Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ペルトの「アルボス」と精神の枝木

2007-07-26 06:17:39 | 古典~現代音楽バルト3国編
昨日は横浜駅から星川駅までの間を歩く。
途中聴いた曲は、ペルトの「アルボス」などいろいろ。
でも、とにかくここではエストニアの作曲家で、
1935年生まれのペルトの音楽について触れておこう。
エストニアの作曲家の作品が再評価されるようになった
そのきっかけを作ったのは、アルヴォ・ペルトの作品だ。

一時期のペルト音楽のブームは去ったが、
ペルトの音楽は、現代音楽のこれからの進む道に
一つの可能性を残したのではないだろうか。
そして、エストニアという国の音楽への関心は、
このペルトの音楽が紹介されて以降高まり、
ヤルヴィ親子がエストニアの作曲家の作品を
CDとして数多く録音し、紹介したことで、
さらに、その多くを知ることができるようになった。

「アルボス」の意味は、「樹」である。
ペルトの作品を集めたアルバム「アルボス」の中で、
最初と途中に置かれている「アルボス」という作品は、
他の作品との関係の中で重要な意味を持っている。
彼の音楽の特徴を象徴する作品となっており、
それぞれの作品と関連付ける核となっている。

ところで、「アルボス」の意味である「樹」から、
一つだけ、私の中学時代のエピソードに触れておく。
中学時代の美術の成績は1年生の時良かったのだが、
2年生になって1年の時担当していた美術の先生が代わり、
ガクッと落ちてしまい、私はその先生のことを嫌っていた。
しかし、3年生の時美術の作品を制作しているかたわら、
その先生は、私が作品を制作しているのを見て、
ボソッと、ある言葉を呟いたのである。
その言葉は強烈に、私の記憶の中に刻み込まれた。

「おまえは結局樹ばっかり描いていたなあ」
その言葉にはっとしたのは、自分自身であった。
この先生はおそらく素朴な疑問として何でこの生徒は、
樹ばかりを描いているのだろうと思ったのだろう。
実は、無意識的に私は樹を毎回描いていたのであり、
何故なのかは私自身もわかっていなかった。
確かに人物画が苦手であったこともあるだろう。
また、隣が林檎畑であったことも関係しているのだろう。
絵画も版画も、そして彫刻作品も、
みんな素材は樹ばかりであったのだ。

今、思うとその意味はこう考えている。
中学時代の私は、家庭環境もよいわけではなく、
これからどうなるかもわからず、
漠然と将来への不安を感じていた。
自分自身が早く自立しないといけないといけない。
そんな焦りを感じていたのがこの時である。

だから、中学時代に描いていた樹は、
何とか自分の精神をしっかり持つように考えていた、
自分自身の精神を象徴していたのだと思う。
そのことで、自分の中にある不安を取り除きたかったのだろう。
中学時代の私にとって、悩みは多くあり、
クラシック音楽を聴くことでその不安を解消するだけでなく、
美術作品を制作する中で、
その自分の中の悩みと戦っていたのではないか。
今にしてみれば、そう感じるのである。

心理学テストでバウム・テストというのがある。
被験者に自由に樹の絵を描いてもらう心理テストである。
そこで被験者が描いた樹は、絵の中の樹の大きさや位置関係
または、その描き方も含めて解釈すると、
本人の心理状況を投影していると考える。
まさにその考えからすると私が描き続けた樹は、
自分にとっての精神の枝木だったのかもしれない。

ペルトの「アルボス」は、彼自身の精神を象徴し、
それを絵画ではなく、音楽にして描いたのではないか。
そんな気もするのである。
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シベリウスの「四つの伝説曲」を聴きながら横浜駅から上星川駅まで歩く

2007-07-25 06:30:51 | ジャン・シベリウスの作品
昨日は横浜駅から上星川駅までの間を歩く。
途中聴いた曲は、シベリウスの交響詩「四つの伝説曲」。
パーヴォ・ヤルヴィはドイツ・カンマー・フィルの演奏会で、
アンコール曲として「悲しいワルツ」をよくやる。
おそらく、シベリウスの曲の中でお気に入りなのだろう。
私がシベリウスの曲の中で好きな管弦楽曲は、
1893年から1895年に作曲された交響詩「四つの伝説曲」。

