縄文人は、硬いヒスイにどうやって孔を開けていたのか?
未成品の孔底に、管錐(かんすい;パイプ状の錐先)を回転穿孔した痕跡が残っているので、篠竹やウツギなどを回転させていたのではないかと推測されおり、実験例も幾つかある。
しかし縄文前期~後期までの大珠などには直径5㎜内外の大き目の孔が開いているが、晩期の小型装飾品には直径2~3㎜の小さな孔が開けられており、これは竹ヒゴで穿孔したのではないか?と仮説を立てて、只今実験中。
花崗岩片を採集した勝山下の落水(おちりみず)は、糸魚川で唯一花崗岩が露頭した場所で、私の高校時代には花崗岩が砕けた砂粒が堆積していた。
竹の錐先のみでは竹が削れていくだけなので、ヒスイより硬い石英質の媒材砂と水を付けて回転穿孔していたと推測されているが、石英系の石を砕いて石英砂を作っていたらしいと言われても、縄文人はそんな危険で面倒なことをしなかったのでは?
石英部分を選んで、石皿の上でコツコツと叩くと、簡単に割れてくれた。
そこで勝山から風化して砕けた花崗岩片を拾ってきて、石皿で砕いたら、いとも簡単に真砂(マサ;花崗岩が風化してできた砂)が作れたので、水干(みずひ)して精製。
500円玉くらいの大きさに割った中で、茶色っぽい部分は捨てて、白い石英質部分だけ磨り潰すが意外に楽勝。
全部の作業で1時間で200gくらいできた。
次の問題は穿孔具だが、愛用の弓錐式発火具に竹ヒゴが差替えできる先端アタッチメントを製作、試行錯誤を繰り返して、1時間に1㎜の深さを穿孔できる穿孔具が完成した。
ちなみに竹ヒゴは30分で2㎜減っていく。
研磨砂製作から3日目にして、現時点で6㎜の深さに孔開け成功!
ヒスイ原石は厚み10㎜あるので、あと4時間で貫通の見通しだ。
これが終わったら、条件がもっと楽な管錐による穿孔、その次は、原石割り、成形も含めた実験をする所存。
縄文人の知恵に学ぶ、ヒトとヒスイの物語、コロナ禍で暇になったお陰でありマス。
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