パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

昼のおしゃべり夜のおしゃべり

2022年09月03日 | 子供ネタ
9月3日(土)雨

昨日は我が自慢の従姉で天才ユーチューバーのKemiちゃんと物産館巡り。
そのドライブでのおしゃべりの中で、彼女が言う。
「職場の友人から本を借りたんだけどね」
題名を聞くと、「女は好きなことを仕事にする」
ワタクシ、全く存じ上げず、思わず題名のイメージからセミナー系だと思い(まあ、間違ってはない)
「本屋さんのセミナー本コーナーを見上げながら、買う人いるんだろうかって思ってたけど、買う人いるんだねえ」
どうやらこの本に感銘を受けてたらしいKemiちゃんムッとして「あたしは、そういう系しか読まないよ。小説なんてくだらないものなんか読まない。」
今度はワタクシがムッとするも、まあ、これはワタクシがふっかけた喧嘩だからワタクシから矛を収めましょう。
ご存知ない方の為にアマゾンの書評を引っ張ってきましょう。
   NHK「世界は欲しいモノにあふれてる」出演で「私もやりたいことがあった!」
   「好きなことを仕事にしていいんだ」と大反響。
   42歳で突然仕事をやめて、モロッコのスリッパを売り始めた「ファティマ モロッコロ」大原真樹の
   「好き」を「仕事」にする生き方。

ま、これはどうでもいいのです。
ワタクシ、人の成功談とか、生き方の指南とか全く興味ないから。
人は人、うちはうち、よそはよそ、あたしゃあたしで生きているし、生きていく。
ただ、ドキュメンタリーよりフィクション、セミナー本より小説の方が好きなのはなんでかなあという思いを抱きながら、Kemiちゃんが熱く本の話をするのを聞いていた。

その夜のこと。
久しぶりに娘から電話。
彼女の近況やら聞いていると、彼女が何かの例えを言う時だったか「平野啓一郎の本にあったんだけどさ〜」と言うのを聞いた時、これだ!この感じ!と嬉しさに打ち震えた。
そうだ、ワタクシは、小説でその主人公が発した言葉から感じ取ったりするのが好きなのだ。
フィクションじゃん!作者の考えた虚構の世界じゃん!と思う人は思うだろう。
でも、ワタクシはその虚構の世界からリアルを思い、作り上げた作者の脳内を思い、尊敬する。
思わず、娘の話を遮って「今日さぁ〜Kemiちゃんと本の話になって・・・」
と説明し始めるも、本のタイトルはうろ覚えだわ、この作者が最初に売って大ヒットした『バブーシュ』が出てこない。
えっと・・・ほらあ、スリッパでさあ、カカト踏んづけたような、モロッコだかなんだかのビーズやら刺繍やらしてあってさあ、
えっとバブリューシュカ?いや、マトリョシカみたいだな、、、」
とうとう娘が本のタイトルからざっくり検索かけたらしく「バブーシュね。」
とはいえ、この母にしてこの娘ゆえ、「確かにFちゃんママんちで見たことあるようなスリッパだねえ。」で落ち着くところが可笑しい。
ファッションも、音楽も、食べ物も、何もかもが「よそはよそ、うちはうち」で育て上げた結果が、独自の文化圏を持つ娘の出来上がりで、母は誇らしい。
わたしら母娘の辞書に「流行」という文字はないのだ。えっへん。

「それにしても、そういう本がウケるってことは、儲けようとか起業しようとか思う人っているんだねえ」と言うと、娘が「ママの方がマイノリティだからね。
この世から振り込め詐欺が無くならないのも、統一教会に騙されるのも、そういう人たちが大勢いるってことだよ。」
そうか。母は誰より疑い深いし、損したくないし、のめり込む「推し」もいないし、不信心の無宗教主義だものね。
ワタクシは、ただただ穏やかに平凡に暮らしたい。
貧乏は嫌だが、会社勤めはもっと嫌だ。
お金は欲しいが、商才も博才も無いことは自覚している。
よって、チラシ配りという、身の丈に合った小銭稼ぎをしている。
ああ、「ぢみち」と墨字で書いて床の間に掛けたいくらいだ、床の間はないけど。

昼間のドライブでのおしゃべりも楽しく、夜の娘との電話のおしゃべりも楽しく、今朝、少々声が枯れ気味。

今日の一枚は・・・
娘がラインに送ってきた浦沢直樹の漫画「YAWARA」全29巻の写真。
なぜに今頃「YAWARA」???
「いまさら気づいた。浦沢直樹作品No .1はHappyでもモンスターでもビリーバットでもプルートゥでも20世紀少年でもなく「YAWARA」だということを!!!最高な漫画!!!」と、大興奮で、さらには読んだことない母に「読んで!読んで!」
近々送ってくれるらしい・・・
なぜに今頃???と思いながらも、これがワタクシの教育さ、いいものは流行り廃りなく人の心を動かすもの。
それを体現している我が娘。
そういう風に育てた母は責任持って29巻に挑む所存。
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ローン

