縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

分野横断的に石と遊ぶ・・・「石のまち糸魚川」のロックバランシング

2023年05月09日 08時01分26秒 | 糸魚川自慢
ロックバランシングワークショップで、参加者の目の前で10秒もかからず縦と斜めにバランシングを実演したら、みんな驚いていた。
種あかしがあって、考古遺物でいう処の「くぼみ石」と、「穴あき石」を組合せているのだ。
 
ロックバランシングのコツを説明するためと、幼児に成功体験をさせるために用意したのだが、これが大いに役にたった。
「くぼみ石」は木の実を割るための固定具、「穴あき石」は石笛や安産・多産のお守りなどであったなどが考えられると考古学や民俗学的な説明をした。
 
それぞれ安山岩と泥岩で、穴のある石ができるのは①母岩から粗い結晶が抜け落ちた穴②穿孔貝(ヤドカリなど)の巣穴③石の窪みにハマった小石が川の水流や波の作用で回転穿孔してできた穴・・・といった鉱物学の説明。
 
分野横断的な解説は普段のガイドでやっていること。
 
ロックバランシングができれば石と遊べる。
 
ただの石ころでも名前を知るとより身近になる。
 
ヒトとの関わり合いを知ると友達みたいに思える。
 
北陸地方最大級の縄文文化が花開いた地域であり、「石のまち糸魚川」らしいロックバランシングではないか?と自負している。
 
 
 

 


「石のまち糸魚川」に根付かせたい喜びを共有できる持続可能な石遊び・・・ロックバランシング

2023年05月07日 07時34分30秒 | 糸魚川自慢
糸魚川初のロックバランシングワークショップは、SNSに面白かったと投稿する参加者がたくさんいたらしくひと安心。
親がバランシングのセンスがよくて夢中になるタイプだと、子供も同じであるようだ。
 
バランシングしにくい石はダメだとばかりに交換しがちなのだが、簡単に諦めないでその石と仲良くなれる角度を探そうよとアドバイスすると意図が伝わりやすく、その直後に「うわっ、できたっ!」とバランシングに成功することが何度もあった。そのたびに周囲からパチパチパチと拍手が湧きおこった。
ロックバランシングは「石と仲良しになる遊び」という伝え方なら、仲間外れやイジメ防止の訓練にもなるのではないか?もちろん微細な身体感覚の育成にもなる。
わたしは原理主義や教条主義を好まないから、石で顔をつくる参加者がいてもオッケイ牧場だ。多少は横道にそれてもその場で楽しい時間を共有できる範囲なら大丈夫だし、遊びから枝分かれして新しい遊びを発見していくのは才能だし多種多様な可能性。
顔をつくったが・・・
遊び心が満足できずに胴体を追加。納得のいくまで遊ぶ。これ大事。
次々と顔をつくっては、みて~と呼びにくる子供もいた。
ヒスイ拾いでモノを所有する喜びは、個人に帰結する。しかしロックバランシングは、喜びを他者と共有できる開放性が大変によろしい。しかもモノがなくならず環境に負荷もかけない遊びだ。
 
モノからモノガタリへ。
喜びを共有するヒトが多いほど、モノガタリは膨らんでいくから、今回の企画は「石のまち糸魚川」の持続可能な体験型イベントの嚆矢になったと思う。
 
駅北キターレを後にする親子が、わざわざ私のブースに戻って挨拶にくると、「次はラベンダービーチで会いましょう!」と返事をしていた。「またラベンダービーチで会いましょう」が挨拶になる予感。
 
 

本日、糸魚川初のロックバランシングワークショップ開催・・・石のまち糸魚川でロックバランシング

2023年05月06日 06時39分32秒 | 糸魚川自慢
戦いの朝はきた!
 
