Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

パーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェン交響曲第4番・第7番を聴きに行く

2007-07-21 09:33:12 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は、関内駅から赤レンガ倉庫を経由し、
みなとみらい駅まで歩く。
みなとみらいホールでパーヴォ・ヤルヴィが指揮する
ドイツ・カンマー・フィルの演奏会を聴きにいく。

ドイツ・カンマー・フィルの演奏会は、
昨年も聴きに行ったのだが、
昨年以上に充実した演奏を聴くことができた。
昨年はベートーヴェンの交響曲第1番~第3番と、
交響曲第6番と第7番を聴いたのだが、
昨日の演奏会は交響曲第4番と第7番がメインである。
以下、演奏した曲の感想を簡単に触れたい。

まず、一曲目は序曲「コリオラン」。
聴いた場所が3階席であったので、
最初オケの音が小さいように思えたが、
軽快しかしダイナミックな演奏で、まずまずであった。

交響曲第4番の第一楽章は序奏のあとに
主題を奏する弦楽器の演奏が決め手だが、
期待通りヴァイオリンの弾く主題が、
みずみずしい演奏で素晴らしかった。
少ない編成であるのにもかかわらず、
これだけエネルギッシュな演奏ができるのは驚異である。
第一楽章が終わったところで、
その素晴らしさに思わず拍手したくなる気持ちであったが、
その気持ちを抑えて、第ニ楽章以降も聴いた。
弦楽器と管楽器の音のバランスが絶妙で、
それぞれの楽器の良さが引き出され、聴いていて楽しい。
第二楽章の甘い主題と悲劇的な主題のコントラストもくっきりし、
第三楽章の全合奏と各楽器のかけあいも良かった。
第四楽章も軽快で颯爽とした演奏も良かった。
あっという間に演奏が終わり、会場内は拍手の渦。
まるで、これで演奏会が終わったかのような感じでもあった。

昨年第4番は二日目に演奏され、私は聴く事ができなかった。
しかし、想像するにおそらく昨年度より演奏は格段にいいはずだ。
昨年度は前日の疲れもあってか、楽団の演奏にミスが多く、
集中力に欠けるところもあったのだが、
今回は自然体で演奏しながらも、緊張感が最後まで持続し、
ほとんど(と書くとこがミソなのだが)楽器演奏者のミスがなく、
完璧に近い演奏だったのではないかと思う。

休憩のあとは交響曲第7番であった。
この演奏は昨年も聴いたので比較できる。
結論を先に言えば、やはり昨年よりも断然素晴らしい演奏である。
演奏自体に大きな変化があるわけではないが、
第4番と同じように演奏者のミスがほとんどなく、
安心して聴く事ができた。

第一楽章は、序奏のあとの管楽器の活躍がよかった。
主題に入る時のフルートのソロ、ホルン・トランペットの吹奏、
決め手になるこれらの演奏が引き立つことでいい演奏となる。
演奏は第一楽章が終わり、切れ目なく第二楽章に進んだが、
有名なアレグレット楽章はテンポを早めにし、演奏する。
流れるような演奏である一方、曲のメリハリはついている。
第三楽章も第二楽章に続き、軽快な演奏であった。
テンポが速い中、管楽器にとって演奏が大変なところであるが、
それぞれの楽器が、なかなかの活躍をしており、良かった。
第四楽章は私が一番好きな楽章であるが、
ここでの演奏も素晴らしいの一言に尽きる。
弦楽器の掛け合いの部分も素晴らしいが、
演奏にメリハリが付いていて、アクセントの置き方がよく、
曲の性格がくっきりと浮かび上がってくる。
第7番がベートーヴェンの交響曲の中の傑作だなあと
つくづく再認識させるような演奏であり、
演奏が終わると同時に鳴り止まぬ拍手が続いた。
昨年と比べると最高の熱のこもった名演奏であった。

私としてはアンコールも要らないと思えるほどだったが、
そこはパーヴォ・ヤルヴィのサービス精神だろう。
シベリウスの「悲しいワルツ」をアンコールで演奏してくれた。
この曲は昨年のベートーヴェンの交響曲全曲演奏会の時の
一日目のアンコール曲と同じであった。
この曲はヤルヴィにとっても得意中のレパートリーだろう。
甘く切ない旋律が素晴らしく、演奏は最後消えるように終わるが、
アンコールを聴いた聴衆も最後ヤルヴィの指揮棒が降りるまで
その静寂の時間を共有した感じであった。

さて、今日のドイツ・カンマー・フィルの演奏会
この感じでは、また大きな期待が持てる。
今日はどんな演奏を聞かせてくれるだろうか?
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シューベルトのロザムンデと、西谷駅までの道のり、そしてパーヴォ・ヤルヴィ