2022年07月20日 | 子供ネタ
7月20日(水)雨

親バカゆえお許しくださいね。
ここんとこの日課、娘の着物姿の写真をみてはうっとり。
スピーチしてる立ち姿にうっとり。
心配していたスピーチについては、お友達からのラインの文章で安心してうっとり。
娘も、原稿でお世話になったからでしょう、母に報告を兼ねてラインを転送してくれたのです。
Mちゃんの結婚式に参列した高校友は、娘とRちゃんの二人。
そのRちゃんのライン
   『Cのスピーチほんとうに素晴らしかった!
    内容も、話し声も、話してる時の佇まいも全部!
    お母さんにムービー見せながら、もう一回涙ほろりしてしまった』

結婚したご本人Mちゃんからのライン
   『今日は本当にありがとう。
   出席いただけたことはもちろん、スピーチ、本当に、全文最初から最後まで本当に、感激でした。
   好みどストライクの映画のワンシーンを観ているような、詩を聞いているような、とにかく私の人生にとって
   忘れられない時間になりました。
   本当にありがとう。』

母としては、彼女達のJ K時代を知っている者として、「大橋巨泉」まで登場させてウケる予定だったのに、娘から「あたしのキャラじゃないからうまく言えないと思う」とことごとく却下され、少々不本意なままでの原稿だったので心配だったが、
まあ、大きなミスもなく、彼女のキャラを生かしてのスピーチになったようで一安心。

そして、おばあちゃんにも写真を見せ、二人で「いいねえ〜やっぱり着物はちょっと格が違うよね〜」とか
「また、Cが綺麗でスタイルがいいからねえ」←これはババ馬鹿である。
「そうなのよっ!今回原稿はいたってノーマルだったけど、着物と、まあまあ綺麗な子がゆったりとたおやかにスピーチすりゃあ、そりゃあ素敵ってなるよね〜」←これはワタクシ。ババ馬鹿をはるかに超えた親バカである。

この着物のことは、ワタクシのお下がりであると、再三書いているが、ふと当時のことを思い出した。
興味も無かったこともあるが、成人式の着物も着なかった。
友人達の結婚式ブームがスタートした頃は、安いワンピースをみつくろって出席していた。
それが、兄の結婚式用に着物を作ろうと母が言い出し、いや洋服でいいでしょと思っていたが呉服屋さんに連れていかれ、あれよあれよと言う間にこの着物を誂えた。
ま、兄の結婚式だしね、と納得して、着物を着た。
その後である。
なんとローンが組まれていた。
そして、毎月ワタクシのすずめの涙のお給金から引かれることになった。
買ってくれたんじゃなかったのね・・・
当時から、いや、今もそうだが、どうにもお金のことを口にすることを恥ずかしいと思う節がある。
今振り返ると、我が兄は、大学卒業と同時に公務員になることを見越して、電化製品をローンで購入した。
そして、もうこれ以上ローンが組めないとなり、親に泣きついて車を買ってもらい、そのすぐ後には、仕事で使うからと当時はまだまだ高級品だったパソコンも買ってもらった。
それなのに、あたしは、着物一着も自分で買うのね。
それも、着物着たくて、欲しくて買ったわけじゃなく、母からおいたてられるようにして買わされた感が否めない。
しかし、こんな贅沢品を買った事なかったゆえに、活用せねばとそれ以降の結婚式には全てこの着物で出た。
当時は、結婚式場で着付けてくれたし、それほどの負担(金銭的にも時間的にも)でもなかった。
そして、その当時も、着物で出ると結婚式の格が上がるから嬉しいと言われていたから、一度着物で出ると一緒に参列した子から「来月のあたしの結婚式にも着物で来て!」と言われたものだ。

そんな事を思い出し、ふと老母に対して嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったりもしたが、
娘が三回もこの着物を着てくれた事を思うと、何はともあれいい買い物だったのだと思えてきた。
兄との格差にはいまだに腹が立つ事も多いが、昨日は昨日で老母から「鰻」を買ってもらったから良しとする(・・・・・)
愚痴はここで吐けば丸く収まるのである。
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結婚おめでとう〜その3〜

2022年07月17日 | 子供ネタ
7月17日(日)曇り

昨日は我が娘の高校友Mちゃんの結婚式。
そしてもれなく我が娘は友人スピーチを仰せつかる。
いわゆる結婚適齢期(←死語?)真っ只中の娘であるが、コロナ禍のせいで結婚式参列は今回で三回目。
母の時代、今の娘の年の頃は毎月結婚式だった。
最初は衣装選びも面白かったが、後半めんどくさくなり毎月着物で出席したら、後々写真見ても誰の結婚式だったかわからなくなった。
その着物を、今、我が娘は三回着ている。
母のお下がりとはいえ、着物はやはり女の格を上げる、とは母娘共通認識か。
とはいえ着付けに髪の毛のセットと、何かと面倒なのは現実で、母は朝早くからヤキモキしたものだ。
さらにはスピーチも母をドキドキさせる。
とはいえ、さすがに今回はもう鹿児島にいる母である、写真見せてね〜くらいの気持ちでいた。
ところが7月に入った頃くらいからか、娘からスピーチの原稿が送られてくる。
いやいやもう勘弁してくれよと思いつつ、ついつい添削が始まる。
う〜む・・・
一回目のA美ちゃんの時は、ネタがたくさんあった。
なんせ高校友A美ちゃんのお相手は、娘の中学の同級生で、我が娘がキューピットなのだから。
母も大満足のスピーチ原稿であった。
二回目のA花ちゃんは小学中学のお友達である。
ご近所ゆえママもパパもお兄ちゃんのことまで熟知している。
彼らを喜ばせる100点満点の原稿ができたと自負している(←もう、自分の手柄としている母)
しかし、今回の高校友Mちゃんはなかなか難しい。
ラインやメール(長文過ぎるゆえ)でのやり取りを繰り返し、数日前にやっと完成。
あとは暗記を頑張れ!と思っていたら前日にまた練習に立ち会わされる。
ITの進歩は母を休ませてくれない。
昨日、「無事終わりました。お世話になりました。」と娘からのラインでホッと胸をなでおろす母であった。


