ヒスイが好きという人には、希少鉱物として好きな人もいれば、神話世界や歴史的存在物として好きな人など様々。
私の所に訪ねてくるお客様は、ほとんどが縄文や神話からヒスイに興味を持ったという方ばかり。
古事記などに記述された正史とは真逆な、奴奈川姫の悲劇的な伝説もあり、姫が「自ら火をはなち、お隠れになった」伝説のある稚児ケ池を案内して欲しいという人も訪ねてくる。
先日、稚児ケ池にご案内した方は、アイヌ式にイナウ(御幣に似た削りかけの依り代・供物でもある)まで作ってカムイノミ(ご神事)をされた。
イナウを火に投じて神の国に送る神事。手前の白いものは鹿角製のイクパスイ(奉酒箸)で、お神酒を神様に捧げるための祭器で、本来は木でできている。
頂きものの小型イナウ。素材はミズキで、ここまで小さいイナウを作れる人はいないのだとか。
ぬなかわヒスイ工房の神棚にイナウを飾った。
普通サイズのイナウはこれくらいの大きさ
北海道旅行の時に知遇を得たアイヌ民族の方には、糸魚川のご先祖であるヌナカワ族は、イズモやヤマトに征服された縄文系の先住民と認識しておられる方もいて驚いたが、その点は私も同感。
アイヌの小刀(マキリ)
ハヤト、クマソ、ツチクモ、エミシ、そしてオキナワ、アイヌ、朝鮮半島からやってきた人々。
旧石器時代以来、日本列島は各地からやってきた多様な人々が住み着き、混血しながら今日に至っている。
けっして単一民族などではない。
「アイヌ民族は存在しない」と公言した政治家がいるそうだが、人類学的な分類や血の濃さを問題にするなら、「正統な大和民族・純粋な日本人」という定義も成り立たず、各自の文化的背景やアイデンティティこそを問題にして頂きたい。
最近の縄文ブームにしても、あたかも縄文が世界最初の文化であり、各地に広がったというような「縄文中華思想」のような発言をする人がいて、民族主義や皇国史観の代替概念のように感じる。
私は、縄文人を民族として捉えるのではなく、文化として捉えるべきと考えている。
戦後に作家の島尾敏雄が提唱した、「日本列島に住む人々」という意味のヤポネシアンという概念があり、偏狭な民族主義など吹き飛ぶ大きな視点に敬意を表したい。