1865年生まれのこのフィンランドの作曲家については、
改めてどんな人物かは説明する必要はないだろう。
中学・高校時代にシベリウスの作品はよく聴いた。
交響曲・管弦楽曲のレコードをよく買って聴いたものだ。
当時は、フィラデルフィア管弦楽団を振った
オーマンディのレコードが新盤で発売されたばかりで、
私はレコード店で視聴し、とても感動した。
でも、実際に買ったレコードは廉価盤で、
サー・チャールズ・グローヴズ指揮のものだった。

「レミンカイネンとサーリの乙女たち」を聴く。
想像力を働かすと、フィンランドの大自然が見えてくる。
この曲の題材はフィンランドの叙事詩「カレワラ」である。
カレワラは「英雄の国」という意味だそうで、
作品の内容はその英雄たちの物語であるわけだが、
私はこの作品を聴きながら、まだ行ったこともない
フィンランドの自然を想像したりしたのだ。

「トゥオネラの白鳥」は有名な曲だ。
これだけでも単独に演奏されることもある。
なにしろ、この交響詩「四つの伝説曲」を知ったのも、
オーマンディが指揮する交響曲第2番のレコードに
「トゥオネラの白鳥」が入っていたからである。
この曲が「四つの伝説曲」の中の一つであることを知り、
全体を聴いてみたいとは思い続けていたのである。
イングリッシュ・ホルンのソロがとても美しい。

「トゥオネラのレミンカイネン」では、
鳴り響く金管楽器の演奏が印象的である。
ここでも、フィンランドの大自然の厳しさを
聴いていると感じてしまうのである。

「レミンカイネンの帰郷」は、躍動感ある曲である。
「四つの伝説曲」の中では一番短い曲だが、
高校の時にはバルビローリ指揮のレコードでよく聴いた。
終わりに登場する金管楽器のファンファーレ風の演奏が印象的で、
ハッピーエンドを思わせる明るい曲調で最後は終わる。
シベリウスの初期の管弦楽曲としてはなかなかの名曲である。

それにしても曲を聴いてフィンランドの自然を想像するなら、
実際に行ってみたらどうなのかと言われてしまいそうである。
でも、十分なお金もなければ、十分な暇もない。
CDを買うのを倹約すれば、
確かに海外旅行も何回か行けたかもしれない。
でも、なかなかそれができないんだよなあ。
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トゥビンの音楽とネーメ・ヤルヴィのその一家の人生

2007-07-24 06:54:23 | 古典~現代音楽バルト3国編
昨日ウォーキングはお休みしました。
ここのところ忙しい日が続き、こんな状態だが、
今日は本格的に歩こうと思っている。

エストニアの作曲家で今日とりあげるのは、
1905年生まれのエドゥアルド・トゥビンである。
エストニアのモチーフによるシンフォニエッタという曲を
今回は紹介したいが、この曲は1940年に初演されている。

第一楽章は、民謡調の主題を中心に展開されるが、
やや哀愁を帯びた主題は印象的だ。
バルト海という位置関係からか、ある時は北欧風の、
ある時にはロシア風の音楽になる。
エストニアの民俗音楽をモチーフに使っているからか
音楽としては聴きやすく、楽しめる。

第二楽章は、ホルンの独奏による主題から始まる。
管楽器がそれに加わり、弦楽器も加わり、
この主題は、何度も繰り返し演奏されながら、
厚みを増し、エネルギッシュな音楽になっていく。
最後は、また弦楽器が醸し出す霧のような幻想的な
静けさの中、ホルンの独奏で終わる。

第三楽章は、舞曲風の民謡をオーボエが吹いて始まる。
曲は二つの主題を中心に音楽は展開され、
ここでも、北欧風の音楽とロシア風の音楽が交錯する。
最後は再現された第二楽章の主題が加わり、曲を閉じる。