この写真は、二回目の参列の時のもの。
娘は、もうこの歳でピンクはきつくないかと心配していたが、裾のグレーが効いているしピンクも渋めの色だからまだまだいけるでしょ。
とは言えもう充分にお役目果たした感はある。
そもそもが、ワタクシの兄の結婚式の時に作った着物だ。
まさか自分の娘がこの着物を着てくれる日が来ることなんて想像すらしなかった。
着物というものはそういうものなんだなあと今更ながら思うことである。
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2022年05月23日 | 子供ネタ
5月23日(月)曇り

昨夜のことだ。
娘から電話。
中学からのお友達ゆあちゃんのことだ。
在宅ワークしている娘に彼女からSOSのライン。
娘は、あと10分で仕事が終わるというところだったので、気になりつつもあっさりとした返事を送り、10分後に電話をかけたらしいのだが、通じない。
ラインも既読にならない。
じわじわと嫌な気持ちになってきたと言うのだ。
ゆあちゃんは、結婚を考えている彼氏がいたが、親御さんが亡くなったことを機に実家(←宮崎)に戻ってしまった。
そして、やんわりと別れを切り出されていたらしいのだが、諦めきれないゆあちゃんはこのGWも宮崎に会いに行ったりしたようだ。
結婚できるなら宮崎に来ることもいとわない勢いで。
でもあまり好転もしていないようだし、うっすらこの話を聞いた時に、ワタクシは、「東京生まれ東京育ちのゆあちゃんに、宮崎、それも結構な田舎での暮らしは厳しいのではないか」と危ぶんだ。
いや、都会から田舎に嫁いで、楽しく生きている人もたくさんいるだろうし、その逆パターンもあるだろう。
実際ワタクシの京都の友人はチョーお嬢さまだったのに、熊本の天草に嫁いできた。
彼女の話はとても好きで、あまり人を羨ましいと思うことのないワタクシが、珍しく「いいなあ」と思った夫婦である。
結婚して10年後くらいだったか、鹿児島に家族で来てくれた時に
「パパはまだあたしのことK子ちゃんって呼ばはんねん。」とまったり喋る彼女。
お人形みたいに可愛い女の子と、やんちゃな男の子。
優しそうな、渋めな夫と赤いベンツ。
いや、いやらしいこと言いますよ、彼女の夫は歯科医で、まあ、そう言うことも全部ひっくるめてワタクシは羨ましかったのだ。
当時バツイチになりたてで、髪振り乱して生きてる自分と比べてしまったこともある。
経済的な余裕が心の余裕につながると思うのだ。
現に友人は、かなりの頻度で京都に里帰りしていたし。
・・・あれ?ゆあちゃんの話からどんどん逸れている。
だいぶ前にこの友人を含めたワタクシの周りの夫婦について語ってることがあるので、興味あられる方はこちらを。

で、心配になった娘は、ゆあちゃんちに行ってみようと歩きながら母に電話をしている。
母も少し胸がざわざわする。
「おうちにいないかもしれないし、出てこないかもしれないから、その時にはジュースでも買ってドアノブにかけといたら?」
落ち込んだ時に、でも自分を心配してくれる友達がいると感じることは力になると思うから。
呑んだくれの娘とゆあちゃんだが、「ジュースにしときなさい!健康的な100%果汁とか。お酒はやめときなさいよ。」
それからほどなくしてまた電話。
「ジュース買おうとしてたらゆあから電話きた!
別の友達と電話してて、電話出られたなかっただけだった!」
ホッとする。

結局昨日の夜は、ゆあちゃんは娘のうちに泊まったらしい(←夜中にラインがきていたが母は爆睡中)
ゆあちゃんがSOSと言ったのは、恋愛関係ではなく、母親とのトラブルだった。
以前から何かとトラブってるとは聞いていたが、娘曰く「お母さんからのメッセージ読ませてもらったけどすごかったよ。
親が送るような文章ではない。D Vする彼氏と同じ感じ。」
怖っ。
D V彼氏とはとっとと別れればいい話だが、親となると厄介さが伴うなあ。
毒親とか親ガチャとか、最近の言葉にドキッとするが、これは子供がそう思えばそうなのだ。
そして、そんな親とは縁を切っていいとワタクシは思っている。
ゆあちゃんの宮崎に嫁ぐ話には乗り気でなかったワタクシであるが、母親と切れるきっかけにはなるかもしれないと思ったりする。

今日の一枚は・・・
スーパーの沖縄コーナーで見つけた「サーターアンダギーの素」で作ってみた。
朝の連ドラで仲間由紀恵さん演じる母親には、毎回イライラする。
身を粉にして働くのはいいんだけどさあ、バカすぎる息子の扱いをもう少し考えろ!
誰が考えても詐欺だろ!気づくだろ!
あまりに腹が立ちすぎて、あなたくらいの美貌なら水商売の方が金になる!とアドバイスしたくなった。
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それって必要?