2007-07-20 06:13:12 | フランツ・シューベルトの作品
昨日は、二俣川から西谷駅までの間を歩く。
いつも歩くコースではあるが、
どちらかというと二俣川から西谷へ向かう方が、
西谷から二俣川に行くよりは気分的にはいい。

1797年生まれのシューベルトの劇音楽「ロザムンデ」、
この曲に限らないが、彼の作品には歌がある。
序曲もまさにその意味でシューベルトらしい曲である。
間奏曲第一番は、重厚な音楽であり、
ソナタ形式によって書かれた作品だ。
メンデルスゾーンの音楽との近さを
感じさせるような曲である。
この主題は、バレエ音楽第1番でも使用される。

間奏曲第三番はやさしさにあふれた名曲だ。
ロンド風に書かれたこの曲は、シューベルトらしく、
中間部ののどかな感じもいい。

羊飼いの合唱も美しい合唱曲で、
狩人の合唱も、ホルンが粗野な感じを醸し出し、
オーケストラ付き合唱としていい感じだ。
バレエ音楽第2番は、ロンド形式で書かれ、
単純なリズムに乗りながら、愛らしい旋律が流れる。

ドイツの管弦楽曲の紹介は今回で終わりにしておこう。
今週金土曜日は、パーヴォ・ヤルヴィの演奏会を聴きに行く。
場所はみなとみらいホールで、
曲目はベートーヴェンの交響曲。
したがって、二日間はそのコンサートの模様について、
特集として、感想をまじえて書いてみようかなと思う。
ドイツ・カンマー・フィルの昨年の感動を再び!
果たして体験できるかな?
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ヨハン・シュトラウスのポルカ「ハンガリー万歳」を聴きながら、星川駅まで歩く

2007-07-19 10:31:16 | 古典~現代音楽オーストリア編
昨日も、横浜から星川駅までの間を、
ヨハン・シュトラウスの曲を聴きながら歩く。
1825年生まれの彼のワルツやポルカは、
何も考えずに歩くときに、いいBGMになる。

彼の生きた時代は、19世紀という激動の時代であり、
その変動と彼の生き方・作品は密接に関係している。
1848年の三月革命の時、若い彼は反体制側に立ち、
保守的な父親と対立したが、メッテルニヒ体制が崩壊し、
進展した革命が、皇帝側の巻き返しにより鎮圧され、
保守反動に転じると、彼も皇帝に気に入られるよう、
フランツ・ヨーゼフ皇帝のために行進曲を作曲した。
1866年の普墺戦争での敗北以降、オーストリア国内は、
政治・経済的に重苦しい雰囲気が漂っていたが、
それを吹き飛ばし、人々の心を癒したのが、
ヨハン・シュトラウスの作品であった。
ここでは聴いた曲の中の三曲をとりあげておく。

技術革新の時代を反映したタイトル作品として
ワルツ「モーター」があるが、描写音楽として聴くと今ひとつ。
でも、これはモーターのようにエネルギッシュで、
推進力がある曲であるということなのだろう。
初演の時には、あまり注目されなかったようだ。

国内政治の変動を感じさせる作品としては、
有名なポルカ「ハンガリー万歳!」がある。
三月革命の時にハンガリーは独立を要求し、
その革命挫折後もその要求は強まっていったが、
オーストリアは、1868年自治権を認め、
オーストリア・ハンガリー二重帝国となった。
いわゆるアウグスライヒ(妥協の意味)体制である。
その翌年に作られたのがこの作品で、
「ラコッツィ行進曲」を引用したテンポのいい、軽快な曲である。

国際政治の動きを反映した曲としては、
1869年に初演された「エジプト行進曲」がある。
この年はスエズ運河が開通した年でもある。
その運河開通のセレモニーで使われたのがこの曲である。
(ヴェルディの「アイーダ」はこの時に間に合わなかった。)
初演時は「チェルケス行進曲」という題名であったが、
(チェルケスとはコーカサスに住む少数民族)
最終的に原題の「エジプト行進曲」になったようだ。
少し、エキゾティックなその行進曲はお気に入りの曲である。
中間部に歌声が入るのがまたおもしろくていい。
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メンデルスゾーンと悪夢、そして「真夏の夜の夢」

2007-07-18 05:39:23 | フェリックス・メンデルスゾーンの作品
昨日は、横浜から星川駅までの間を歩く。
途中聴いた曲は、1809年生まれのメンデルスゾーンの
「真夏の夜の夢」と序曲「フィンガルの洞窟」である。

シェイクスピアの同名の戯曲から霊感を得て作曲したものだが、
今まで知らなかったが、序曲だけ17歳の時に作曲され、
他の曲はその16年後に作曲されているということだ。
その割に、序曲だけ他の曲と違うとか、浮いた感じはなく、
全体的に統一感が保たれているのがさすがである。
あまりにも有名な曲なので、曲の説明は割愛するが、
改めて感じたことは、民謡風の旋律が流れたりし、
ドイツ的な部分が結構あるんだなということである。

