
米内海軍大臣。山本五十六・井上成美とともに「海軍左派三羽烏」「軍縮派」と呼ばれ、日独伊三国同盟の締結は対英米戦に繋がると反対の立場をとっていた。
 
米内は早期講和を明言していた海軍大臣であり、太平洋戦争に反対の立場をとっていた提督。
 
「米内を切れ」と言った経緯が、時系列で丁寧に描かれていて納得。
 
阿南は情の人、米内は理知の人、望洋とした鈴木勘太郎首相と政治未経験の鈴木を補佐した切れ者の迫水内閣書記長のコンビなくば、陸軍がクーデターを起こして、もっと悲惨な戦後になっていただろう。
迫水久常内閣書記長。元大蔵省官僚で戦後は自民党議員。本土決戦を唱える主戦派を納得させるために、ポツダム宣言受諾を天皇の言葉で言わせる政治的ウルトラCを発案したのは自分であると語っている。
 
 
ちなみに本土決戦の兵器として陸軍が用意していたのは、竹やり・弓矢・先込め式の単発ライフルでしかなく、当時の日本軍が保有する弾薬をかき集めても、一会戦分しかなかったそうだ。
 
 
 

映像プロパガンダ・・・NHK番組「映像の世紀バタフライエフェクト」

2022年09月14日 07時35分52秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
NHK番組「映像の世紀バタフライエフェクト」の「映像プロパガンダ戦 嘘(うそ)と嘘(うそ)の激突」は、映画ファンとしても興味深い内容だった。
映画史上、最初にモンタージュ技法を使った「戦艦ポチョムキン」のエイゼンシュテイン監督は、日本語からモンタージュのヒントを得たそうで、日本語の学習ノートを残している。
エイゼンシュテイン監督
 
例えば口に犬で「吠える」、口に鳥で「鳴く」などのように、別の映像を繋ぐことで、映像だけで物語の背景や連続性を連想させるのがモンタージュ。
 
この映画を絶賛したのが、後にナチスドイツの宣伝相となるゲッペルズで、それまでポスターとチラシを使ったプロパガンダから、映像によるプロパガンダに転換していくことになる。
ゲッペルズがドイツの映画人を集めて、「しっかりした考えのない人々でも、この映画で共産主義者にすることができるのだ!」と、共産プロパガンダ映画の「戦艦ポチョムキン」のナチス版を作るべし!と演説する映像が紹介されていた。
 
ヒトラーの演説に熱狂する大衆の多くは、実は無料の食事会で集めた人々であり、それらを巧みにモンタージュすることで「大衆を熱狂させる偉大な指導者」のイメージを作る技法は、「嘘も100回言えば真実になる」のゲッペルズが最初だったのだ。
 
さらにナチスのプロパガンダ映画に衝撃を受けたのが、アカデミー賞を3度受賞したハリウッドのフランク・キャプラ監督で、太平洋戦争では、モンタージュを駆使して日本人を狂犬扱いした侮蔑的な反日プロパガンダ映画を作っている。
 
高校の時に観たキャプラの「或る夜の出来事」「スミス都に行く」「素晴らしき哉、人生!」などのヒューマニズム映画のファンになったが、後年に「失われた地平線」でアジア人を見下す白人至上主義を感じて一気に熱が冷めてしまったし、デイズニーと同じく、戦後の赤狩りでは映画業界人を密告したりしてもしていたそうで、がっかりしたことを覚えている。
 
私と同世代の映画ファンなら、「戦艦ポチョムキン」は狭いマンションの「高田馬場ミニシアター」のオールナイト上映で、窮屈な体育座りで観た人が多いと思う。懐かしいねぇ。
 
 
 