2022年05月15日 | 子供ネタ
5月15日(日)曇り
義弟Aが、我が実家に初めてきた時の話。
最寄りのバス停より一つ先で降りてしまい、う〜む、どうしたものかと思い下校途中の小学男子に話しかける。
「○○小学校ってどっち?」
少年「この先の斜めになってる道路を真っ直ぐ行って、その先の信号も真っ直ぐ行くと小学校です。」
丁寧に教えてくれた上に「僕、案内しましょうか?」と言ったらしい。
義弟Aは「大丈夫!ありがとうね。」と言って別れたけど、「俺、感動したよ」と言っていた。
話を聞きながら、いい子過ぎて少々不安になるワタクシ。

娘が小5の時に鹿児島から東京へ引っ越した。
鹿児島と同様、東京の小学校でも朝、親が交差点に立って子供達を誘導する当番があった。
驚いたのは、「おはよう」と声をかけても「おはようございます」の返事がないこと。
学校名の入った当番の旗を持ったおばちゃんではないか、さすがに不審者扱いしなくてもいいだろ!?と憤慨したのを覚えている。
その後くらいだったか、マンション内や、そのエレベーター内でも挨拶してはいけない論争もあったりして、さすが東京、周りはみんな不審者と思えという教育なのねっ!とちょっと鼻じらむ感じだった。

あれから20年(←きみまろ調で読んでください。いや正確には17年くらいだが言いにくいので、、、)
鹿児島に帰ってきて激しく感じる違和感に、登校下校中の子供達からの挨拶がある。
当然、近所の顔見知りの子でもないし、めちゃ田舎で村ぐるみで子供を育てましょう的な場所でもない。
みっちりぎっちり住宅街、通りを隔てれば、どなたが住んでるかも知らない土地である。
いや、ちゃんと挨拶されたら挨拶返しますよ、にこやかに。
でも、違和感。
これって絶対学校教育よね、「登下校で会った人にはあいさつを!」という。
これって必要?
知ってるおばちゃんやおじちゃん、お兄ちゃんにお姉ちゃんに挨拶する分には良いと思いますよ。
あと、だれかれ構わず声をかけたいお婆やお爺から挨拶されたら「こんにちは」って返す程度で良くない?
何も、全く知らない見ず知らずの他人に、「こんにちは」って挨拶しなさいと強制する教育の意味がわからん。
これって、ワタクシが東京ナイズされたってこと?
いや違うっっっ。
東京の「人を見たら不審者と思え」みたいな教育をしろとは言ってないの。
通りすがりのおぢおばに、わざわざ挨拶する意味がわからんと言ってるの。それって必要なの?と聞いているの。

もっとワタクシを苛立たせるのが、横断歩道渡り終わった小学生が振り返って、止まってくれた車の運転手にお辞儀する行為。
要らん!
危ない!
さっさと渡ってくれ、そして、真っ直ぐ前見て早く帰ってくれ。
これも学校教育なのだろうかとずっと不思議に思っていた。
先日その謎が解明した。
CMを見たのだ、ダサいCMを。

びっくりした。
いや、あまりのダサさにも驚いたが、それ以上に、一番最後「渡り終わったらありがとう」
おまえかっっっ!!!いや、この大衆演劇の子役の子に罪は無いが。
なんで?
誰が、横断歩道で車が止まってくれたらお辞儀をしなさいなんて言い出したの?
横断歩道に人が居たら止まるんだよ、車が!!!義務でしょ、当然のことでしょ、
運転免許、取るときにみんな学んだよね。
なのに、なぜお礼を強要する???
「まあ、nさんったらせちがらいこと言うわねえ、微笑ましいじゃないの、お辞儀してくれるなんて」と言う人もおられるかもしれない。
でも、でも、でも、この教育って必要?
お互いを思いやる気持ちを育てましょうってこと?
子供だから?
それを強制して教育している先生は、自分が横断歩道を渡り終わったら振り返ってお辞儀してる?
ちなみにワタクシは、自分が歩行者で、横断歩道に立ってて、車が止まってくれたら小走りでお辞儀しながら走り抜けます。
振り返ってお辞儀なんかしません。
渡った後にお礼するのが正しい横断歩道の歩き方と言うなら先生も、このCM作った放送局の人も、皆振り返ってお辞儀しろよと言いたい。
でも、今だかつて大人がわざわざ振り返ってお辞儀をする光景を見たことがない。
なぜ子供にだけ強制する?
意味がわからん。
それって必要なの?
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抜け殻