本日、糸魚川初のロックバランシングのワークショップが「駅北キターレ」で開催。数回の経験しかないわたしが講師だから、昨日は伝え方をいろいろ工夫していた。
 
難度の高い技術がなくてもできそうな、縄文ポエジー作戦はどうだ?
ザラザラして凸凹の多いメノウ・安山岩・流紋岩・砂岩を土台にして、断口面(節理でスパッと割れた面)のある石を土台の凹みに縦置きにするのは難しくない。そこに土偶ガチャを引っかけるくらいなら、はじめての子供でも楽しめるに違いない・・・かなぁ(笑)
 
 
 
茶色い筒状の物体は海岸でひろった昔の漁網の重りで、陶器製のオーバル形状だからツルツル滑る。
こいつを斜めに積み上げるのもロックバランシングの基本技と同じなので、むしろ幼児なら「物体バランシング」からスタートさせてもよいかな。
 
今時の子供は「でぇきぃ~なぁい~!」とすぐに飽きたり泣いたりするから、なんでも自分で工夫しながら覚えてきた世代としては隔世の感がありますな。
ここまでできるようになるのに30分かかった。
 
ひと昔前の日本人は子供であっても、見て真似をする「看取り能力」や、モノゴトの仕組みを解読する能力が高かった。
 
幕末に「からくり儀右衛門」と異名をとったカラクリ人形師が、不定時法(太陰暦と太陽暦の日時が同時にわかる)の精密時計や蒸気船まで作っていた。後に東芝の創業者となる田中久重である。こんな日本人、これから出てくるかね。
 
 

司馬史観の龍馬像をぶっこわした原田芳雄さんの龍馬像・・・1974年ATG作品「竜馬暗殺」

2023年05月04日 07時26分36秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
映画やテレビの坂本龍馬像は、明朗快活なリベラリストとして描かれるが、これは司馬史観による「竜馬がゆく」が元になっているようで、繰り返し同じキャラクターで描かれすぎて食傷気味。いまや平明な龍馬像ばかりだ。
これまで観てきた龍馬像のなかで、1974年ATG作品「竜馬暗殺」では原田芳雄さん演じる龍馬に「幕府を倒したあとは薩長をたたくぜよ」と言わせて、目的達成のためなら手段を選ばない得体の知れないダークヒーローとして描かれていて、いちばん魅力を感じる。
 
いかにも70年代前半のATG作品らしく、反体制側の人物の鬱屈と挫折がテ-マになっているが、当時、新しいタイプのヤクザ役で脚光を浴びていた原田さんを龍馬役に起用したことが大正解。
 
また原田さんを兄貴として慕い、隣りに引っ越したほどの松田優作が、情けない暗殺者として登場して、この二人の丁々発止のアドリブの掛け合いが見所だ。原田さんの存在感と演技に圧倒され、若き日の松田優作がなす術もなく沈黙するのが看て取れ、これがすごいリアリティとなっている。
 
 
トンデモ説的な「縄文観」を史実として信じて信じている人も多く、6月に予定されている淡路島の縄文イベントでは、そのことをテーマにお話し会をするつもり。それはヒスイやヌナカワ姫伝説も然り。
 
個人の歴史観と史実を一緒にしてはいけない。
 
 

初夏の遺跡はバニラの芳香が漂うのだ・・・長者ヶ原遺跡で縄文時間

2023年05月03日 08時08分44秒 | 縄文

長者ヶ原遺跡のホウノキの花が今が盛りと咲き誇り、バニラかバナナのような芳香が漂っていた。

縄文人は皿や蒸し焼き料理の包みに使ったのかも知れないが、もっと前の時代はパンツに利用されていたらしい・・・とガイドしているのがホウノキの葉っぱ、すなわちホウバである。