調性を最後まで捨てず、民族音楽をベースに作曲した彼は、
エストニアがソ連邦に併合されて後、亡命し、
その音楽活動の拠点をスウェーデンに移したが、
当時の音楽界の流れについていくことはせず、
「時代遅れ」とみなされ、注目されなかったが、
死後ようやく再評価の動きがでてきたようである。

ところで、このCDの演奏をしているのは、
パーヴォ・ヤルヴィの父であるネーメ・ヤルヴィである。
1937年に独立国エストニアのタリンで生まれている。
しかし、ソ連邦に併合後、しばらくとどまっていたが、
トゥビンと同じように音楽活動の自由を求め、
亡命の道を選び、1980年にアメリカに移住したようだ。
パーヴォ・ヤルヴィの人生、いやヤルヴィ家の人生は、
なるほど、そんな祖国の政治状況に左右されたわけかあ。
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スメラの音楽を聴きながら、鶴ヶ峰から二俣川まで歩く

2007-07-23 06:47:11 | 古典~現代音楽バルト3国編
昨日は、短い距離だが鶴ヶ峰駅から二俣川まで歩く。
途中聴いた曲は1950年生まれのスメラの作品。
室内オーケストラのための音楽である。
エストニアの首都、タリンに生まれた彼は、
その後音楽学校で作曲を学び、その後はエストニア放送の
レコーディング・プロデューサーとして5年間働いた。

というわけで、今日から北欧・バルト諸国の管弦楽曲を
シリーズということでいくつか紹介していきたい。
ちなみにこの曲のCDの演奏はマルメ交響楽団で、
指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。
ヤルヴィのCDは、私が所有する中でもこのCDと
ベートーヴェンの交響曲第3番・第8番だけである。
(そのうち交響曲第4番・第7番も買おうっと!)

「室内オーケストラのための音楽」は、1977年作曲の、
フルート、フレンチ・ホルン、打楽器と弦楽器のための曲。
冒頭からの第一部の荒々しい原始的な曲の感じは、
ストラヴィンスキーの影響を受けているのだろうか。
バーンスタインの音楽を聴いている感じも受ける。
とにかく一回聴いたら印象には残る。

第二部のカンタービレは静かな導入のあと
フルートが登場し、独奏楽器として活躍し、
ショスタコーヴィチの音楽のようでもある。
途中フルートの吹く旋律が、
舞台裏で吹くフルートによって繰り返され、
こだまのような効果を生み出している。
これはそのあと弦楽器が弾く旋律を
フルートが繰り返す新たな展開へと進む。
静寂の音楽は、その後弦楽器を中心に展開されるが、
徐々に荒々しさを持ちつつ、再び静かな音楽になると、
フルートによる最初の主題を再現され、
舞台裏で吹くフルートの繰り返しによるエコーの効果も
再現され、第一部の冒頭の荒々しい部分が登場し終わる。

もう一つの「記憶の中に」という作品は1972年の作品で、
彼の最初に書いた交響的作品にあたる。
激しい導入の音楽から曲はすぐに静かな音楽に変わるが、
弦楽器だけによる繰り返す主題の音楽は徐々に音量を増す。
打楽器がラテン音楽的なリズムを刻むかと思うと、
ショスタコーヴィチの音楽を持ったり、
さりとて、子どもの音楽のような簡明な曲になったり、
かと思うと金管楽器のファンファーレが登場し、
ルネサンス音楽のような旋律を奏でる。
最後は静かに終わるのだが、難解な曲ではないが、
さまざまな音楽の要素が、入り込んでいるようだ。

ところで、指揮者パーヴォ・ヤルヴィは、
1962年エストニアのタリンで生まれている。
したがって、スメラとは同じ場所で生まれ、
音楽学校で学んでいるが、年は12歳くらい違う。
ヤルヴィ家はその後1980年にアメリカに移住し、
彼はジュリアードで音楽の勉強を続けたようだ。
同郷の作曲家の作品を取り上げた彼の演奏は、やはりいい。
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パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマー・フィルのみなとみらいホール二日目演奏会を聴く

