三種の神器のうち、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だけが非金属で日本オリジナルの祭器だと気付いたのは、「平成の大首飾り」を製作中のことだ。
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金属器が渡来する縄文時代から勾玉はあったし、海外の勾玉の類例より歴史は古い。11月23日~26日に都内文京区根津の個展。製作期間はあと1週間。
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北海道の高砂貝塚で見た、母子ともども亡くなった遺体に副葬された勾玉に思う処があり、勾玉の内実について考え続けているが、勾玉ってなんだろう?
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副葬された勾玉は胎児そのものに感じる。縄文時代にしては珍しい深緑系のヒスイの綺麗な部分が使われている。
ニューアカデミーおじさんや、ユーチューバーみたいに「日本の霊性」「やばすぎる勾玉の真実」「実はすごかった縄文の祭器」なんてキャッチーな言葉で観念論を語る口はもたない。勾玉つくりの当事者として畏れ多さを感じるのだ。
つくればつくるほど難しくなり、わからなくなっていく。
弥生中期、古墳前期の勾玉の完成度に打ちのめされ、遠く及ばない拙さがもどかしい。
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