「チキチキマシン猛レース」のケンケンのモデルは「刑事コロンボ」だった!・・・映画「グレート・レース」

2022年08月30日 06時59分31秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
いただきものの映画DVDシリーズ第二作目は、1965年製作のコメデイ映画「グレート・レース」。20世紀初頭に行われたニューヨーク・パリ間の自動車レースを漫画チックに描いた大ヒット作品。
小学生の時にテレビの映画劇場で観た時、アニメ「チキチキマシン猛レース」の元ネタであることに気が付いていた。
 
犬のケンケンのモデルになった悪役の助手が、「刑事コロンボ」で人気者になる前のピーター・フォークであることにも気づいていたが、視聴しているうちに忘れていた小学生当時の発見がよみがえってきて実に楽しい映画だった。
 
善玉のトニー・カーチスは車も服も白づくし、悪玉(ブラック魔王の元ネタ)のジャック・レモンは黒づくし、紅一点のナタリー・ウッドはピンクづくしのわかりやすいキャラクター設定だが、シリアス演技も定評のある名優たちがコメデイを演じるのだから、面白くないハズがない。
 
右が悪玉のジャックレモンと手下のピーターフォーク。「チキチキマシン猛レース」ではブラック魔王と犬のケンケンになっている訳ですね。
子供の頃に大人気だった「チキチキマシン猛レース」のケンケンとブラック魔王。ケンケンの「ヒヒヒヒヒ」という笑い方を真似した子供はたくさんいたと思う。わたしもそのひとり(笑)
 
昔の西部劇によくでてくる酒場の大乱闘や、美人女優のナタリー・ウッドにも容赦ないパイ投げ合戦の場面などなど、コメディ映画の要素が盛りだくさん。
 
ジャック・レモンの吹き替えは愛川欽也が定番だが、劇中でレモンがなんどもする高笑いと愛川さんの笑い方がそっくりで、もしかしたら愛川さんのコメデイタッチの演技はレモンから影響を受けているのかも?それにしても最初にレモンの吹き替えに愛川さんを起用した演出家の慧眼にも敬意。
 
それと主演のトニー・カーチスの絵にかいたような二枚目演技と、抜群の身体能力に惚れ惚れする。
この人は史劇でも見事な剣劇アクションを披露しているが、この映画にも剣劇場面があり、いわゆる様式美の殺陣ではなく、クロサワ映画の三船敏郎のようなリアルな殺陣がスリル満点。
 
また立っているだけの演技で、王子様キャラの雰囲気を醸し出すことのできる俳優でもあり、まさしく「銀幕のスタア」と呼ぶに相応しい。近頃はこんな俳優はいないナ。
 
 
トニー・カーチスが女性に笑いかけると、目や歯がキラリと光るマンガチックな演出など、この映画は「チキチキマシン猛レース」だけでなく、後の映画や漫画に与えた影響は計り知れませんな。
 
 
 

 


ビーチクリーンで集めたゴミの行方・・・埋立てではマイクロチップゴミの発生源では?

2022年08月28日 08時54分46秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
海水浴場のビーチクリーンの報道をみるにつけ、人目に触れない海岸の漂着ゴミはどうなってる?と気が重くなる。
ストローやレジ袋の規制の報道をみるにつけ、砕けた発泡スチロールや、割れたプラスチック製品の欠片、人工芝から千切れたマイクロチップゴミはどうする?と憤りを感じる。
砂浜には目視できるサイズのマイクロチップゴミがたくさん混じっていて、海に漂っていたら魚卵みたいに見えるだろうから、魚は食っちゃうでしょうよ。目視できない細かいものは、人間だって知らない内に飲んでいるだろう。
ビーチクリーンで集めたゴミの行方は?埋め立て処分ではマイクロチップゴミの発生源であることに変わりはなく、「ゴミを人目につかないところに移動」をしただけではないだろうか?
 
そんなことを言う私も、子供の頃から「暮らしの手帖」を愛読していたので、学生時代からマイバックやマイボトルを持ち歩いてきたが、工房の改装工事で断熱材の無数のマイクロチップゴミを出しているので、大きな顔はできないのだ。
 
ストローやレジ袋をスケープゴートにして環境問題を語っても、明るい未来をイメージできないのは、私だけなのだろうか?
 