2022年04月27日 | 子供ネタ
4月27日(水)雨

3ヶ月半ほど長期帰省していた娘が、昨夜東京へ帰った。
黒猫連れて。
帰省とはいえ、こちらで在宅ワークしていたので、週に二日のお休み以外は小部屋に籠ってお仕事。
在宅ワークというものが、ワタクシの想像を超えて厳しかった。
だから、こんなに長くいたのに、指宿にも霧島にも長島にも甑島にも行けなかったね〜と言いながら空港へ送る。
まあ、こちらでも在宅ワークできるとわかったから、また帰っておいで。
夜8時40分発の飛行機なので、空港で夜ご飯食べましょう。
軽くお土産なぞ見て、黒猫と荷物を預けてから居酒屋っぽいところにでも入ろうかとすると、なんとレストラン街はどんどん閉店。
ロイヤルホストのみ営業となる。
夫と娘はビールを呑み、ワタクシは珍しくステーキ丼なるものにする。

余談ですが・・・ロイヤルホストって何十年ぶりに入ってみたけど、食べるものがないっつーかお値段が高いっつーか。
あそこの位置づけは何なの?ファミレスじゃないの?
娘はあっという間に、「あんまりお腹空いてないし・・・ビール飲むし・・・わ!オニオングラタンスープ美味しそう!これにしようっと。
あと、ケールのサラダにする。」とおしゃれなチョイス。
母は、メニュー見ながら「ステーキ美味しそう!うわっ高っ!ハンバーグで2千円越え???高っ!黒豚トンカツねえ。
黒豚パーコー麺にしようかなあ〜いや、でも観光客じゃあるまいし、黒豚なら近所のスーパーでも買えるし・・・」
夫はビールとクラブハウスサンドにするという。
娘が「村上春樹的!!!」とのたまう。
ホントこの人って抜け目ないというか、安いもの探させたらナンバーワンだわ。
かといって、ビールもワインも飲めない(←運転手だから)ワタクシが何が楽しくて夜にサンドイッチ食さねばならんのだ!
しびれを切らした娘が「パスタも美味しそうだよ。」(おそらく母が値段で決めかねていると踏んだのであろう)
骨の髄まで貧乏人なワタクシと、こちらのお店のパスタやカレーの値段設定が合致しない。
いっそワタクシの考える高価なもの=ステーキの図式で納得させるしかない。
勇気を振り絞って「ステーキ丼」(・・・それでも丼)

ををっ!そろそろ時間じゃない?
気をつけてね。帰り着いたらラインしてねと、搭乗口へ向かう娘に大きく手を振る。

外に出ると土砂降り。
警報級の大雨になるとは聞いていたが、時間がずれ込んで降らなかったね、よかったねと思っていたがここで降るのか。
走り出すとすぐ娘から「雷警報出てるらしく出発遅れるみたい」とライン。
母は母で、夫にビール飲ませた事、夫の言う田舎道の方を選んだことなどを後悔しながらゆっくり車を走らせる。
こちらに帰ってきて一度、まさに「バケツをひっくり返したような雨」の中を運転したことがあって恐怖におののいたが、
昨夜はさらに夜だし、バケツの大きさがさらに大きいし、雷で暗闇が光るという恐ろしさも加わる。
娘のことも気になる。
これで飛行機が飛ばなかったら、またこの雨の中を引き返さなきゃならんのか?
その時は高速道路にしよう。
だからとりあえずはインターの入り口あたりまではこのまま走って・・・
もう自分が一体どこを走っているのか全くわからないまま土砂降りの真っ暗闇の田舎道をのろのろ走る。
たまに後ろから車が来ると避けて譲りながら「この雨でそのスピードで大丈夫なの?道が見えてる?あたしゃ見えん。」と悪態をつく。
まだそれほど地盤は緩んでないだろうから土砂崩れはしないだろうが、道に小石や泥が流れ出てると怖いし、水しぶきの上がり方が異常でまた怖い。
心臓がばくばくする気持ちで「わあ、ちむどんどんする〜」と心で言い続けては「使い方違うぅ〜そんなウキウキじゃな〜い。あ〜ちむどんどんする〜ちがうぅ〜〜」とハンドルにしがみついて運転しておった。
間でラインの着信音がして娘からの「今乗った」
乗ったってことは、相当な事がない限り飛ぶよねと少し安心して車を走らせ、ほうほうの体で帰宅。
その後11時前に娘から「着陸。結構きつかった。機長はプロだなあ。」
機長の肩を叩きながら、お互い頑張りましたなあと言いたいくらいだ(・・・質が違いすぎる)
よって、娘が帰ってしまった寂しさとか一気に流れ去っていった気がする。
抜け殻になり損ねた感。
とは言え、金銭的にはもうカツカツなので、今後ヨモギやフキ、ツワ等の野草を食みながらつつましく暮らしていくことにします。
トップの写真は・・・黒猫スミちゃん。東京帰ってホッとしていることでしょう。
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女の子のママ

