秋田港は雄物川河口に作られた大きな港。
客船や貨物船、漁船がひつきりなしに出入りしていて、人力のシーカヤックで越えるには新潟港以上に危険な港。
秋田港越えの日の天気予報は、午後くらいから向風でウネリも1メートルであつたので、前日は雄物川河口の廃屋に野宿して早朝出発の準備をした。
廃屋といっても海の家なので、民家のような不気味さは無い。
なぜテントに泊らず廃屋で野宿かというと、デントを張ると晴れても夜露でびしよびしよになり、乾かす為に出発が遅れてしまうからである。
朝6時の出発のお陰で、朝凪のうちに秋田港を越えられたが、本船航路を抜けたら時分から5メートル程の向風が吹き出し、岸に寄せるまでの約5キロは平均時速2キロ代と大変だった。
振り返ると秋田港の風力発電の風車がグルグル周っていた。
雄物川河口。
三千年前の縄文時代後期には、この上流にもヒスイが運ばれている。
現在の河口は、近代になってから作られたバイパスで、ご先祖がヒスイを運んだ古の雄物川河口は、秋田港の奥にある。
雄物川を越えれば秋田市。
風速5メートルの向風は、時にはに10メートルの突風となり、クタクタになって上陸した浜が潟上市の下戸浜。
知らない内に秋田市を越えてしまい、男鹿半島の手前の八郎潟のある街まで来てしまったのだ。
潟上市には東湖八坂神社かあり、主祭神のスサノオ之尊をイメージキャラクターにして、町おこしをしているらしく、環濠集落の広場があった。
広々と開けた縄文の集落と違い、塀に囲まれた弥生の環濠集落はとうも性に合わない。