旧約聖書の最初の方にでているのですとガイドしているのが縄文式パンツ術だが、読んだことないです。

ヒスイ海岸は狭くて賑やかなので、広くて人の少ない須沢海浜公園にガイドした女性が、夕陽の沈む海岸で太鼓をたたきはじめた。

波打ち際を歩いてヒスイ拾いをしていた人たちが、彼女を遠巻きに迂回した。私は彼女の気がすむまで昼寝タイム。
ゴールデンウイークでも遺跡は静かだ。
 
誰も来ないから、今の季節は地面に寝っ転がって初夏の陽光や風を感じるのも一興。これが気持ちいいのだ。
 
ガイドするお客さんによっては、寝っ転がったり、楽器を奏でたり、歌ったりすることがある。そんな時はガイド時間の許すかぎり、わたしは静観。各人各様の時間を愉しめばいい。
 
縄文時間ですな。
 
 
 

ただの雑草も石ころもクソも・・・ヒトとヒスイの物語

2023年05月02日 07時17分24秒 | ぬなかわヒスイ工房
藤の季節になると不思議系女子のリエ嬢が、拙宅に花をつみにくる。
焼き菓子や料理にしたりハチミツに漬けるのだそうだが、お裾分けしてもらえるので大歓迎。食える野草や花も教えてもらえるしw
木陰にハッカも茂ってきたので私も採集。これは麦茶かわりの夏のお茶にして、清涼感があって美味いから来客に喜ばれている。
知らなきゃただの雑草、知っていれば季節の贈り物。
 
ヒスイもそうで、知らなきゃ重たいだけの石ころとして戦前は屋根の重石や漬物石にしか利用されていなかった。モノの価値は相対的。評価する人があってこそだ。
 
希少鉱物だから、パワーストーンだから尊いとする人もいるが、私は「ヒトとヒスイの物語」こそが尊いとする。
 
「自然界の報道写真家」宮崎学さんと会ったお陰で、長者ヶ原遺跡を歩いていて、動物の糞や樹木の剥けた樹皮を観察するようになり、ただのクソが情報源だから分解するようになった!w
 
生き物たちの痕跡、すなわち「イキモノと縄文遺跡の物語」である。
こういった視点をもつと、世界は豊かになるナ。竹のザルに摘んだ花をきちんと並べないと気が済まない「リエ嬢と花の物語」w
 
 
 
 

加賀藩の参勤交代の実態が面白い・・・忠田敏男著「参勤交代道中記」平凡社

2023年05月01日 07時07分36秒 | 糸魚川自慢

 

加賀百万石の参勤交代の実態は?
〇金沢から江戸まで480キロを12泊13日の強行軍
〇旅費の総額は約5~7億円
〇窮屈な姿勢で駕籠にゆられる殿様は苦痛で、時には気分転換に歩いたり馬に乗ったりしたW
〇随行員は二千名~四千名(平均二千名)と馬二百頭
〇姫川の渡し賃だけで約150万円
〇宿場と関所の出入り以外は、威儀を正さず適当に歩いた
 
三代目藩主の利常公の時代の参勤交代は戦国の気風が残っていて、名だたる暴れ川の姫川を殿様みずから乗馬で渡河して、胸まで濡れて糸魚川宿に到着。宿でも自炊、野営もしていたそうだ。
 
糸魚川市民の観光ガイドネタ
〇天下の険「親不知」の断崖を安全に通行させるために、人間バリケードとして200~700名も人足を雇っていた。
〇大火の翌日に参勤交代が到着したために、焼失した布団や食材の代替品集めにおおわらわ。青海から能生あたりまで分散して民泊や寺にも泊まってもらった
〇糸魚川本陣の小林家(現加賀野井酒造)は、財政難で屋敷の修繕費用を加賀藩から120両をだしてもらったが、うち35両は使途不明金!(ネコババか?W)
 
参勤交代は年に一度の臨時収入となるので、庶民には歓迎されたが、それなりの格式を保たなければならない本陣宿ともなると名誉ではあっても家の修繕費がかさみ、ありがた迷惑なこともあったらしい(笑)
 
著者は金沢市立図書館職員として古文書に接してきた方で、定年退職の記念に研究成果を出版されたそう。素人にもわかりやすく書かれた名著でございます。糸魚川図書館にありますぞ。