2022年04月01日 | 子供ネタ
4月1日(金)晴れ

娘が東京から帰ってきて我が家で在宅ワークをしている。
我が娘は小学5年まで鹿児島の小学校に通った。
東京に転校しても、さすがイマドキの子、ネットで鹿児島の子達ともずっと繋がってて、
夏休みに帰省しては遊び、就職活動の頃もキャンプ行ったりしている。
今回の長期帰省で、久しぶりにあーちゃんに会い呑んだくれ、コロナになったかもとビビるお約束。
3月の3連休には、福岡在住の幼なじみあいちゃんが帰省して3人で会うことに。
とは言え、前回の繁華街での呑み会で懲りている我が娘、ホテルで部屋呑みしようと提案。
インスタ映えするホテルや、温泉が評判のホテルなどを探すも予約満杯・・・
う〜む・・・まん防が解けたらすぐこうなるからねえ。
結局駅近くの、長期滞在者が利用する、キッチン付いてます的なホテルに3人で泊まって、ホットプレート持ち込んでサムギョプサル作ったり楽しくおしゃべりしたそうな。

なかなか面白かったのが、あーちゃんやあいちゃんのママの話。
まずはあいちゃん。
あいちゃんは三姉妹の末っ子。
ちなみに誰も結婚していない。
三人ともバリバリ働いて自立しているから良いじゃないですかとワタクシなんか思うんですけどね〜
お正月に帰省した時、ママが「結婚して!」とさめざめと泣いたらしい。
ママはママで、パパから「お前の育て方が悪かった」とかなんとか責められてのことらしい。
いや、でも、泣くって!!!
あいちゃん、ブチギレて福岡に帰った。
そして、今回鹿児島に帰ってきたけど親には内緒ですぐに福岡にトンボ帰りしたらしい。

あーちゃんはだめんずと同棲していたらしい、つい最近まで。
そのだめんずと破局した後、別の方とおつきあいしてるとかフラれたとかなんとか、結構そういう話をママともしているらしい。
で、破局したり振られたりすると、何となくママが嬉しそうらしい。
え?なんで?
あーちゃん曰く、ママはあたしにずっと一緒にいてほしいみたいなんだよねえ。
一緒にいたい気持ちはわからんでもないが、でも、自分の自慢の娘がフラれたり悲しい思いをするのは嫌だけどなあ。

今、「深夜のダメ恋図鑑」という漫画を読んでてて、これが結構辛辣だったり、あるあるだったりでなかなかに面白い。
女子もいろいろ、男子もいろいろ、そして、ママもいろいろだなあと思う今日この頃。
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危険物処理班出動

2022年01月13日 | 子供ネタ
1月13日(木)曇り
東京に住む娘が久しぶりに帰省してきた。
激しかったコロナ第五波が収まった頃に決めた帰省だ。
多分第六波も来るだろうねえ〜その前に一度帰って来るよ、と。
で、新年明けてからの航空券取ったよと。
からのオミクロン株である。
我が鹿児島県なんて、発症者ゼロが続いており危機感を忘れていたが、急にまた世間も騒がしく、厳しくなってきた。
ああ、すっかり忘れてました、自分達が東京から鹿児島に引っ越してくるときのナーバスな感じを。
今月末、父の一周忌なので、お葬式にも出られなかった娘が初めて法要にも出られる、良かった良かったと思っていたら、
親戚のおばちゃんは早々に不参加を申し渡してこられた。
そ、そうですよね〜やっぱ心配ですものねえ。

娘は羽田か鹿児島空港でPCR検査受けようと思うけど、どっちがいいかなあと聞く。
ここで、つい母心。
もし、羽田で陽性が出たら、当然飛行機に乗れないであろう。
そしてそのまま入院だったらまだいいが、自宅待機になったら大変であろう。
鹿児島に着いてからの陽性だったら、我が実家に隔離して食料を運び込んだりと世話ができる。
鹿児島で受けなさい。
いや、これが娘ひとりだったらここまで甘やかさないのであるが、飼ってる黒猫も連れてくると言うのだ。
猫を抱えての移動は、ワタクシも過去に何度もやってホント大変なのは身に染みており、羽田空港で検査受けて陽性反応出て、さあて黒猫はどうなるのだ???
色んな事を考えて、鹿児島で受けなさい、となりました。
で、10日の夕方、ウキウキと空港へお迎えに行き、久しぶりの娘と対面。そのまま娘は予約していた検査室へ。
聞くに、結果は翌日になると言う。
猫もいる事だし、東京帰りだし、って事で、帰り道のスーパーでお惣菜を買う。
もちろん娘は車の中。
「え〜〜〜っ!?私、車降りちゃダメ?」
ダメです。
気持ちは危険物を運んでる日通のトラックの運転手さんの気分、大事に大事に運びますのでご安心ください!
娘は娘で、東京から大箱7箱も送りつけてきたが、これがほとんど猫のもの。



いきなりこんなの設置されて、今、親戚のおばちゃんちに隔離しているおばあちゃん、驚くよ。

そのくせ、自分のものはほとんど持ってきていない。
買い物に行きたいと言う娘を、結果が出るまではダメと言い続け・・・
やっと夕方メールにて届いた「陰性」の文字にひと安心。

