6月20日の長者ヶ原遺跡の「縄文キャンプ」で、スペシャルゲストに招いた早瀬千春さんの先祖は450年前に福岡からやってきた海女一族で、彼女も15歳から修行をはじめた生っ粋の海の人。
20mもの海底でアワビ漁をする彼女は、サメにおっかけられたり、テトラポットに挟まって脱出できなくなったりと死と隣り合わせの日常をおくっている、いや送っていた。
そんな気丈な彼女でも能登半島地震で悲鳴をあげた。発災時の彼女は丹後半島の海女仲間とビデオ通話しており、キャー!と絶叫した途端に通話が途絶えたので、仲間内では死んだと噂された。
ビデオ通話していた時の彼女はコタツにいたが、二階にいる息子さんを心配していたら階段の所から空が見えた・・・同じ位置。
輪島港目前の自宅は全壊し、大津波警報発令。
ご主人は冷静に防寒着を着て長靴をはいて高台避難を指示。表にでたら一人暮らしの老人宅がぺっしゃんこになっており、瓦礫と化した家の中から助けを求める声が聞こえたので、ご主人だけ残って人命救助・・・大津波警報発令中のことだ。
命からがら高台避難したのちに避難所に移動しても、帰省客や観光客で人口が増えていたので満員で入ることができず、車中泊を余儀なくされた。避難所に備蓄された3日分の水食糧は一瞬でなくなった。
発災時の記憶はところどころ飛んでいる。発災から半年ちかく経っても夜はうなされるし眠りも浅い・・・明日は我が身の貴重な震災経験を聴けるのだが、竪穴住居宿泊プランにキャンセルがでたので、若干名の追加募集!
夜のお話し会だけ参加プランは、100人いてもいいくらい。発災から今日までどんな生活をおくったのか、ざっくばらんに質問してほしい。
写真は沖縄の海人写真家、古谷ちか子さん撮影。
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