上越市の高田世界館でドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」を観てきたが、実に面白かった。
ネタバラシになるが、「東京オリンピックね・・・オモテナシ~って・・・裏ばっかり!」というネタに、古今亭志ん生が得意とした、子供が思いついたことをポロッと呟く(ように感じる)クスグリを感じた。
志ん生の呟きは、当たり前だけど即興っぽく感じても実は弟子に試して笑うかどうかを試行錯誤して練り上げた芸。松元さんも舞台裏で苦悶する様子がつまびらかに記録されている。
松元さんの笑いの対象は原発村やオリンピック村などに象徴される組織の利権体質であって、特定個人ではない。
麻生元総理の真似をして、「私がこんなところで喋るのはミゾウユウのことなんですよ」と、簡単な漢字も読めない政治家が国政のトップにいることを揶揄してはいても、「これでいいのか?」と利権の圏外にいる庶民の代弁者としての問い掛けを明るく演じているので、揶揄されている側の自民党議員や官僚からも受けるのではないか。
テレビに出なくなったのは干された訳ではなく、収入減にはなってもマスメデイアの自主規制の範囲では言いたいことが言えないからであるらしく、つまりは誠実さなのだ。
映画に出てくる松元さんの日常も誠実さに溢れている。奥さんと電車に乗った時のエピソードに噴出して笑ったし、鹿児島実業高校の同級生の元ドリフの諏訪しんじさんや、高校の恩師との交流にはホロリとした。
映画を観に行く途中で嫌なものを観た。レジ袋やストローでプラスチック製品の削減をしても、ビーチクリーンで海水の掃除をしても、海はプラスチックゴミでいっぱい。ペットボトルや発泡スチロールも規制しないと駄目ですなぁ。
テレビに出ない寄席芸人なら貧乏を自虐ネタにしたりもするが、松元さんは「テレビに出なくてもライブでやっていける例をつくらないと」と明るく前向き。誠実で優しく前向きな人。だから好かれるのですナ。
この言葉は私の仕事にも当てはまる。神秘的な文言やパワーストーン的な効能を謳わず、他人に買われる前に原石を買い占めなくても、嘘偽りなく誠実にヒスイ製品を作っていれば食っていける」ヒスイ職人にならないと。
最後に「テレビに会えない芸人」を鹿児島のテレビ局が映画にした見識と英断にも拍手を贈りたい。