4月11日(金)晴れ
腰の痛みを気にしつつ、庭をふらふらしていたらオシャレ帽子のおばさまがおそるおそる入って来られる。
名乗るでもなく、ワタクシの顔を見つめて不審げ。
ワタクシも思わず不審者を見る目で見る。セールスかしら?
おばさま「えっと・・・ここを買われた方よね?」
あ!この家の売主さん。契約時に一度お会いしただけなので、二人とも記憶がおぼろげだったのだ。
彼女の実家だったここの家の事がずっと気になっていたと。
外だけでいいからちょっと見せてもらえないかしらと。
気持ちはわかる。
自分だったらすごく気になると思ったから、契約時にも「いつでも遊びに来てくださいね」とは言ったが遠慮されていたのだろう。
でも通りかかったら気になり過ぎてつい車を降りて入って来られたらしい。
家の中までは恐縮されるので、開けっぱなしの玄関からと勝手口から中をのぞいてもらい、どの辺りをリフォームしたかの話をする。
裏の納屋を夫がDIYで本部屋にしたのでそれも見せたり。
庭の木々が素晴らしい話をすると、お花や緑が好きなのねとおっしゃる。
今、満開の馬酔木を指差すと「スズランでしょ?」
思わず「いや、馬酔木ですよ」
おばさま「ずっとスズランと呼んでたわ」
スズランは草の丈やろ!こんな大木のスズラン見た事ないわと言いたいのを堪えて「4本もあって、毎年楽しみにしてます」
おばさま「木蓮もあるでしょ」
いや、木蓮はありませんねえ。
話はなかなか噛み合わなかったが、おばさまは懐かしそうに色々話されるので良しとしましょう。
ここに一人で住んでらしたお母様の話や、山林部分では豚を飼っていたとか、つげの木の話などしてから帰っていかれた。
自分の生まれた家を、親を懐かしむのは、普通に幸せに育ってきたからだと、この歳になると思う。
この歳になって、世間には自分が思う親子関係にあらざる家庭があって、それは生まれた時から普通ではなかったケース、外からは普通に見えるのに内部はそうでなかったケース等々さまざま。
単に親と子の相性というものもあったり。
今、親娘でハマっている「岡田斗司夫氏のユーチューブ」
娘が夜中に「これ、ママもそう?」と切り抜きを送ってくる。
3つ質問があって、1個目の質問のくだらなさにイラっとし、2個目は質問者は救われる思いだろうねえと思い、3個目の岡田氏の答えに胸を打たれる。
不覚にも涙が出た。
そうなのよ。ホントそう。
ワタクシ、娘が赤子の頃に夫の浮気だ離婚だですったもんだしたけど、そして、我が両親の援助があったからやってこられたということもあるけど、それより何より、この0歳から3歳までの圧倒的可愛さのおかげで乗り越えられた。
ワタクシ未だ子離れできていないところがあって、それは反省点であるが、子育ては人生を2回やれたといってもいいくらい楽しかった。
ま、うちの娘がチョー可愛くて、なんでもできて、自分の人生の失敗を取り返せているような勘違いができたということもあるが・・・
でも、これもやはり相性というものがあって、「そんな風に思えないわ」という親もいるだろうし、「そんな風に育ててもらえなかった」という子もいるだろう。
昨日読み終えた西加奈子著「ふくわらい」も、いびつな環境で育った女の子の話だった。
「普通」に育つ幸せを思い、「普通」ってなんだよと思ってみたり、最後に本人が幸せならそれが一番なのだが、これが難しいことなのよねと思ったり・・・