漂着するプラスチックゴミの問題を真剣に考えると気が重くなるから、直視しないようになっている。
 
 
 

 


公然と戦争に反対した植木等さんの父親・・・植木等著「夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記」

2022年08月23日 07時16分37秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
宗教界の戦争協力をテーマにした、BSNHK「戦禍のなかの僧侶たち」を視聴した。番組は浄土真宗の戦争協力が紹介されていたが、高野山だって怨敵調伏の護摩焚きをしていた。
 
「八紘一宇は建国以来の国是」と、宮沢賢治など、侵略戦争を無批判に賛美した文化人が多くいた時代、公然と戦争反対を訴えた人もいた。
そのなかの一人が、植木等さんの父親の浄土真宗の僧侶だった徹誠(てつじょう)で、戦争反対の他に部落差別問題にも取り組んでいたので、長男の等は「平等」に由来した命名。
 
徹誠は出征兵士に必ず生きて還ってこい、鉄砲は当たらないように撃ち、敵兵を殺してはいけないと激励したから、治安維持法違反で逮捕もされた。
 
僧侶不在の寺では、少年時代の植木さんが父親のかわりに檀家回りをしていたそうだ。
 
勝った!勝った!また勝った!と、日本中が戦果に浮かれていた時代、下町で運送業を営んでいた半藤一利さんの父親も、資源のない日本が戦争に勝てる訳がないと家族をたしなめ、敗戦後に進駐軍が日本の男を南方に連れていき奴隷にされる、女は妾にされるとの流言飛語に対しても、日本の男をぜんぶ南方に運ぶだけの輸送船などあるもんか、アメリカ兵にも奥さんがいるから、そんなバカなことがあるか!と一喝したそうだ。
 
国民の大多数が侵略戦争を賛美をして、敗戦で掌返しに「騙された!」と批判に転じた時流にあっても、超然とした態度を保ち、戦争批判をした人もいた。
 
そんな人に私もなりたい・・・ねぇ、賢治さん。
 
 
 
 

キャンデイとマービンが来た・・・コミュニケーション能力が高いジャマイカン夫妻

2022年08月17日 07時33分31秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

夏は来客が多いのが楽しみなのだが、昨日は糸魚川で英語の教師をしていたキャンデイとマービンの夫婦が訪ねてきた。

会うのは4度目、4~5年ぶりくらいか?家族が増えただけでなく、マービンの髪に白髪がはえていて、腹もでてきたぞ(笑)

玄関で丸木舟のパドルを作っていたら、what are you doing?と聞いてきたのが初対面。
 
人懐こいジャマイカン夫妻は、木工が得意なら箸を作ってくれないか?と頼んできたので、秘蔵の「けんか祭り」の鶏爺の竹で作ってあげたら喜ばれた。その後、彼らは弘前に移住すると別れのあいさつに来て以来の再会。
 
当時はベビーだったお嬢ちゃんに加え、男の子が二人増えていた。
 
笑ってしまうのが、日本語学習歴5年以内の子供たちが流暢な日本語を話し、子供より遥かに長い日本滞在歴の夫妻がカタコトの日本語のままということ。
 
私が贈った箸は、いまも夫妻で使っている、ありがとう、と何度もお礼をいっていた。律儀なひとたち。
 
昨夜は根地区に泊まり、今日くらいまで糸魚川で世話になった人たちを訪ね歩いているらしいので、どこかで見かけたら話しかけてやってくださいよ。
 
英語が苦手でも大丈夫。彼らは陽気なだけでなく、お袋の日本語に英単語を混ぜただけの会話でも意味を察して、ちゃんと会話が成り立っていたし、私もお嬢ちゃんの通訳に助けられた(笑)
 
バックパッカーあるあるだけど、会話の基本は、文法や単語以前に、ホスピタリティやコミュニケーション能力といった人間性なんだよねぇ。