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玉依比賣命神社「児玉石神事」・・・日本列島人の成り立ち

2019年01月10日 07時44分07秒 | ぬなかわヒスイ工房

玉依比賣命神社になぜ800点を越える大量の玉類が奉納されているのか?

今年は2点の奉納(来たり石という)があり、総計852点の玉類を数えた。

氏子の方によると近隣に「大室古墳群」があり、かって古墳を崩して田畑を造成した時に出土した玉類が奉納されたのが最初ではなかったかとのこと。


古墳時代中期の古墳群は505基の古墳が確認され、その多くは渡来人墓制の石積みされた合掌形石室を持つ円墳。石積みされた古墳だから壊すと大量の石材が入手でき、田畑造成の際は法面保護に具合がよかったそうだ(笑)


新潟県はけっして古墳は多くはない地域なのだが、大量の古墳がなぜ信州の高原に存在するのか?

しかも渡来人系の・・・。

彼らがやって来たルートが日本海ルートであったにしても、安住の地を途中の新潟ではなく信州に求めた理由はなんだったのだろう?

右上の大珠は縄文時代前期?、その右隣りは中期?と推測しているのだが、いかがなものだろうか。

弥生時代に日本海沿岸の北陸地方で盛行した子持ち勾玉は、もちろん糸魚川でも作っていて、この中に私のご先祖の作品があったかもと考えると感慨深い。

 

私には古墳時代の遺跡は稲作に適した平地という思い込みがあったのだけど、稲作地帯ではない蕎麦や麦といった粉食文化圏の信州、甲州、上州といった中部高原地帯に以外と古墳が多いことに目からウロコが落ちる思いがする。

弥生、古墳時代の渡来系の人々が中部高原地帯で勢力を持っていた動かぬ証拠・・・。

日本列島人は単一民族などではなく、その成り立ちは一筋縄ではないですな。