2007-07-22 06:51:04 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は、ウォーキングは休みました。
みなとみらいホールでパーヴォ・ヤルヴィが指揮する
ドイツ・カンマー・フィルの演奏会の二日目を聴きにいく。
演奏曲目は、「エグモント」序曲と
三重協奏曲と交響曲第2番である。

演奏曲目はベートーヴェンの中でも地味な曲ばかりだが、
前日の演奏会同様に、昨日も充実した演奏であった。
以下、今回も演奏した曲の感想を簡単に触れたい。

まず、一曲目の「エグモント」序曲は、
軽快で早めのテンポの演奏であった。
最後の盛り上がりがいい曲で、
管楽器の音もクリアーに聴こえ、
昨日と同じく、まずまずの出来である。

三重協奏曲は、諏訪内晶子のヴァイオリン、
クリスティアン・ボルテーラのチェロ、
イアン・ファンテンのピアノがソリスト。
諏訪内晶子以外の二人のソリストについて、
私はそのそれぞれの活躍を知らないが、
三人のソリストの演奏は良かった。
オーケストラによるサポートも、
ソリストたちを引き立てるものであった。

しかし、なぜベートーヴェンがこの作品を作曲したのか、
その方が、こちらとしては気になる。
とはいえ、この三重協奏曲については作曲の動機など
実は謎に包まれているところが多いようだ。
室内楽と協奏曲を合体したような曲であり、
ある意味実験的な作品ではあるが、
三人のソリストの演奏技術を十分に発揮できる場面が少なく、
三人の演奏者それぞれがある時には主役となり、
ある時には脇役として伴奏に徹するという不思議な協奏曲なのだ。
指揮者としてその曲の全体の組み立て考えた時には難曲だろう。
そういう意味で、当日の演奏としては成功したほうだろう。

休憩のあとは交響曲第2番であった。
この演奏も昨年も聴いたので比較できるが、
とにかく、昨年は第2番という地味な作品の魅力を
十分に伝える演奏であったことに違いない。
今年もその魅力を十分に伝えた演奏であった。

第一楽章は、弦楽器の流れるような演奏がいい。
管楽器を加え、メリハリのある演奏、
そしてダイナミックさ備えた演奏は、聴いていて心地よい。
第二楽章は、のどかな曲で、美しい曲だが、
その魅力を十分に伝える演奏だったと思う。
クラリネットやオーボエ、フルート、ホルンなど
管楽器の活躍する場面で、各奏者その期待に応えていた。
第三楽章は去年よりもゆったりとした演奏かと思われたが、
とにかく余裕のある演奏で、中間部がよかった。
第四楽章は一気に駆け抜けていくような軽快な演奏だったが、
ここでの木管楽器の演奏も素晴らしかった。
オーボエはもちろんファゴットにも演奏の見せ場があるが、
その演奏は良かったし、フルートの演奏も良かった。
演奏が終わると同時に鳴り止まぬ拍手が続いた。
昨年と比べるとその時の名演奏を再現するような名演奏であった。

アンコールの一曲目は、シベリウスの「悲しいワルツ」。
この曲は昨日もやったのだが、暗い感じで始まる曲だが、
やはり、ヤルヴィにとっての得意中のレパートリーなのだろう。
昨日と同じく、最後ヤルヴィの指揮棒が降りるまで
聴衆はその静寂の時間を共有した感じであった。

これで、終わるかと思ったが、なんとヤルヴィの大サーヴィス
最後交響曲第1番の第四楽章をアンコールでやったのだ。
昨年は1日目の演奏が交響曲第1番から第3番を聴いた。
それはこれでとても贅沢な演奏の一日であったが、
その昨年の名演を思い起こすような演奏であり、
アンコール曲にしては十分すぎるくらいで、
演奏会の最後を締めくくるにふさわしかった。

なお、今回の前前日までに取り上げた管弦楽曲の
ドイツ・オーストリア編に関するCDの情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
参考にしていただければ幸いです。
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