リモートワークができるからしばらくは鹿児島の我が家で仕事するらしい。
2、3ヶ月の長期滞在になる予定らしい。
ただ我が家のナーバスな老猫イチのストレスにならぬよう、娘と黒猫スミちゃんはおばあちゃんに寝泊まり。
朝9時に迎えに行って我が家に連れてきて、7時までの仕事を終えたら夕食食べて、また送って行くという生活。
甘やかしは遺伝なのか、一人でおいて置けないと、スミちゃん持参ゆえイチと対面させないように気を配る。
非武装地帯ならぬ、和室二間を隔て、お互いの存在を知るか知らぬか黒猫二匹。
イチの耳が聞こえなくなっているおかげと、スミの少しトボけた性格のおかげで四日経過した今も紛争は起きず。

引っ越し早々、落ち着かない毎日ながら、娘がいるというだけで、ただ幸せで、ご飯作りも楽しく、外食も楽しく、次のお休みも待ち遠しく思う毎日。
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お誕生日おめでとう

2021年04月06日 | 子供ネタ
4月6日(火)晴れ

今日は我が娘のお誕生日。
28歳になりました。おめでとう。

近所をふらふらサイクリングしてたら小学校の入学式帰りの親子と遭遇。
小学校の正門前に通りかかると、交互に写真撮影会が始まっていて、なんかしみじみ、ほのぼの。
ついこの前、この小学校に入学したのだ、我が娘も。
ダサい制服があって、少し大きめのそれを着て、長かった髪の毛もバッサリ切って、すました顔して写真に写る娘の顔が思い出せる。
だって、ホントつい昨日の事のようなんだもの。
そんなこと言うなら、28年前の今日、彼女が生まれた時のことだってつい昨日のことのようだ。
・・・いよいよボケが始まったのか?昔のことはよく思い出せて、夕べのご飯のことは思い出せんと言う爺様達のごと・・・

我が夫は、今朝、朝イチに家族ラインで娘におめでとうと送っていた。
ワタクシは、彼女が生まれた16時を待ってラインする。
28年なんてホントあっという間だなあ。
これからの28年後、ワタクシは生きているだろうか。
そんなことを考えると、怖くなったり、いやいやビビってる暇なんかないぞ、一日一日をしっかり大事に生きねば!と思ったりする。
とりあえずの目標は、夏までに「終のすみか」に引っ越したい。
そして、今、「終のすみか」の完成度を50%として、コツコツDIYなぞしながら、畑の手入れして、庭の手入れして、広い裏庭の利用法を考えたりして、100%に仕上げていくのだ。

ここだけの話だが・・・ウソです、至る所で、もちろんこのブログ内でも自慢しまくってきたが・・・
ワタクシ、我が娘が、我が人生における最高傑作だと思っているのだ。
恥多き人生の中で、彼女をこの世に生み出したということがワタクシの唯一の功績だと。
28年前の今日、彼女が無事に生まれてきてくれてからずっと、彼女はワタクシの自慢だった。
ワタクシにも前夫にも似ておらず、生まれた時から綺麗な顔で、短気な親に似ず穏やかな性格で、運動も得意で、何をさせてもソツなくこなす。
これはもう、神様がワタクシにくださったプレゼントだとしか思えない。
そんな娘ももう28歳。
いつまでも、「ワタクシの自慢の娘」ではないことはもう十分わかっている。
いや、生まれた時から、彼女は彼女であって、母のものではないのだが、それでもずっと母は、母のものだと思いたがっていたのだ。
とっくに彼女は、もう立派に独り立ちして、素敵な伴りょも見つけて、素敵ライフを送っている。

母も子離れして、残り少ない人生を楽しく暮らせるようにしようと、娘の誕生日に誓います。
コメント (2)
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子育ての先

2020年10月23日 | 子供ネタ
10月23日(金)晴れ

先週、Sさんのお宅へお邪魔する。
Sさんは、我が娘が小学生の頃のママ友である。
男の子二人に女の子一人の3人のママ。うちの子とは真ん中のK君が同級生だった。
K君には年子の妹Renちゃんがいて、Renちゃんとうちの娘はとても仲良しになった。
東京に引越した次の年の夏休みには、Renちゃんが一人で東京に遊びに来てくれたくらいだ。
しかし、その後は年賀状だけのやり取りとなり、15年が過ぎていった。

鹿児島に帰ってきてSさんに「帰ってきました」ラインを送ったら、すぐに「遊びにきて〜」と返信。
嬉しい。
こういうところだ。ホントに彼女には見習うべきところが多かったよなあ〜と思いながら、先日お邪魔してきた。
16年ぶりの再会。
彼女は全く変わってなくて驚いた。
とはいえ、環境はすっかり変わっていて、もう3人の孫のおばあちゃんになっていた。
すぐ近くのマンションにRenちゃんが住んでるとのことで、6ヶ月になる赤ちゃんを見せにきてくれる。
東京に遊びに来た時は小学5年生だったのにね〜
もうすっかりママの顔だ。

Sさんお手製のランチ(聞けば彼女はグループホームの食事を作る仕事をしているという)をいただきながら、
この16年の穴を埋めるべくマシンガントークが始まる。
子育ての結果を見るようで面白くて感慨深いものがあった。

