今年の「けんか祭り」の禊は波が高すぎ、膝くらいまでしか海に入らなかった。
「われは海の子」を地で行くような少年時代をおくってきた氏子たちは、「盆過ぎならこのノタ(波を意味する浜言葉)でもいいけん、今日は沖にもっていかれる」と、禊の朝のヒスイ海岸の危険さを共有しているところが嬉しい。盆過ぎならいいけんとは言っても、波にグルグル巻かれるのが楽しかった少年時代の思い出を暗喩しているので、普通の人は真似しちゃダメW
禊のあとは三々五々と墓参りにいくが、そうしろと教わった訳ではなく、自然とそうしたくなるのが「けんか祭り」の不思議。氏子にとって神社のご祀神の名前はどうでもいいところがあって、だた「神さん」とだけ呼ぶ。つまりは明治以降の国家神道の影響をものともせず、縄文以来ともいえる祖霊信仰を色濃く残した祭りということだろう。この部分もわたしが好むところ。
寺町区の鶏爺(トリジ)
祭りで一番の名誉が鶏爺の大役で、押上区は赤い色で口をひらいて舌をだした面、寺町区は赤茶色で口を引き締めた歯嚙(シガミ)の面をしているので、阿吽を意味しているのかも知れない。
「けんか祭り」の間の鶏爺にはなんの権限もなく、「神さん」として祀りあげられて榊を振っているだけだし、この祭りには絶対的なリーダーがおらず氏子の総意を運営委員長くみ取り代表権をもち、神社は「天津神社春の例大祭」をうたいながらも「場所を貸しているだけ」という立場なのも面白い。
氏子が神社を借りて「けんか祭りという場」をつくり、そこに降りてくる祖霊たちを慰撫する祭りなのだと、わたしは実感している。
糸魚川けんか祭りに1万1千人 新潟
御輿を引っ張る「手引き」と担いで走る「白丁」は、転んだら一生の笑いもの、男として認められないというプレッシャーがのしかかってなお立候補した、勇気ある男の証し。
御輿の喧嘩を「ぶつけ合い」と言われるようになったのは最近のことで、昔は「競り合い」と言っていていて、ラクビーのスクラムのように御輿を「競り合う」。
前のほうにいると後ろから100人ちかい味方の圧力を受けることになるので、体が横を向いたりすると胸や首が圧されて呼吸困難となり内臓が破裂しそうになることもある。
真っ先に前にいく人をみたら、度胸と体力のある偉丈夫だと褒め称えてやって欲しい。今年は幼馴染のケンジやカズユキちゃんが頑張ってた。今年の「競り合い」はずっと御輿の後ろの担ぎ棒を担いでいて、誰かの肘があばら骨に当たった痣が何か所もできた。
圧力に負けて肩を抜くのは弱い男と表明するようなものだから意地でも肩を抜けないし、肋骨にヒビがはいったくらいで泣き言を言うのは男の恥辱だから、みんなケガをしても黙ってる。
わたしの前を担いでいた若者の首が担ぎ棒の角に圧されて苦悶の表情を浮かべた刹那、横にいた四歳年長のカズユキちゃんが「出ろっ!死ぬぞ!」と引っ張りだし「オサム頼む!」と声をかけてきた。おうとも!よくぞ男子に生まれけり!と血が沸騰した。
何はともあれ無事に祭りを終えた途端、年相応のヨレヨレのオッサンになったw
祭りで精も根も尽き果てた夜は、ひたすら眠る。1週間くらいは声は出ず、全身が重だるくてボーとした症状が続くが、「お祭りでストレス解消して明日から仕事がんばれますね!」なんて軽く言われると返す言葉もなく、お祭りイベントしか知らない人に説明はできんW
翌朝は部分的な筋肉痛はないが全身もれなく筋肉痛で、午前中はラジオを聞きながら祭りの余韻にひたりつつ、布団のなかでウトウトしていた。気持ちいいんだこれが。
祭りは郷土愛を育てると同時に「そんなことしたらバチが当たる」といったコミュニティに共有された道徳心、共同でなにごとかを成し遂げる協調性、敬老精神を育てる。これも「けんか祭り」で得た実感だ。
いまさら「教育勅語」を持ち出し、国家への忠誠心や愛国心を教育現場で教えるのは不自然に過ぎると思う。
地域の祭りを大事にしよう。参加しよう。
そうすれば郷土愛の延長線にある、ごくごく自然な愛国心のようなものが芽生える。そこから先は個人の選択だ。
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