序曲「フィンガルの洞窟」はさすがに名曲である。
スコットランド北西沖のヘブリディーズ諸島にある洞窟を
20代の若さで訪れた彼が受けた印象を音により描いた作品で、
ワグナーが彼を「第一級の風景画家」と称えたように、
その管弦楽法の技術はすばらしいと感じる。

ところで、「真夏の夜の夢」というと、私の夢の話。
記憶に残る夢には、いいものがないのだが、
よく、目覚めると悪夢をみていることがある。
ミサイルが飛んできて戦争が始まった夢とか、
富士山が突然噴火した夢とか見たことがある。
確かに非現実的な夢ではあるが、
ありえないことでもないので夢の中ではリアリティがある。

新潟を再び襲った大きな地震だって、
人々にとっては悪夢のように違いない。
関東では長い期間大きな地震がないが、実際に起きたら、
それは恐ろしい悪夢のように感じるだろう。
現実は非現実の夢より恐ろしいものである。
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ツェムリンスキーとアルマ、そしてバレエ音楽「ガラスの心臓」

2007-07-17 08:01:44 | 古典~現代音楽オーストリア編
昨日は、鶴ヶ峰と二俣川の間を歩く。
途中聴いた曲は、1871年生まれのツェムリンスキーの作品。
バレエ音楽「ガラスの心臓」からの組曲であるが、
持っているCD自体はもう廃盤になっているようで、
この曲を聴くことはなかなか難しいのかもしれない。

Wikipediaの情報を参考にさせてもらうと、
ツェムリンスキーの母方の祖父がセファルディ、
祖母がトルコ系ムスリム、父親はカトリック教徒だという。
いかにも、当時の他民族国家オーストリアの姿を反映している。

ツェムリンスキーと関わりのある人物として3人あげると、
一人目はブラームス。だから初期の作品は彼の影響が濃い。
二人目はシェーンベルク。彼とは親友関係にあった。
三人目はアルマ・シンドラー。彼女に彼は作曲法を教えたが、
それだけでなく、二人は一時期恋愛関係になった。
しかし、アルマがマーラーと出会い、
彼とアルマが結婚することで両者の関係は終わりを告げる。
作曲・教育や指揮者としての活動で活躍したが、
ナチスが台頭するとウィーンに逃れ、
さらにはアメリカに移住したが、
慣れない土地で、慣れない英語を話すのは大変だったろう。

CDの解説によると、三幕もののバレエ「ガラスの心臓」、
このタイトルは「時の勝利」の一幕からとっているようだ。
全曲版の完成は1904年であるが、この演奏会用組曲は、
1903年2月8日に初演されている。

第1曲(適度に揺れ動き)は、幻想的な感じで始まる。
フンパーディンクではないが、メルヘン的であり、
ホルンの吹奏がいい。そして、いかにもバレエ音楽的である。
第2曲(適度に)は、第1曲と同じ感じで始まるが、
ワルツの音楽が流れ、華やかで優雅な曲である。
最後の方で、角笛を模したホルンが登場し、
やや悲しげな旋律が流れ、最後は終わる。
第3曲(とてもはやく)は短い曲で、その冒頭は、
ファンファーレ風のホルンの吹奏に始まり、
最初に登場する主題をもとに曲が展開されていく。
第4曲(ゆっくりと行進曲のテンポで)は、
この4曲の中では演奏時間が一番長く、17分近くかかる。
ファンファーレ風のホルンの吹奏に始まり、
ゆったりと堂々とした行進曲風の主題が流れる。
そのあとはワルツ風の優雅な音楽が流れ、
夢のような甘い旋律の音楽が展開されていく。
最後は最初の行進曲風の主題が登場して終わる。
しかし、ワグナーっぽい音楽である。

この作品に取り掛かった頃のツェムリンスキーは、
アルマ・シンドラーに夢中になっている時期だった。
だから、彼女からその作品に関わるインスピレーションを
受けたかもしれないと、CDの解説では書いてある。
全般的に幸せに満ち、ロマンティックな感じの曲なので、
そう思えないこともないが、ともかく後期ロマン派の流れを
しっかり感じ取ることのできる曲である。
アルマと別れた彼は、その後イーダと結婚するが、
結婚生活はうまくいかず、多くの浮気を重ねたという。
アルマとの思い出を引きずっていたのだろうか。
その後、彼は弟子で、29歳年下のルイーゼと結婚した。
彼の死まで結婚生活は続いたという。

ツェムリンスキーは最後まで12音技法には行かず、
最後まで後期ロマン派の流れを守った。
アメリカでは病気がちだったので作曲ができなかったようだ。
健康な体で、作曲ができたとしたら、
彼はどんな音楽を作曲したのだろう。
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