というのも、Sさんは、長男R君のことを異常に心配して手をかけ、目をかけていた。
下の二人はとってもしっかりしていてお利口さん達なのに、R君は、今教えた事ができない。
授業参観日も、Sさんの姿が見えなかったなあと思い後から聞くと・・・
「Rのクラスに行ってたの。KもRenもなんの心配も無いけど、Rは心配で心配で」
何度か「K君の事も見にきてあげて!かわいそうだよ。」と言った事があるくらいだ。

あれから15年!(きみまろかっ?)
Sさんに言わせると、R君が一番しっかりした大人になった。
高校で、ガチの水泳部に入ってから、鍛えられて、罵られて、それでもやめずに3年間続けた事ですごく変わったという。
Sさんのご主人は自衛隊だったので、R君が海上自衛隊に入ったと聞いた時、パパの影響だろうと思っていた。
しかし、パパは、キツイから自衛隊なんか入るな!と言っていたらしい。
でもR君は水泳を続けられる環境が海自にあると聞き入隊希望を出す。
担任からは「お前には無理だ!たとえ入れたとしても、今自衛隊は厳しくなってて、入ってしばらくしてから昇格試験があってそれに合格しないと辞めさせられる。」
でも、R君は諦めなかった。
「オレは勉強というものをしてこなかった。子供の頃、全くわからなかった。だから今勉強する。」と言って、小学生の通う塾へ通い、小学生と机を並べて勉強したという。
そして、まぐれで(←ママ談)入れて、奇跡的に昇格試験も受かって、無事に今に至る。
Sさんが言う。
「ここまで大きくなってやっとわかった事だけど、お勉強なんて出来なくてもよかったんだよね。
自分で生きる力をつけさせてやるだけで良かったのに、あの頃はそれがわからなくて、Rの事を叩いたり怒鳴ったりしていた。
大きくなってから『あの頃は厳しくしてごめん!』って謝ったよ。」
でも、その後の、K君のことを聞いたときに、いやいや謝るべきはK君にだよ!と思った。

小学生の頃、お利口さんでいい子、手のかからない子だったK君。
大人になってからなかなか手こずらせたらしい。
高校卒業して美容師になるもすぐ辞め、なかなか仕事が続かない。
そして、母に対する態度が悪い、というより、母を空気のように(悪い意味で)扱い、目の前に座っているのに居ないような、目に入っていないかのように無視する。
「母さんの何が悪いの?」と問いただすと「そういうとこだよっっ」と吐き捨てるように言われる。
仕事もいくつも変わり、とうとう家に帰って来なくなり、行方不明になり・・・
Renちゃんが「ヤクザに監禁されたか殺されたんじゃないかって警察に捜索願まで出したんだよ」と言う。
とうとう目に余ったパパが怒って、自分の実家のある離島で頭を冷やせっ!と段取りを取る。
すると飛行機だったか、船だったか、乗る前に母親に電話かけてきて「望み通り消えてやるっ」と捨て台詞吐いて旅立って行ったとか。
数ヶ月のつもりだった両親の予想を裏切り、K君はそこで仕事を見つけ、彼女も見つけ、3年ほど過ごして、少し落ち着いて帰ってきた。
今は、その子と結婚して赤ちゃんも生まれて、毎週のように実家に遊びにきているというが、まだママは心配そう。

寂しかったんだよぉ〜K君は。
ママがお兄ちゃんにべったりで、自分の運動会にも、参観日にも来てくれなくて、お兄ちゃんの心配ばっかりしててさ〜
と言うと、Sさん目を見開いて「Kは全く手をわずわらせないいい子だったのよぉ〜だから全く心配しないで大きくなったのに、大人になってから心配させられたと思ってたけど・・・そうなのかしら、寂しかったのかしら。」

結局のところ、S家はSさんというゴッドマザーを中心に回ってるなあと思う。
R君は、その後、10歳年上の人と結婚した。
裏表のない、姑の前だろうがビシッとR君を叱りつけるような姉さん女房らしい。
ママのような人を求めたんじゃないかなあと思ってしまう。
Renちゃんに、「ママが理想のお母さんでしょ」と聞くと、少し首を傾げた後「こんなに忙しくバタバタしてるママにはなりたくないな」と笑った。
でも、歩いて3分の所に住んでて毎日のように来ると聞くと、頼っているのだろうし、SさんもまたRenちゃんを頼っているようだ。
K君も、毎週家族を連れてご飯食べに来たりしていると聞くと、ママとのわだかまりもすっかり溶けたということだろう。
そもそもが、「もっとオレのことも見てくれよ」という心の叫びからの反抗だったと思うし。

子育てというのは、その真っ只中にいる時は無我夢中で、わからないことだらけで、でもこれが最善のはずと思ってやっている。
そして、あっという間に子供は成長していって・・・
子供が大きくなった頃に、親は自分の子育ての成果というか通信簿のようなものを見せられるのだ。
どうしてあんなに厳しく育てたんだろうと反省したり、どうして仕事優先にして一番かわいかった頃を一緒に過ごさなかったんだろうと悔やんだり。
でも、Sさんも一生懸命だった。
ワタクシも一生懸命だった。
頼りないながらも親たちは一生懸命だった。
大人になった子供達は、時に頼りなく、時に理不尽だった親のことを許してくれて大人と大人の付き合いが始まっていく。
コメント (2)
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